39 ノルドシュテルムの嫌がらせ
その日の議題は、やはり王都で広まっているリンダール王国の消滅危機についてから始まった。
四公国の中央に位置し、歴史的にも無視出来ないリンダール王国を、同じリンダールの名を名乗ろうとしている四公国は無視出来ない。
するとやはりその国土を連合公国のものとして組み込む必要が出て来るのだが、王国と公国では国際社会での扱いに大きく差が出る。建国したばかりの国を不遇に扱われたくないならば、周辺国の無用な顰蹙を買わない為にも無体な事は出来ない筈だ。
リンダール王国は地理的に四公国に囲われている為、他国の介入によって長らえさせる事は不可能。つまり、王国は確実に衰退し、その存在を消される運命にあるという事。
となると、アークシア王国としては、リンダール王国の完全な滅びが何時になるのか、連合公国の成立が何時になるのかが最も重要な事項となる。防衛の為に兵を動員し、警戒態勢を取るにも時間と費用が掛かるのだ。正確な情報を入手して、然るべき時のみにその労力を使いたいと思うのは、誰もが同じことのようだった。
「どうにか、もっと詳しい情報が手に入れば良いのだが……」
貴族達が頭を抱えて唸る。現在のアークシアはあまりにも閉鎖的過ぎて、他国の情報に疎い。外交大使と数名の商人のみが情報源なのだから当たり前だ。
国を開き情報が行き交わせる事が出来ないのであれば、諜報のための組織を作るべきだと思うのだが。まあ、今から作った所でリンダール情勢を知るには遅過ぎるか。
それにしても、諜報機関か……。情報は多いに越した事は無い。カルディア領軍にもそういった機関を設けられるよう、考えた方がいいだろうか。いや、どこからそんな人材を調達してくるのかという話ではあるが。
「──発言を宜しいかな」
ざわめき立つ貴族達の中でつらつらとスパイ軍団の妄想について頭を飛ばしていると、ふと、良く通る一言が耳についた。
淡々とした抑揚の無い、低く老いた声音。それは、二年も前からずっと警戒を強いられている相手──北の大貴族、ノルドシュテルム侯爵のものだった。
「……はい、どうぞ、ノルドシュテルム侯爵」
一瞬驚いた司会進行役の貴族がすぐに表情を取り繕って侯爵にに発言許可を出す。広間は打ったように静かになった。
「リンダール王国の情報が欲しい、という声が幾つか聞こえて来ましてね。私でよければ、プラナテスに個人的な伝手がある。少しは手に入れる事が出来るのだが、どうするかね?」
……へぇ。プラナテスに、個人的な伝手。デンゼルに、の間違いでなく?
その尊大な言い方を鼻白んで、胸中では盛大に揶揄した。デンゼルの盗賊団の情報を握っているこちらとしては、噴飯物の言葉である。プラナテスよりも、デンゼルにある反アークシアのテロ組織の方により仲良くしているのではないか、と。
「お、おお。本当ですか、それは心強い」
しかし、金貸しをしているノルドシュテルムは各方面との繋がりを持つ家である事も確かだ。友好国たるプラナテスに出入りする商人に個人的に深い付き合いがあるとでも考えたのか、貴族達は喜んでその提案に飛び乗った。
上手く貴族院を転がし、うっそりと陰惨な笑みを満足気に浮かべてみせたノルドシュテルム侯爵は、一瞬だけちらりと私に視線を向ける。悪意の灯った瞳が、馬鹿にしたように私を通って貴族院全体を見回した。
「では、頼みましたぞカルディア子爵。ミソルア神のお導きがそなたに良くありますよう」
アールクシャ教会の高位神官が私に向かって頭を下げる。そのすぐ後ろで、ノルドシュテルムの腰巾着ことオーグレーン子爵が、少しも隠す素振りすら見せずにニタニタと嫌らしい笑みを向けていた。
「……はい、承りました。必ず良い様に致しましょう」
頬が引き攣るのを何とか抑えると、随分と平坦で無機質な声の返事が喉から出て来た。今鏡を覗き込んだら、きっと私の額やこめかみには青筋が立っているに違いない。
厄介事を押し付けられた。しかもそれを押し付けたのはオーグレーン伯爵である。絶対に裏でノルドシュテルム侯爵が糸を引いているだろう、この非常に面倒な頼まれ事は。
──貴族院の今年一回目の通常集会が終わり、ノルドシュテルム侯爵の嫌な笑みに何となく気分が晴れないままに参加した、中規模の舞踏会。シーズン初期の夜会という事もあって、結構な人数が集まる中、オーグレーン伯爵が高位神官を引き連れてこちらに向かって来たのを見た瞬間にはもう嫌な予感はあった。
気分が悪いとかなんとか言って、彼らを見なかった事にしてとっとと逃げるべきだった。
根性が捩子曲がっているとしか思えないような面倒を押し付けられて、そうして貴族院でノルドシュテルム侯爵が見せたあの悪意たっぷりの眼差しの意味がやっと理解出来た。
「高位神官からのご命令で、オーグレーン伯爵のご子息とその婚約者殿の不和を解消させる、ねえ。随分な無理難題を押し付けられたね」
後悔に沈む私の肩を、クラウディアから事情を聴きだしたモードン卿が慰めるようにそっと叩く。
「仕様が無いよ、どうせ今夜逃げても、書面で送られてきただろうから、どうしたって断われなかっただろう。それにしても、本当に面倒な時期に面倒な事を思いつく。なかなか見下げ果てた根性をしているね、あの方々も」
モードン卿は敢えて言葉をぼかした。そこに含められたのは、勿論ノルドシュテルム一派の事である。
「……そうですね。十六歳の女性を完全に心変わりさせろなど、今年九歳になったばかりの私に頼む事ではありません」
それもわざわざ、絶対に私が断れないように高位神官まで引っ張り出して、だ。
法を守る教会の権力まで持ち出されて、秩序を守る為にぜひともこの縁談を円滑に進められるよう力を貸してくれなどと言われては、地方の一子爵である私に断る術は無い。
本当に、物凄く面倒な時期に、非常に厄介な事を押し付けてくれたものだ。
「相手の女性はローグシア家のご令嬢といったか?ローグシア家ならば、グリュンフェルド地方の貴族であるな」
一連のやり取りを全て私の侍女として見ていたクラウディアも流石に渋い顔である。
グリュンフェルド地方の貴族と言えば、そもそも女性の意志や意見がほぼ丸無視されるような風潮を持つ方々ではないか。わざわざこの忙しい時期に、絶対に尊重される事の無いご令嬢のお心を変えろとは、全く何の意味があるのか分からない。あの地方の女性であれば、自分の意志とは別に父親や祖父の言いつけに絶対服従するよう躾けられている筈なのだ。
「……とにかく、とりあえずはそのご令嬢と面識を持たねばなりませんね。テレジア伯爵に伝手があれば良いのですが」