28 王子の追放
シル族の子供達に紛れて送る生活は、心穏やかに過ぎていく。心が平静に在りてこそ、己の形を探る事が出来るというものだ。
同じ年頃の子供と過ごす事によって、私は自分の異様さを客観的に見つめ直していた。
いや、嫌でも浮き彫りにされる私の未熟さと不安定さに、向き合わなければならなかったと言った方が正しいだろうか。
認めよう。私の精神は幼い。
日々を共に過ごすようになったシル族の子供達よりなお幼く拙い。エリザとして生まれ、生きてきた、八年相当の成長さえ出来ていない。
一方で、何の間違いか継承してしまった前世の記憶が私を大人に見せかけている。
確かに理性はその記憶に倣った。エリザとしての自我が確立していなかった頃、その記憶を己の人格の代用にしていた事も事実だ。
だが、あくまでそれは前世の女の記憶であって、私の体験ではない。私は彼女の意志や感情からは断絶されているのだ。それをなぞった所で、私の精神性が成長を果たす事などありえない。
そしてその醜く歪な内面が、私の周囲に混乱を撒き散らしている。
私を大人として、庇護者として見るラトカ。私を責任ある大人として接するテレジア伯爵。彼等に応えるには、あまりにも私の心は未熟だった。
そして、私を子供として扱おうとしたオルテンシオ夫人。彼女の手に甘えるのは、自分の責任を全て投げ出すようなものだった。自分の力で立つことをやめてしまう行為だった。私の罪は、決して私にそれを許しはしない。
自分自身を知らない者が、どうして正しく他人に信を置く事が出来るだろう。
カミルの死の痛みから逃れようと、前世の記憶をなぞり見せかけの信頼を表したところで、それは単なる侮辱でしかない。
そんな事にさえ今まで気付けなかった自分は、救いようもなく愚かしい。
その愚かさを自嘲に走る事なく認められたのは、偏に子供達のお陰だった。
彼等は私が領主である事を知っている。だが、私がただの子供である事もまた理解していて、そしてその事実を私にそっと突き付ける。
……まあ、それを認めたところで、受け入れるにはまだ感情の整理に時間が掛かりそうではあるが。
子供達とそのひとひらを見つめた雪はそのまま四半月の間降り続けた。ようやく雲が切れたのは、もう冬の季節も折り返しを迎えようという頃。
十五月。後二月で、今年も終わりだ。
その僅かな晴れ間を縫うようにして、王都から一羽の鳩が飛んできた。
「通告書だ。それも、王家のものだった」
色を無くしたテレジア伯爵が、力無くその便箋を私に差し出す。そこには確かに王の御璽が押されている。
その痛切な雰囲気に、前に伯爵と顔を直接合わせたのがラトカの部屋であった事も忘れて、私は襟元を改めた。
「その、王は何と?」
内容を尋ねると、珍しくテレジア伯爵が口籠った。普段は理知的な深みを写す瞳が猜疑を灯して通知書を見下ろしている。まるでそこに書かれた内容を、認めたくないとでもいうように。
伯爵は暫く私の問いに答えあぐねていたが、軈てぽつりと、小さく言葉を落とした。
「……アルバート王子の、修道会入りが決定したと」
──は?
伯爵の執務室に、ガタリと喧しく家具の動く音が響く。一瞬遅れてそれが自分が腰を浮かせた音であると気づいた。
「まさか、そんな」
私の口からは伯爵と同じく猜疑の言葉が勝手に漏れ出す。
当たり前だ。信じられない、という思いで頭が一杯だった。
「王子を、王家から追放するというのですか?」
「……修道会へ入るという事は、そうであろうな」
馬鹿な。そんな馬鹿な事が、あるか。
何故今なのだ。王太子の地位から遠ざけられただけで、プラナテスを十分に刺激しただろうに。
その上、王家から放逐して一体何になるというのか。そんな事は、まるで、
「王家と教会の方々は、戦争を望んでいらっしゃるのですか……?」
呆然とその言葉を呟くと、テレジア伯爵は眉尻を跳ね上げた。
「口を慎みなさい」
ぴしゃりと言われ、ハッとして口が過ぎた事を謝罪する。如何にテレジア伯爵相手であっても、言ってはならない事を言った。
アークシア王国はその前身である神聖アール・クシャ法王国時代より、ずっとクシャ教の信徒の保護のためだけに力を振るってきた。
戦争とは、防衛戦と同義の言葉。他国に挑発を振り撒いて宣戦布告を狙うような事さえ、この国では認められない。
「では、事情があるという事ですか。プラナテス、或いはリンダール連合を敵に回す危険すら押して、アルバート王子を王座から遠ざけねばならない事情が」
自分の喉から出た筈の声は、酷く冷たいものだった。
当たり前だ。もしプラナテスが敵対国となれば、東国境防衛線に組み込まれているカルディア領は無関係では済まされない。
開戦ともなれば、領軍の兵を動員するだけでは足りない。領民さえも戦場へと駆り出さねばならなくなる。まして兵の少ないカルディア領軍は、補填が出来ない分すぐに徴兵の必要性が出てしまう。
民を戦わせるのか。そんな不明瞭な理由の為に。
罪を贖うと定めた者達を、戦場へと追いやらねばならなくなるのか。
「落ち着きなさい。宮廷の者達が、王を説得して下さる筈だ。流石にこれは、民を預かる貴族としても最早看過出来ぬことは確かなのだ。お前のみならず」
一足先に平静さを取り戻したテレジア伯爵が、宥めるようにそう言った。
憮然としつつも私はそれに何とか頷いて返す。
……腹の底では、不満と不安が渦を巻いていた。