29 アルトラスの残影
今日の昼食は、トゥールパ入りの南瓜のポタージュとマミヤである。
発酵乳製品などアークシアでは食べた事がない。最初の頃は口に入れる度『貴重な物を食べている』と感じていたのだが、大体二日おきに出される為もう慣れてしまった。
トゥールパは黒麦を煎って挽いた粉にしたものをバター、或いはバター茶で練ったもので、非常に素朴な味がする。アークシアの一般的な食事には無かった食感で、私のお気に入りでもある。南瓜のポタージュに砂糖を入れたりすれば、立派な甘味になりそうだ。
むぐむぐとそれらを食べている中、周囲に座る子供達のぽつぽつとしたお喋りの話題が、今日の午後からの予定へと移行した。
「今日はね、大人達が領軍の人に馬のお世話の仕方を教えに行くんだって」
「えー、馬の世話くらい俺らだってわかるじゃん」
「カルディアの人達はお馬をあんまり飼わないからってエリザさまが言ってたでしょ。農村の子と同じ」
農村の子、と彼等が呼ぶのは隣の天幕にいる農耕民の孤児達だ。遊牧民の彼等と農村育ちの子供達では出来る仕事も生活スタイルも大きく異なるため、天幕単位で管理される現状では一緒に暮らす事は不可能らしい。
彼等が自分達のように、生活に必ずしも馬を必要とするわけではない事を思い浮かべたのか、子供達は確かに確かにと頷き合う。
ところが。
「同じじゃないだろ。領軍は王の戦士だ」
私のすぐ後ろに座っていた子供の一人が、鋭くそんな声を上げた。
「戦士になれない奴等は下民なんだろ、一緒にするな」
「もー、まだそんな事言ってるの、アスラン」
うんざり、といった調子で周囲の子に諌められ、押し黙ったその子供を振り返る。
アスランと呼ばれたその子は、むっつりと不機嫌そうに俯く、蒼髪の少年だった。目元には影を帯びて尚、白藍に似た青掛かった銀の瞳の奥には強い光が灯っている。
彼は普段は殆ど私に近付いて来ないタイプの為、顔と名が一致していなかった。なる程、彼がアスランか。
「アスランはね、お母さんはシル族人でジューガル氏の人だけど、お父さんは農村の人だったの」
私が彼を見ている事に気付いたのか、隣に座っている少女が小さな声でそう説明してくれた。彼女はちらりとアスランを一瞥し、躊躇いがちに話を続ける。
「デンゼルとの戦いが沢山起こるようになった頃、アスランのお父さんはジューガルの戦士になろうとしたんだよ。でも、シル族の戦士は一族出身の男の人しかなれないから。それで、結局お父さんは戦えないまま、デンゼル人にお母さんと一緒に殺されちゃったんだって……」
「……そうか」
悼ましい話だ、と思う。
シル族の中では、戦う者とそうでないものの役割の区別が明確にされている。戦士と呼ばれる戦う者達は、氏族の共有財産である馬を二頭ずつ与えられ、幼少期から槍や弓の扱いを覚える。戦士になるための条件は氏族によって多少のばらつきがあるものの、氏族出身の男児でなくてはならない事は共通している。
ジューガル氏は男系の一族だ。父親が余所の出身であるアスランもまた、どんなに望んだとしても戦士になる事は出来ない。
アスランの事情については分かったが、もう一つ気になる事がある。食事に戻ろうとする少女を呼び止め、今度はこちらから質問をした。
「……彼が言った、下民というのは何だ?」
話の流れからして、恐らくシル族以外の出身者──農耕民の事だろう。だが、下民という差別的な呼称をされる程にシル族と農耕民の間に大きな隔たりがあるようには感じない。
ましてカルディア領に移り住んだ今、シル族は遊牧の生活を捨てて農耕民の生活様式に倣わなくてはならなくなった。出身の区別をつけて生活する余裕など無い筈。
「ああ……えっとね。昔は、シル族は国を守る戦士の王の槍で、農村の人達より偉かったから、なんだって」
本人もよく分かってないような答えが返ってきたが、その一言だけで『下民』なる言葉の由来が理解出来た。
王の槍はアルトラスの貴族階級、国家の支配層を表す言葉だ。つまり、アルトラスが存在した頃の身分の名残が残っているという事なのだろう。
手に持っていたトゥールパの椀を置いて立ち上がる。視界の端で隣の少女がぱちぱちと瞼を瞬かせた。それに構わず、私はアスラン少年の前へと歩く。
突然一人立ち上がった私に、自然と周囲の子供達の視線が集中した。私がアスランの正面に立っていることを、今や俯いている本人だけが気付いていない。
「アスラン」
声を掛けると、少年は勢い良く顔を上げた。驚いたように青銀の目を真ん丸にして私を見上げる。
「なに……?」
「先程の言葉が少し聞こえてしまってね。『下民』と言ったか?」
おずおずとアスランは頷いた。何故私が自分に話し掛けてくるのか全く分からないといった、戸惑いの表情を浮かべながら。
「もう二度とその言葉を使うな。シル族は最早アークシアの民であって、アルトラスの民ではない。アークシアに於いて、シル族は只の平民に過ぎない。平民は国王陛下の下、貴族の下に区別無く平等だ」
シル族の上に立つ存在は在れど、下に立つ存在は既に存在しないのだと、少々強めの調子でそれを説く。
自分の言葉を咎められたのだと理解したのか、アスランは口をへの字に曲げながら「分かった」と渋々に呟いた。