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32 面会

 新入領民の簡易村と黄金丘の館の往復生活にもすっかり慣れきり、カルディア中央の領主館建設を急がせようか等と考え始めた冬の終わり。


「エタ……エル……エレ……」


 仕事を片付け、簡易村へ戻ろうと館をでたあたりで、頭上からぶつぶつとそんな声が降ってきた。

 何だ?

 不審気に頭上の窓を振り仰げば、曇り空の下だろうと輝かしい金蜜色がちらり。


「エリ……、エリザ殿!!」


「…………。はい、何でしょう」


 衝動的に溜息を吐きたくなるのを呑み込んで、返事をした。この疲れるような感覚も久々だ。

 無論、声の主はクラウディアである。奇妙な呟きは名前を間違えんとする彼女なりの努力なのだろうか。


「久方ぶりに顔を見た!二月以上ぶりだぞ」


 若干興奮気味のクラウディアは、目一杯窓枠から身を乗り出して、にっかりと私に向かって笑いかける。


「危ないですよ、クラウディ──」


 クラウディア殿、と呼び掛けるつもりだった声は、途中で途切れる事になった。何故ならば、落ちそうで危ないと警告した瞬間、本人が窓枠を軸に前転したからだ。


 当然、クラウディアは二階の窓から落下してくる。

 息を呑んだ。心臓が止まったような気がした。


「ん?何か言ったか?」


 ──すちゃ、と。猫のように柔軟な動作で危なげなく着陸した本人は、暢気な様子で私に向き直る。

 開いた口を塞ぐ事が出来なかった。本当にこの人、何なんだ。ありえない。乙女ゲームの世界から少年漫画の世界にどうか早く帰ってほしい。

 とは言え、本当に居なくなられたら非常に困った事になるのだが。


 あんまりにも衝撃的だったその光景に、足元から脳天までぶるりと震えが走る。その怒りとも呆れともつかない激情を、行儀が悪いとは思いつつも、怒声として吐き出した。


「何を考えているんですか、二階から飛び降りるなどと!」


「うわっ!?」


 異様に耳が良いクラウディアは、突然の私の怒鳴り声に驚いて耳を塞ぐ。空色の瞳を真ん丸にして私を見ているが、構わずに強い語気を保ったまま言葉を続けた。


「あまりにも常識外れな行動は控えて下さい。心臓が止まるかと思いました」


「エリザ殿……」


 ぽかんとした表情のまま、クラウディアが私の名を呼ぶ。そうして、何が嬉しいのやら、眩しい程に邪気の無い笑顔を浮かべた。ああ、こうして見ると本当に子供のような笑みだ。純真過ぎる。


「分かった、もうしないと誓おう。そんなに心配をかけてしまうとは、思わなかったのだ」


「は?」


 心配をかけるって?

 彼女の口から予想だにしなかった単語が飛び出して来て、今度はこちらが間抜けな呆け顔を晒す嵌めになった。


「私が怪我をするのではないかと心配してくれたのであろう?」


 にこにこと笑うクラウディアに、あらゆる気力がごっそりと持っていかれた気がした。項垂れつつももういいです、と返したが、どうにもクラウディアには堪えた様子は無い。


「ええと、それで……私に何の用だったのでしょうか……」


 多少投げ槍な態度になったのも、仕方ないと思う。クラウディアはそうそう、と言いながら、手をポンと打った。そういうマイペースさ、本当にね……暫くぶりに疲れる。カーテン相手に格闘しているような気分だ。


「エリーゼ殿から頼まれてな」


 目的語が抜けているので全く意味が分からない。顔を引き攣らせた私だったが、クラウディアはお構いなしに私の手首を握った。

 一体何なんだ。


「さ、行こうではないか」


 何処へ。




 クラウディアに引き摺られてやって来たのは、頼まれたという言葉から連想した通り、療養中のエリーゼの部屋だった。


「まぁ、エリザ様」


 エリーゼは単純に喜んでいるようだったが、部屋の隅にいる侍女姿のラトカは表情が凍り付いている。私の方も非常に気不味い思いながらも、取り敢えず目の前のエリーゼ嬢を優先させてその存在を意識の外へと追いやった。


「お久しぶりです、エリーゼ様。長らく顔を見せられず申し訳ございません」


 冬に入ってからは時間に少し自由があったにも関わらず、ずっと意図してここを避けていた為に罪悪感が大きい。


「いいえ、そんな。エリザ様は領主のお仕事でお忙しいのですから。それにその代わり、エリーゼを私の元へ遣わして下さったではありませんか。それだけで、十分お心遣いを頂いておりますわ」


「それなら、良いのですが。最近は少し発作が出るようになったと伺いましたが、その後いかがでしょうか?」


 エリーゼは私からそっと視線を外して、どこか寂しげな表情をしてみせた。不安が一目で見て取れるようなそれに、こちらも心がきゅっと苦しくなる。


「また……外へ出られなくなってしまいました。でも大丈夫、ここへ来たばかりの頃よりは悪くなっている訳ではないのです」


「エリーゼ殿……」


 気丈に振る舞う少女に、唐突に彼女がもしシル族の子供達と遊べたなら、という思いがこみ上げる。彼らのように駆け回って遊ぶことは出来ずとも、その日々を話すだけで彼女の慰めにならないだろうか。

 ……シル族の子供を何人か招けるよう、考えてもいいかもしれない。テレジア伯爵に要相談の案件ではあるが、療養の名目で預かっている以上、エリーゼの健康を促進させるのは私の義務だ。

 脳内で候補をリストアップし始めた私を置いて、エリーゼは楽しげにラトカとマーヤとの日々を話し始める。それしか話す事も無いのだろうと思えば、やはりその案は一考に値すると感じる。


「エリーゼを遣わした事で、エリーゼ様が少しでも楽しく過ごされているのであれば、良うございました」


「はい。とても──楽しくて。本当にありがとうございます」


 はにかんだようなエリーゼの笑みは、酷く心を打たれるような純真なものだった。

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