表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
111/262

37 時は流れて

 花弁を浴びせられて領民から祝福を受けた八歳の誕生祝から、その後の生活は驚く程順調に、そして穏やかに過ぎていった。

 五歳の誕生祝を迎えてからというもの、ずっと慌ただしくしていた日々が嘘のように凪いで、そのまま季節が一巡りした。




 ガタゴトと揺れながら舗装された街道を走る馬車の中、暇を持て余した私はこの一年を振り返る。

 本当に、平和な一年だった。そしてそれはある意味では、停滞と同義だった。

 一年前から私の周囲の人間関係は何一つとして変わっていない。時折擦れ違うラトカには心が傷み、オルテンシオ夫人は避け気味になってしまったが、どちらともお互いに距離を保ったままずっと過ごしてきた。

 予定外の事は公私共に起こらぬまま、普段通り仕事に奔走して、気づいたら一年が過ぎてしまっていたと言った方が正しいのかもしれない。


「今年の初夏は涼しいな」


 向かい側の席で扇をはためかせながら、沈黙に暇を感じたのかテレジア伯爵が呟き声を落とす。

 空気が篭りがちな馬車内だというのに、蒸した感じは無く、ゆったりと寛げる。より大きな馬車を新調したのも理由の一つかも知れないが。


「そうですね。随分と過ごしやすいです」


 暇を持て余しているのは私も同じ事だったので、同意の声を上げた。テレジア伯爵はちらりと私を見て、会話をする気になったのか、最近の王都情勢について話し始める。


「春に王都を訪れた頃には、立太子問題の話はあまり聞こえて来なかった。二年も立つと流石に落ち着いてくる。代わりに囁かれていたのは、リンダール王国の終焉が近いという噂だな」


「リンダール王国が、ですか。まあ、二年前も言われていた事ではありましたが」


「いよいよという事なのだろう。立太子問題については、昨年の冬に通達されたアルバート殿下の修道会入りで完全に打ち止めになったという事もあるがな」


 昨年の夏を思い出しているのか、伯爵は視線を上の方に彷徨わせる。表情は苦虫を噛み潰したようで、第一王子の修道会入りの事を今でも伯爵がよく思っていない事が丸分かりだ。


「昨年の夏は大騒ぎだったようですからな」


 私の隣に座るクラウディアが口を挟む。昨年同様彼女が王都での私の侍女兼護衛をしてくれる予定だ。私の侍女を務められるのはクラウディア、ラトカ、エリーゼしか今のところいない。エリーゼは勿論健康上の理由から無理だし、ラトカは関係が改善出来ていない為に今年も留守番となった。


「大騒ぎどころか。事実上の廃嫡宣言に等しい。国王が何を考えているのか、私には解らぬ……」


 立太子問題の騒ぎについてはあまり細かく思い出したくもない事なのか、伯爵は呻くようにしてその苦悩を吐き出した。王家の考えが今でも読めないのが辛いのだろう。

 その理由が分からずとも、また納得がいかずとも、王が決めた事ならば必ず従わねばならない。それがこの国の定めなのだ。だが、その真意が分かるのと分からないのとでは心情的には大きく異なる。


「ともかく、リンダールの噂がそれ程に出回るのであれば、今年はより東方への警戒が必要となる。さて、どうしたものか……」


「伯爵、一度エインシュバルク王領伯とジューナス辺境伯と会合を持ちませんか。共同戦線を張るのであれば、貴族院を間に挟むよりも余程円滑に話が出来るかと思うのですが」


「無論その通りではあるが、問題はジューナスの辺境伯夫人だ。夫人のカルディア嫌いは如何ともし難い」


 はぁ、と重々しい溜息と共に、伯爵は目元を左手の平で覆う。途端に彼が色褪せたように見えて、私は目を眇めた。

 こうして見ると、随分と老け込んだ、と思う。初めて彼を見たあの日の夜からたった四年しか経っていないというのに。

 二年前に体調を崩して以降、伯爵の仕事は出来る限り多く私に回すようにしたが、それでも今も伯爵の労働量は普通ではない。もう無茶の出来る身体ではないのに、彼は手が空いたらその分だけ仕事を更に抱え込むのだ。完全なる仕事中毒である。最近は寝込んでこそいないが、体調の方はどうだかあやしい。唐突に死んだりしなければ良いが。


「そもそも、どのような話し合いをするのかも事前に固めておかねばならぬ。私は軍事は専門外なのだ。エインシュバルクが居るから無理を通されるような事は無かろうが、こちらでも要求される事とする事をきちんと把握しておかねば」


 テレジア伯爵は呟くようにしてそうぶつぶつ言い始めた。

 それを見て、隣のクラウディアに視線を移す。軍事の専門といえば、アークシアではローレンツォレルが最も名高い。


 その意図を正確に理解したであろうクラウディアは、少し待てと言うふうに左手を上げて私に手の平を見せた。そうして、口元に指先を当てて考え込んでしまう。

 クラウディアは生家との関係があまり良くない……というよりは、ほぼ絶縁に近い状況を保っている。そう簡単に力を貸せるとは言えないのだろう。


 ……テレジア伯爵の力を借りて我が領土に騎士団の設立を申し出てみようか。そんな事を、ぼんやりと考える。この国には私設騎士団と国設騎士団の二種類が存在する。

 国設騎士団は正式には王国軍の部隊の一つであり、王国軍の軍人の中から移動で騎士になる者も存在する。私設の方は、伯爵以上の貴族が貴族院と教会に許可を得て編成する騎士称号を与えられた私兵団の事だ。

 但しこれには騎士の任命に厳しい人数制限と審査が掛かり、設立時には創立団員として審査に受かる騎士が最低二人は必要となる。

 まあ、クラウディアならば審査を通るのではないだろうか。確か審査項目に性別は無かった筈だ。後の一人は誰が適任だろう?実力から言えばテオメルだが、受けて貰えるだろうか。

 特別東方国境防衛費用を受け取る三つの領の中で、騎士団を有していないのはカルディア領だけである。今なら提案も通るのではないだろうか。


 これもテレジア伯爵と相談して、細かい所を詰める必要がある。……そういえば、私は何もかも伯爵と相談して決めている。それは判断する力が今の私には不足しているからだ。

 やはり彼に今倒れられるのは困る。そちらもそろそろ、何か対策を考えなければならないか。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ