45 実像は想像に遠い
この厄介事のそもそもの起こりは、フェイリア自身がオーグレーン家との婚姻を嫌がっている事だという。
私の足を引っ張るべく面倒を押し付けたオーグレーン子爵、その暫定黒幕であるノルドシュテル厶侯爵は元より、この事態を招いたフェイリア自体も私にとっては好ましいとは思えない。
ローグシア子爵の横に行儀良く座っているフェイリアは、静かに私を観察しているようだった。彼女自身には私がここへ来た理由は伝えられていないのだろう。
どのような事情があるのか知らないが、彼女が自分の婚姻をご破算にしたいのに対して私はそれを阻止する為にここへ来た。目的が知られれば、警戒心を招く事になるか。
ではどうする。どうすればフェイリアに余計な警戒をさせないまま、彼女から話を引き出すことが出来るのか。
まずは当たり障りのない貴族院の話題で子爵との間を持たせつつ周囲の様子を探る。穏やかに微笑むローグシア子爵と、未だ戸惑いを隠さずにいるフェイリア、そして部屋の隅に控えたクラウディア。何を切っ掛けにどのような話を切り出すべきだろうか。僅かに彷徨わせた視線が、ふと惹きつけられるように窓へと向いた。大窓の向こうの中庭で、季節の花々が風に揺られている。色鮮やかなそれに、ほうと感心の息が漏れ出る。
「今年はレンビアが良く咲いていますよ。昨年から赤と黄の二種を植えさせたのですが、今年は色混じりの花があってなかなか目を楽しませてくれます」
その一瞬をローグシア子爵は見逃さなかったらしい。当たり障りの無い貴族院の話から、すぐ様庭の話題転換がされた。
「ああ、レンビアが。あれだけ立派な庭ですから、きっと見事なのでしょうね」
レンビアは、真っ直ぐに伸びる茎に沿って螺旋を描くようにフリルのような花をつける植物の事だ。色鮮やかなその花は、庭の情景を引き締めるのにとても効果的だが、反面飛び抜けて華やかであるために調和を取るのは難しい。特にこの規模の庭ともなれば、十数種類の花が咲き乱れている。余程腕の良い庭師に整えられているのか。
「ええ、気に入って頂けるかと思います。……フェイリア、カルディア子爵に中庭を案内させて貰いなさい」
ローグシア子爵に促され、フェイリアははいと答えてするりと優雅に席を立つ。……その一瞬、絹の靴下に覆われた細い足首と、そこに輝くアンクレットが見えた。
──ああ、これは本当に、随分と拗れて面倒な事になりそうだ。
苦々しい思いが込み上げてくるのを、何とか噛み潰して表情を抑える。
グリュンフェルド地方の未婚、又は未成年の女性は金属類のアクセサリーを付けない。そういう伝統がずっと続いている。
その筈なのに、フェイリアの足には確かに銀色の煌めきが見えた。
つまるところ。この女、婚約者のいる貴族の身で自由恋愛をしているのである。そうして、駄々をこねているのだ。
「カルディア、子爵様?」
戸惑い顔のフェイリアが躊躇いがちに声を掛けてくる。その左手がエスコートを求めるように浮かされているのを見て、ほんの少しばかり腹の底がむずがるような感覚がした。
その手をはっきりと一度見て、それから視線を彼女の瞳に合わせて会釈をする。こちらの手は差し出さないままに。
「……では、案内をよろしくお願い致します、フェイリア様」
「!!」
フェイリアの瞳に、一瞬にして冷ややかなものが浮かぶ。敢えてはっきりと呼んだ彼女の名に込めた感情を、どうやらきちんと読み取ってくれたらしい。
初対面の異性同士は、大きな年の差が無い限り殆ど名を呼ぶ事は無い。特に性別によるマナーに煩いグリュンフェルドでは、それが徹底されている。
「あの……!」
「はい、何でしょう?」
「…………っ、エスコートを」
「私はもう九つになりましたので、手を引いて頂かねば歩けない程ではありませんよ」
苛立ちにか顔を赤くさせるフェイリアをからかいつつ、ローグシア子爵の様子を伺った。相変わらずにこにことした、穏やかな笑みを浮かべたままだ。
しまったな、と内心で舌打ちする。ローグシア子爵の経歴を調べてくれば良かった。万が一にも彼が生粋のこの地方の者で無い場合、考えてきた対策がすべて無駄になる。グリュンフェルドの貴族の厄介かつ七面倒臭い習慣を網羅してきたというのに、実質の交渉相手となる子爵自身がその習慣に頓着していなければ、対策は全て無駄な徒労に終わるだろう。
「そうではなく、私のエスコートを。もう九つなのでしょう?」
「おや、これは失礼を。申し遅れましたが、私、正式には下級女子爵の位につかせて頂いております。手を取り合って庭を案内してもらうほどには未だそれほど親しくないと遠慮させて頂いていたのですが」
背後でクラウディアが珍しく溜息をつく気配がした。説得する相手に喧嘩を売ってどうする、という諌めだ。
「……女、子爵?」
ぽかん、と呆けるフェイリアに、なるほど、と内心で頷く。女が爵位につく事は、アークシア国内でも少ない事で、そしてグリュンフェルド地方では徹底して許されていない事だ。
「──そうですか、それで、そのような装いを……」
混乱する脳から漸く振り絞ったような、しどろもどろの声だった。その目には、先ほど以上の困惑と、それからもう一つ、複雑な感情がちらちらと揺らめいている。
それは恐らく、羨望や嫉妬といった感情だ。
哀れみでも、侮蔑でもないそれに、やっぱり再び内心で溜め息を零した。
観察すればするほど、フェイリアという娘がグリュンフェルドの女性像からかけ離れていく。
聞かされていた風習の、モデルにそのままなれそうなほど徹底して女性を排除した屋敷内。そのイメージの悉くを裏切る、ローグシア子爵とその令嬢。
──やっぱり、面倒だ。