44 厄介事の娘
王都の貴族街は、平民街とは八つの門を隔てて接している。中央には王宮があり、門から続く八つの大通りはまるで蜘蛛の巣のように横道で繋がれている。
私の街屋敷があるのは南東門の付近で、今日招かれたローグシア家の街屋敷は南門に程近い地区に建つ。意外と家同士は近いのだが、立地条件最悪のこの辺は馬車で行くと通れない横道が多いので、馬にそのまま乗っていく事にした。
馬に乗るならといつもの騎士礼装に袖を通す。
女性用の乗馬服というものは未だに開発されていないし、ドレスの裾を膨らませたり、広げたりする為の硬い枠を縫い付けた下着を着けるとなると、乗馬など不可能だ。
侍女や家庭教師には動きやすいよう、布を重ねたパニエが許されているというのに、それを動かす立場の者は見動きさえ不自由になる服装が求められる。まったく、実に不便なものだ……。
「随分な格好ですな、カルディア女子爵」
所が、これがローグシア家の使用人には大変な不評だった。
ローグシア家はグリュンフェルド地方の貴族であり、彼等は女性の社会進出に対して強い嫌悪感がある。アークシア王国全土でも伝統的に男性上位の風潮が強いが、グリュンフェルド程に女性に対して排他的ではない。
不愉快そうに皮肉られて、内心ではゴールトン夫人の事を思い出す。とはいえ、この程度の事にいちいち腹を立てるのも不様に思えて、ゆっくりと上品に小首を傾げてみた。
「法に則った正装ですが、何か問題が?」
「ここは貴族院のような公式の場ではありません。女性ならば、女性らしい品位に沿った服装を身につけるのが礼儀であるとは思いませんか」
「正式にお会いするのは初めてとなる貴方の主人に、略装で出向く方が礼儀に反すると思いますよ」
早くも返す言葉を失ったのか、使用人の男は苛立たしそうに沈黙した。後方では侍女姿のクラウディアが声を殺して笑っている。騎士になりたくとも性別のせいでその審査さえ受けられずにいる彼女は、固定観念的な女性の在り方に対して大変批判的なのだ。
使用人の案内で通されたローグシア家の内側は、徹底して男性ばかりの使用人しか見られなかった。
普通メイドが行うような仕事さえ、男性が行っている。伝統的に女性が行ってきた仕事を蔑視するのではなく、男性がその仕事を取り上げるようにしているらしい。思想と行動に矛盾が少なくて結構。
「旦那様、カルディア女子爵がお見えです」
「ああ、ようこそお出で下さいました、カルディア子爵」
使用人の案内の終着点は、日の光を目一杯に取り込む大窓のある応接室だった。窓の外には中庭があり、遮るものの無い日差しで室内は明るく暖かみがある。
「本日はお招き頂きまして、ありがとうございます」
「いえいえ、むしろ当家の問題のためにわざわざ足を運んで頂く事になってしまって、申し訳ないと思っています」
ローグシア子爵は人の良さそうな柔和な笑みを浮かべた、頭に白いものの混じる年頃の男性で、屋敷の雰囲気とは裏腹に物腰も柔らかい人物だった。席を勧められて着席すると、早速問題の当事者である御息女を呼んでくれる。
使用人のあの出会い頭の剣幕と比較すると、驚く程協力的で柔軟な姿勢である。しかし、子爵の態度と屋敷内の対比は見過ごせない違和感だった。
「……お父様、お呼びですか?」
事前に待機させていたのか、子爵の御息女はすぐに応接室へと顔を見せた。
明るく淡い白藍の髪が、窓からの光を浴びてきらきらと透き通る。可愛らしい少女だ、と思った。15歳と聞いていたが、父親似の柔和な顔立ちは年齢よりも幼く見えた。
「カルディア子爵。これが私の娘、フェイリアでございます」
少女の肩にそっと手をおきながら、ローグシア子爵が彼女を私に紹介する。少女は自分よりも年少の子供がそのような扱いを受けている事にか、酷く戸惑ったような表情を見せた。
「フェイリア、こちらはカルディア子爵だ。ご挨拶を」
「は、はい。私はフェイリア・ローグシアと申します、カルディア様……」
動揺しながらも、その声ははっきりと明瞭だった。意思の強そうな瞳が真っ直ぐに私を見据える。そこには貞淑さよりも彼女の活発そうな性格が見出だせるような気がして、内心で溜息を吐いた。
父親は柔軟かつ穏やかそうな人柄で、少なくともグリュンフェルド地方の特殊な風習を私に露出させる人ではない。娘の方は活発そうで、ちっとも従順そうには見えない。
「……エリザ・カルディアと申します。どうぞよろしくお願い致します」
実に面倒だ。もしもフェイリアのみがオーグレーン家の子息との婚約をただ嫌がっているだけでなく、ローグシア子爵までもがその婚約の取り消しに否やが無いというのであれば、言い含めるのが難しくなってしまう。
改めて、厄介な事を押し付けてくれたものだと北の貴族達を呪った。




