31 領軍再編成
冬の最後の月に入れば、雪の晴れ間が少しずつ増える。誕生祝まではまだ暫く時間があるけれど、私の8歳の誕生日ももう過ぎた。
「テオ、どうだろう?」
シル族の戦士達に騎馬民族流の馬の扱い方を叩き込まれた三ヶ月の成果を、領軍を率いる立場であるテオに確認して貰う。テオは真剣な表情で私達の隊列走行や方向転換の様子を確認しており、声を掛けるとすっと片手を上げた。
「アジールとカルヴァンの隊は良いだろう。号令に対して反応も早いし、馬脚も揃っている。ギュンターの隊も概ねは問題無い。だがレナンとロクスの隊は、今一つだな。もう少し馬に慣れないと」
名指しで駄目出しされたレナン、ロクスとその隊員が息を切らしながらもその言葉に頷く。この二つの隊は今年の春に新たに領軍に入った者達ばかりが集まっていて、他の隊と比べるとどうしてもまだ馬の扱いに粗が目立つ。見習い兵士の期間を終え、騎馬兵としての訓練を始めたのは秋からなので、それも仕方がない事なのだが。
ともあれ、今日の訓練はこれで終わりだ。兵士に解散を言い渡し、私も馬から降りる。
そこへ何かを考えた風のテオがやって来た。気遣いが良い事に汗を拭うための布を持っている。それを私に差し出しながら、テオは用件を切り出した。
「……御館様、提案があるんだが」
「ちょっと待った。俺達も御館様に提案したい事がある」
何だ、と返事をする前に横から声が被せられる。視線を向けると、ギュンターがその左右後ろにカルヴァンとアジールを連れてこちらへ向かって来る所だった。
「分かった、両方の提案を聞こう。端的に述べてくれ」
取り敢えずその提案とやらを聞いて、どちらを優先させるか決める事にする。テオとギュンターはアイコンタクトだけで先後を決めたらしく、テオから口を開いた。
「じゃあ言うが。カルディア領軍を騎馬兵隊だけにした方がいいと俺は思う」
あっさりとした提言だ。理由は恐らく、騎馬兵隊と領軍のもう半分──歩兵部隊との練度の差にある。
新設部隊だからと、騎馬兵隊には力が入る。向いていると判断された兵は他の一切の能力を置いて騎馬兵隊に組み込まれ、訓練も領主と共に綿密に行われる。畢竟、余り物の寄せ集めとなった歩兵部隊は練度も士気も下がり続けている。
そもそもが、アークシアでは歩兵と騎馬兵は扱いからして異なる。突貫力と機動力に勝り、馬の操作という特別な訓練を必要とする騎馬兵は通常、歩兵よりも高い階級を獲得する。王国軍では騎士団に相当し、所属するものは騎士爵の地位を得るほどなのだ。
「……ギュンターは」
「俺の提案は、俺を歩兵部隊の隊長にしてくれないかって事だな」
は、と。口から惚けた声が漏れるのだけはなんとか阻止した。
ギュンターとテオが睨み合う。それはそうだろう、お互いの提案は同じ問題の解決策として真っ向からぶつかり合っている。
「ギュンター、それでいいのか?」
それよりも驚いたのは、実質騎馬兵隊の隊長格であるギュンターが、それを擲って歩兵部隊へと降りようとしている点だ。
これまで領軍は、その前身となったのが父の悪政から結成された盗賊団だったという特異さのために、細かな階級の制定をしてこなかった。領軍のリーダーとして、最も腕の立つ上にそこそこ頭も回るギュンターを置いてあっただけだ。
隊長にしてくれ、というギュンターの言葉は、その今まで無かった階級制度を領軍に作ってくれ、という事になる。
そしてその中で、騎馬兵よりも階級が下がる歩兵の隊長になるという事は、彼が領軍のトップから降りる事に他ならない。
「ああ。俺は歩兵を叩き直す。騎馬兵隊はアジールとカルヴァンが二人で率いる。最古参と最年長という事もあって、兵からの信頼は厚い」
ギュンターの少し後ろで、二人が私に礼を取る。アジールは今までもギュンターの補佐を務めていたため知っているが、カルヴァンという初老の男はあまりいままで注目した事は無かった。兵士にしては──そして元盗賊にしては──随分と穏やかな雰囲気で、視線を合わせると目礼を返してきた。
「では、その二人が領軍指揮官になると?」
全員集まっても一個師団にも満たない小規模な領軍の階級は、人数が少ない為に単純なものとなる。頂点には私、領主が収まり、その下に領軍指揮官が数名。更にその下に隊長が付き、隊長には補佐が付く。後は一般兵と見習い兵の区別しかない。今は私、暫定リーダー、一般兵と見習い兵という更に杜撰な上下関係となっているが。
「いや、俺達三人が隊長と領軍指揮官を兼任する」
「駄目だ。指揮官と隊長の役割は根本から異なる。指揮官は指示を出すものであり、隊長は指示を受けて兵を率いる者。兼任はさせられない、不可能だ」
眉を顰めてその申し出を即時却下した。指揮官は通常軍の後方にあり、隊長は軍の先頭を行く存在であって相容れない。そもそも、指揮官が前線に立って行動不能に陥れば、指揮系統が壊滅する。それでは態々階級制を取り入れる意味が無くなってしまう。
このタイミングで領軍の体系を整えたいという思いは分かる。
ギュンターには、先日の王からの通知とそれに関連して国家関係の悪化の可能性を伝えてある。来るかもしれない戦に備えたいのは私も同じだ。
きちんとした領軍基地が出来てから、二年と少しが過ぎた。盗賊団の延長線に過ぎなかったものが、規律の下に生活を送るようになり、私の命令で実際に任務に当たるようになって、軍としての意識を高めたのも分かっている。
だが軍隊としてのかたちを整えるためには、圧倒的に所属兵も経験も教育も足りていないのが現実だ。
取り分け教育に関しては、私の護衛や軍の書類仕事と並行してクラウディア一人が当たっているのが現状であり、完全に間に合っていないのである。
いまだ領軍が抱える様々な問題を頭に浮かべながらもギュンターを見上げると、提案をすっぱり却下された筈なのだが、随分と涼しい顔をしていた。最初から断れる事が分かっていたといわんばかりだ。
「それなら、もう少し軍の規模が大きくなるまでは指揮官は要らない。俺達三人で隊長を務める。今まで通り、お館様が全軍を指揮するのが良いだろう。兵士が増えた訳でもないからな。どうせ俺達以外に兵に指示を出せる奴はいない。そういう奴が領軍に入ったら、或いは育ててから指揮官は設置すればいい」
「……まあ、妥当か」
そういう奴が領軍に入ったら、という所にやけに力が入っている。早くクラウディアに正式な領軍の籍を与えろという副音声が聞こえてきてしまった。その後にちらりとテオを見たあたり、シル族の戦士達を領軍へ統合させようと考えているのも見通されているらしい。まだその事は伝えてなかった筈なのだが。
「なんだかよくわからないが、ギュンターが歩兵を鍛え直すんだな?なら、俺の提案は不要だったな」
私が妥当と頷いたことで、大人しく話の成り行きを聞いていたテオが引き下がる。今の所テオは領軍の部外者なので、これもまた妥当な行動である。
「いや、提言自体は無駄ではない。感謝するよ、テオメル。ギュンター、領軍の編成については少し待て。考えておく」
組織作りを一人でするには、私には知識が足りない。考えておくというのはつまり、テレジア伯爵と相談するという意味だ。ギュンターも分かっていたのか、特に異議もなく了承した。
春の雪解けまでには新体制を徹底し、ついでにそろそろ志願兵の増加も図りたい。私への悪感情が緩和しているクラリア村を中心に、少し応募をかけてみるべきか。