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35 アスランの宣誓

 雲が晴れれば、雪解けは速い。

 黄金丘の周囲の雪が完全に融けたのを見計らって、冬の間に何事も無く過ごせたか領内の村を回った。ついでに新入領民の村に行って、水が完全に捌けている事を確認する。


「今年もゴミが酷いな」


 顔を顰めてテオメルがそう呟く。新入領民の村は、石の道を引いたところは一段高いので綺麗なままだが、未だ土が露出している部分には枯れ枝や藻等が散乱してぐちゃぐちゃだった。所々に泥濘が残っていて、よく見ると何と小魚が跳ねている。水が引く時に逃げ遅れたのだろうか。


「魚が労せず手に入るのが今の所の利点だな」


 僅かに苦笑しながら、テオメルは連れてきた戦士達に魚を拾えと指示を出す。あまり慣れた手つきでは無く、泥塗れになりながらも大方が回収し終わったのは二刻後だった。


「川で身体を洗ってから帰ろう。今の時間では風呂も沸いていないだろう」


 冬の間、新入領民達は領軍の浴場設備を順番に借りているが、あの風呂の水は食事を作る時にしか湯にならない。

 炎を自動調節できる技術とそれを支える燃料さえあればもう少しマシな入浴施設も作れそうなのだが、そんな余裕はカルディア領には無い。残念ながら、領民にはまだ風呂はお披露目出来なさそうだ。カミルの遺した数少ないお願いも、叶えるのはずっとずっと先になるだろう。

 ……金も人手も時間も足りない。そろそろ思いついたのに実行できないというアイデア達を、紙かなにかに纏めたほうが良いかもしれない。やろうと思った事を出来る様になった時に忘れていては意味が無い。




 朝から領軍の人手も総出となって、新入領民達の天幕や生活用具を纏めて馬の背に乗せる。みっしりと天幕が広がっていた隣の丘は、昼ごろにはすっかり様変わりしてしまった。


「なんだか、こうしていると遊牧の生活に戻ったみたいだねぇ」


 私の隣で同じように周囲を見回したレカが、実に面白そうに言う。大した労働力にならない子供達は邪魔にならないように私の後ろに集められて、天幕を固定する金具を数を揃えて縛る作業を延々と繰り返していた。私が寝泊まりしていた天幕にいたシル族の子供達だけでなく、隣の新入領民の子供や、普段は親元に居る子供達まで勢揃いしている。


「残念だが、それも今日で終わりだ。来年には家が出来ているように頑張るからな」


「エリザ様が頑張るっていうなら、多分本当にそうなるんだよね。(キラーィー)は嘘はつかないんでしょ?」


「まあ、領主の言葉は宣誓に近いからな。不確定な事はあまり言ってはいけないんだ」


 ふうん、とレカは返事をして、金具纏めの仕事へと戻った。私も少し手伝うかとそれについて隣に座り込む。丁度目の前にティーラもしゃがみ込んでいて、目が合うとにっこりと笑いかけられた。

 兵士達が置いて行った大量の細長い金具を十本ほど引き寄せ、土を雑巾でぬぐってから再度数えて縄で縛った。この縄は冬の間に新入領民達が用意したものだ。


「ところで。時々君たちは私の事だか領主の事だかを(キラーィー)と呼ぶが、それは何故だ?この国の王はアークシア国王ただ一人でなければならないんだが」


 手を動かしながら、丁度良いタイミングかと思ってそう尋ねる。何度か呼ばれた事があるその呼称は、その度に少し引っかかっていた。アルトラス語の分かる他の貴族などに聞かれてみろ、私がシル族の王に立とうと翻意をもっているとも取られ兼ねないだろう。


「え?うーん、だって領軍の人たちだってツァーリって呼んでるよぉ?」


「なに、ツァーリの意味を知っているのか?」


 私はその、ツァーリ、という言葉の意味をずっと知らないままだ。語学に堪能なマレシャン夫人ですら知らず、カミルが呼び始めた言葉で、いつの間にか領軍には広まっていた。そのため、アークシアでは殆ど話されない言語をカミルが持ち込んだのか、あるいは造語の類ではないかとすら思っていた。

 だからこそ、シル族の出身であるレカがそれを知っていた事に驚く。これは最も薄いと思っていた線、ユグフェナ地方に残る古語の可能性が高いだろうか。ユグフェナの地でかつて使われていた言葉とアルトラス語は、同じ言葉を元にして生まれてきた言語だ。自然、似ている単語や共通する単語も多い。


「えっとね……僕達が(キラーィー)って呼ぶのは、氏長の更にその長の事をそう呼ぶからだよ。それだけ」


 それだけ、と言いながら、レカはにんまりと含みのある笑い方をした。悪巧みをしているような顔だったが、追求するには根拠が足りず、そうかと頷くより他にない。ふと顔を上げると、会話を聞いていたのか向かいにいるティーラもレカと同じにんまり笑いでこちらを見ていた。


「よし、そろそろ移動を始めるぞ!ほら移動だ、先頭はギュンターだ!」


 遠くでテオメルがそう号令を掛けたのが聞こえてくる。先導役をテオメルとギュンターと、どちらがやるかはなんだか揉めていたが、無事にギュンターに決まったらしい。あの二人は冬の訓練中に随分と意気の合う友人同士になったようだ。年の頃も近いからだろうか。


「移動が始まったね」


 最後の金具をギュッと縄で縛ってそう言ったティーラは、少し寂しげな声をしていた。周りの子供達を見回すと、彼女と同じように寂しそうな者、わくわくしている者、嬉しそうな者と子供達は様々に表情を浮かべている。

 その中に、最近よく見知った仲になった蒼銀色の髪の子供が混じっていない事に気が付いた。彼は同年代の中でも成長が早いのか頭一つ抜けた身長をしていて、しかもあの髪色のために探さずとも目立つ。なのに態々探しても見つからないという事は、ここに居ないという事だ。


「そういえば、今日はアスランはどうしたんだ?」


「さぁ?体が大きいから、もう少し年上の子たちの方でお仕事しているのかも」


 十歳ぐらいからの子供達は、女達が担当する布類を纏めて馬の背に乗せる仕事を手伝っている。首を上げて周囲を見渡したが、その仕事はここの子供達と違って一か所に集められているわけでもないので全く見つけられなかった。


「何かアスランに用なの?」


「いや。姿が見えないから気になっただけだ」


「ふうん。でも、丁度そのアスランが戻ってきたみたいだよ?」


 レカが私の背後を指してそう言うので、私は立ち上がりながら振り向いた。そこには馬を数頭連れて数人の子供達がこちらに向かってくる姿があり、その中にアスランの蒼銀の髪が見える。


「お待たせ!馬連れて来たよ、はい、じゃあ金具積んじゃおう」


 先頭にいた十五歳ぐらいの女の子が、リーダー格なのか号令を掛けた。馬を連れてきた子供達はここに居る子供達よりも皆少し大きく、話題に上がった方の子供達であるという事が一目で分かる。自分達の仕事が終わったので、こちらの纏めた金具を運びながら子供達を連れて行く仕事を新たに言いつけられたのだろう。

 その中で、何故かアスランは私の方へと寄ってきて、私の肩をぽんと叩いた。


「エリザ様、少し話があるんだ」


 話とはなんだ。今せねばならない事なのか。渡された麻袋に詰めるべく金具を両手に持った状態で、私はアスランに黙ったまま向き直る。アスランは特に重大な事でもないのか、気負いもなくさらりと一言、


「俺、今日から領軍に入る」


 ……簡潔な調子で結構な爆弾を投下した。


「……は?」


 話があると言っておきながら、アスランの言葉は一方的な宣誓である。

 私は何がどうなってそうなったのか全く分からないまま、自分よりいくらか背の高いアスランを一瞬ぽかんと見上げた。


「シル族の戦士になれない俺でも、カルディア領の──(キラーィー)の戦士にはなれるんだろ。だから、俺は領軍に入る。入って、ここに残るよ」


 丁度新兵を募る予定ではあったが、予想外のところから希望者第一号が現れたものである。

 決然と言い放った少年の、真っ直ぐな眼差しを受け止めて、私の顔は自動的に真顔になった。そうして出来る限り優雅に立ち上がり、頷く。


「入隊を許そう。君の活躍を期待している。──私の戦士になってくれて、ありがとう」

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