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飯にて滅び、飯にて興る

作者: 青漣

 つん、と羊の脛肉とたっぷりの香味野菜を煮込んだ濃いソースの匂いが、テントの中に広がる。

「ふぅむ、このソースを作るのに3日間もかかるのか」

 大陸北方に強大なる勢力を誇るツェニー族。豪胆にして無慈悲で知られ、略奪によって家畜ばかりでなく、連れ去られた人間も数知れず。

 文化人と称する大陸中部の人間にとっては恐怖の対象でしかない、そのツェニー族をまとめ上げる族長は、けれどソースの匂いに髭だらけの顔をふっと緩めた。

「いかにも。良き料理人は、このソースを作るのに3日3晩寝ずに灰汁を掬う」

 野蛮人たれども、この香るソースの繊細さがわかるのだろうか。

 蛮族と同じ服を着せられたトルニアは、自らスープを混ぜる大匙を握りながら、ふとそんな疑問を抱く。

「灰汁とは?」

「こうして肉を煮込めば、汁が濁り白い泡と共にかすのようなものが出来るであろう」

 成程、と族長は感心したように頷いた。


 王国の中でも北方に位置する領土を与えられたテオソルラ辺境伯が、地元の民の反対を押し切って、奪われた家畜を取り返すべくツェニー族のキャンプを襲ったのが10日前。

 そしてその報復に、城を襲われ囚われて、そのキャンプへと連れて来られたのが8日前。

 全ては、たった3日間の出来事だった。

 たったの3日間で、テオソルラ辺境伯は全てを失い、ただのトルニアとなった。残されたのは、共に引っ立てられた家族のみ。

 彼らを慰めるため、そして糊口をしのぐため、トルニアは大匙と包丁を取った。

 元々料理人として王城に入り、王に気に入られて破格の出世を遂げたトルニアであれば、料理は最も得意とするところであった。さらには、ツェニー族の気質も幸いした。

 ツェニー族は武を尊ぶ。

 それも正面から殴り合う武だけではなく、策略を使い弱点を突く、そのような武も尊ぶ。

 男達が狩りに出る隙を突いて家畜を奪い返したトルニアの勇気を、惰弱なる王国の辺境伯に飽き飽きしていたツェニー族は喜んだ。

 報復は報復として為され、家畜を奪い返されるまいと抗って殺された女達と同じ数だけ、トルニアと家族を引っ立てては来たものの、ツェニー族に刃向う気概を持ったトルニアを、決して彼らは嫌っていない。

 ゆえにトルニアが料理道具を求めれば、ツェニー族が料理に使う道具が惜しみなく提供され、材料を求めればトルニア達に支給するための食物が、生のまま届けられた。

 ――ばかりでは、ない。

 料理道具を求めた日から、トルニアのテントから得も言われぬ旨そうな匂いがすると、ツェニー族は噂した。民の間に地位はあれど上下はほとんどないツェニー族のこと、それはあっという間に族長の耳に入る。

 族長がテントを訪ね、料理を振る舞うよう求めたとき、トルニアは3日の猶予と、手に入る限り最高級の食材を求めた。

 トルニアの胸の中で、むくりと首をもたげたものがあった。それは族長への、ツェニー族への敵愾心ではなかった。

 むしろツェニー族も我が国誇る食文化に興味を示すのかと、面白くすらあった。

 胸の中から芽を出したのは、むしろ負けん気というものだっただろう。蛮族に侮られまいとする心は、一度は蛮族の武力に吹き消されたが、己が最も得意とする料理を武器にしたとき、再び燃え上がったのだ。

「料理に3日もかかるのか」と目を見張った族長に、トルニアは臆せず然りと返した。

「普通の料理ならばそんなに時間はかからない。けれど、我が国の料理の神髄たるソースを作り上げるなら、3日とて足りないほどだ」

「ソースなど肉のおまけではないか」

「それは料理をわかっていない。我が国の料理では、ソースこそ主役だ」

 不遜とすら言えることをあっさりと言い放ったトルニアに、面白いと族長は笑った。そして3日後に来ると伝え、ツェニー族に伝わる最高の食材をたっぷりと届けさせた。

 もちろんこの北方の地で、王城と同じ多数の料理器具を使うことなど望めない。

 けれどトルニアにとっては、その不自由さは創意工夫を楽しむ時間でしかなかった。

 オーブンがなければ、木の枝に肉や野菜を刺して炙ればいい。

 子牛の脛肉が手に入らなければ、羊のものを使えばいい。

 南方でしか取れぬ香草の代わりに、北方でしか使われぬ根菜を入れた。北の果てで取れるという香草を乾かしたものは普段使う香りではなかったが、肉に合うだろうと思い迷わず使うことを決めた。

 料理人1人では、1つのソースを作るのが限界で、それを痛恨の極みとは思ったが、だからこそ一番手間のかかるソースを作る事に決めた。

 ソースのベースになるフォンを作っておけば、スープも作ることが出来る。良いソースの素は、良いスープに他ならない。

 約束通り3日後に訪れた族長を、不眠不休とは思えぬ気迫を漂わせ、トルニアは迎えた。

 テントの中に漂う香りは、王国で作ったソースとは違うものだったが、王国で食べぬ羊肉にはこの方が合うだろうと確信できた。トルニアは、満足であった。

「そこに、テーブルを作っておいた。粗末ではあるが」

 トルニアが指さした先には、妻がショールを使って縫い上げたテーブルクロスをかけた、荷を積むための箱を重ねたものがある。

「テーブル? 我らは、食べる時に台を使わぬ」

「それは、あなた方が食物を手で掴んで食べるからだ。我が国ではナイフとフォークを使って食べる。そうでなければ、ソースが手に着いてしまうからだ。ゆえに、我が国の食事をするなら我が国流にテーブルに着いていただきたい」

 恐れを知らぬかのようなトルニアの言葉に、「なるほど道理だ」と族長は頷いた。

「しかし、ナイフとフォークがない」

「いや、我が国の国王陛下は、ツェニー族にナイフとフォークを含めた食器一式を贈っているはずだ」

「そういえばもらったような気がするな。忘れていた」

 それは文化国の国王からの、蛮族に対する皮肉であったが、ツェニー族は意にも解さなかった。手で食物を掴んで食べることに対して、ツェニー族は何らの文化的意味をも見出していなかったからである。

 トルニアとしては怒りに触れる覚悟も少しはあったので、拍子抜けであったが、ナイフとフォークが運ばれて来たならその方がありがたい。

「そこまでこだわるなら、これに盛り付けた方が良かろう」

 むしろついでにと持って来られた白磁の皿を受け取った嬉しさに、そんなことは忘れてしまった。

 まずフォンを取り分けて、何やら知らぬ鳥の卵白を使って灰汁を取る。これを漉して岩塩で味を付ければ、どこまでも澄んだスープが出来上がる。

 ソースはもうとっくに出来上がっていた。フライパンは存在しないから、石を削り火で炙って、その中でソースを調理した。

 肉はオーブンに入れる代わりに、茹でて脂を落としてから香草で巻いて灰の中に埋めて焼いた。

 さらには小麦を挽き、羊乳と卵を合わせて捏ね、木の棒に縛り付けて直火で焼いたパンを、ナイフで切って供する。

 全ての準備が終わり、「ほう」と目を輝かせる族長を前に、トルニアはすっと足を引いて一礼した。

 宮廷の料理長が、客に向かって頭を下げるように。

「どうぞ、召し上がれ」


 当然のように族長が最初に手を伸ばしたのは、やはり肉であった。

 慣れぬナイフとフォークに幾分難儀しながらも、手作業に慣れた民族らしく、トルニアがコツを教えればすぐに肉の1切れを取ってみせ、ソースをたっぷり付けて口に運ぶ。

「ふむ、ソースは確かに旨い」

 すぐに肉を飲み込んだ族長は、「だが」と眉を寄せる。

「ソースの味しかせんな」

「それは、味わっていないからだ」

 即座にトルニアはそう返す。妻子が聞いたら蒼くなるだろうが、今のトルニアは料理人に他ならぬ。

 料理人の使命は、料理を旨く食べてもらうこと。それが叶わぬのが己のせいならば精進するしかないが、客の食べ方が悪いならば指摘するのが料理人の義務とも思っている。

 もっともそれも、国王と違いこの族長ならばそれで怒ることはないだろうと思っているからではあるのだが。

「味わう、か」

「そうだ。肉をしっかりと噛めば肉汁がソースと混ざる。それが、旨いのだ」

「試してみよう」

 族長はそう言うと、今度はナイフとフォークを器用に使い、切り取った肉を含んだ口を、幾分ゆっくりと動かした。

「……なるほど。しかし、この肉はうま味が逃げている」

 少し考えてから族長は、「なるほど、茹でたのか」と呟いた。

 トルニアは軽く眉の端を上げる。王国の宮廷には、調理法を気にする人間などいなかったからだ。

「茹でるのは、必要なことだ。肉の脂を落とすために」

「なぜ脂を落とす? 羊の肉は、脂があるから旨い」

 ふむ、とトルニアは考え込む。そう考えてみれば、宮廷人と違わず、己も肉を焼く前に茹でるという料理法に疑問を挟んだことがない。だから、脂のうま味というものを知らない。

 ただの王宮の料理人であれば「これだから野蛮人は」と思うかもしれぬ。が、トルニアは他の料理人よりは幾分か頭が柔らかかったし、そして料理に対する探求心がずっと強かった。

 そもそもそのような人物でなければ、この地で宮廷料理を再現しようなどと思わなかったに違いない。

「しかし、それではソースに脂が混ざってしまう」

「混ざると良くないのか?」

「見た目が良くない」

「見た目などどうでも良いではないか」

「我が国では、盛り付けにも気を使い、食卓を美しくするものなのだ」

 そうやって族長と意見を取り交わしているうちに、トルニアはだんだん面白くなってきた。

 脂がソースに浮いて見た目が良くないならば、肉を焼いた後で一度パンで肉を拭い、染み出た脂を取り除いてからソースをかければどうか。

 そう提案すれば、「パンで拭うとは誰も思いつかないだろう」と族長は楽しげに歯を見せて笑う。

「けれど、確かにソースと肉の組み合わせは、これはこれで美味しい」

 そう言って族長は、今度はパンに手を伸ばす。パン種がないため発酵させることはできなかったが、それでもふんわりと焼けたパンに族長は感心し、口に運んでさらに感心し、卵を使っていると聞いて今度は目を丸くした。

「卵というものは、このように使うのか。我らはほとんど茹でて使っている」

「こうして料理に入れるだけでもない。焼いた卵は、これもとても美味しい」

「卵を焼いたら割れてしまうではないか?」

「割ってから焼くのだ」

「それでは零れてしまうのではないか?」

「零れないよう焼くための器具が、わが国には存在する」

 面白いな、と族長は笑いながらパンを食む。トルニアはそれを見守りながら同感だと頷く。

 当然のように思っていた調理法や料理がここにはなく、考えすらしなかった調理法や料理がここにはある。

 最初は不便としか思っていなかったその差異が、懸命に調理法を考えたのをきっかけに、そして族長との会話を重ねていくうちに、次第に面白く感じられて来た。

 スープの透明さに驚いた族長は、けれど具が欲しいなと呟く。

「それではシチューではないか」

「まぁ、その通りだが。煮込み料理は煮込まれた野菜や肉も美味い」

 スープと煮込み料理は、王国では全く別の食物である。

 けれど確かに、スープを作るために煮込んだ野菜と、煮込み料理の野菜がどう違うのかと聞かれたら、材料の違いという以外には上手く答えられぬことに気付き、改めて目を見張る思いだった。

「けれど、たまにはこのような澄んだスープも面白いとは思わないか」

「確かに面白いし、旨い。スープの味を楽しむなら、この方がいいのだろうな」

 同時に族長も、新たな料理の楽しみ方を徐々に身に着けつつあるようで、それもトルニアには嬉しい。

 最後にトルニアは、族長が見つめる前でデザートを作ってみせた。

 小麦粉と砂糖を大量の羊乳と卵で溶き、石の上で焼いてクレープにする。それに作っておいた野苺のジャムを乗せて供すれば、滅多に食べる事のない甘みに族長はほうと唸ってから、満面の笑みを浮かべた。

「小さい頃に、王国から送られてきた砂糖をこっそり舐めていたら、父親に軟弱になるからやめぬかと怒られてな。それ以来、砂糖というものは使ったことがなかったし、考えてみれば舐めてもそれほど美味しいものではないと思っていた。それが」

「確かに砂糖をそのまま舐めても、甘いだけだ。しかし、こうして果物や卵、小麦や乳を使えば、妙なる味が出る」

「なるほど、妙なる味か」

 あっという間にクレープを平らげ、ナイフとフォークを置いた族長はしみじみと呟く。

「ふむ、なるほどな。王国の料理を惰弱と思っていたし、確かに我らの料理とは全く違うが、それぞれ違った味わいがあるものだ」

 けれどその言葉に、トルニアは若干むっとした。

 自分が工夫を凝らして作り上げた宮廷料理が、ただ無造作に焼いたり煮たりするばかりの蛮族料理と同じと思われるのは、宮廷料理人としての自尊心が許さない。

 いくら柔軟な頭の持ち主であるとは言っても、やはり蛮族に対する侮りは捨てきれていなかったのだ。

「もしも牛肉や豚肉を使うことが出来れば、完璧な宮廷料理を作ることが出来るのに」

 眉を寄せてそう呟いたトルニアに、「だが、羊肉料理としては本当に美味しかったぞ」と族長が不思議そうに首を傾げる。

「けれど、羊肉ではやはり違うものになってしまう。それに香草も違うし、野菜も違う。乳だって羊の乳だし、パン種もない。オーブンだってないし、フライパンもない」

 言いだしてしまえば、不満はいくらでも出て来た。

 確かにこの地で、宮廷料理を再現すべく工夫を凝らすのは楽しかったが、それが報われなかったとなれば――そう、トルニア自身は思っているのだから――それが全て反転して不満として噴出しても、彼を責めることは出来ないだろう。

 ただ、自国の料理を侮辱されたと思って、ツェニー族の者なら怒っても仕方なかったかもしれない。

 けれど、族長はそうしなかった。

 族長もまた、柔軟な思考の持ち主であったのだ。

「ならば、この前捕えてきた牛を、遊牧に連れて歩けないから潰して肉にしてある」

 はっと顔を上げたトルニアが何か言う前に、族長は言ったものである。

「お主は我らの肉である羊を、王国風に料理してみせた。ならばそなた達の肉である牛を、我ら風に調理して見せようではないか」


 自分に料理させてくれるのではないと知ったトルニアはがっかりはしたが、少しは興味もあった。

 蛮族料理と馬鹿にしつつも、料理人としての本能は、新たなる料理の香りを嗅ぎつけていたのである。

 すぐさま民が呼ばれ、牛肉が持ってこられた。大きな塊に切ったそれを、族長は木の串に刺して直火で炙った。

 さらに鍋を持ってこさせ、大きく切った野菜と牛肉を入れて煮込む。味は岩塩でしか付けぬが、香り付けにはニンニクを使う。

「そんな塊では、肉が焼けるのに時間が掛かろう?」

「なに、完全に焼けてしまっては旨くない」

 そう言い放つ族長に、トルニアはやはり蛮族かという思いを強くした。

 ここに来た日に出された肉も、中の方が生焼けで、酷い侮辱だと怒りながら熾した火で焼いて食べたが、それが蛮族全ての習慣なら仕方なかろうと、理解を示したつもりでもいた。

 けれど、出された肉を恐る恐る口にした瞬間に、思わずトルニアは目を皿のようにして唸っていた。

 今までに食べたことのない味だった。

 表面は、確かによく焼けた牛肉であった。しかし、生のままだと思っていた肉の内部は、真っ赤であるにも関わらずちゃんと火が通っていたのだ。

 生焼けと侮りあのときの肉を焼いてから食べたことを、トルニアは後悔した。あれは羊の肉だったが、牛肉でこの味わいならば、羊の肉にも違う味わいがあったに違いない。

 ソースはなく、塩とニンニクだけが擦り込んであった。それがまた、旨いのだ。

 じゅんわり、じゅんわりと肉汁が口の中に広がる。完全に火が通ったものよりも、その量は多く、また野趣に溢れている。

「これは旨い。なるほど、このような焼き加減があったのか」

 口の周りを赤く染めてトルニアが言うと、族長は得たりと笑う。

「さて、こちらの煮込みも、食べ頃かな」

 無造作に野菜と肉を煮込んだだけの煮込みも、また旨かった。

 とろとろとほぐれるような煮込みではなかったが、肉を噛み締めると旨味が残っている。

 それでいて、根菜を中心とした野菜には、しっかりと味が染みていた。

 何日も煮込んだものとは、また違う。どちらが旨いとは言い難い。

 どちらも、旨いのだ。

「2つを合わせれば、もっと旨い料理が出来るかも知れぬ」

 我知らず呟いたトルニアに、族長は面白そうだと瞳を輝かせた。

「例えばあのソースに、この焼き加減の肉を使えば?」

「新たな味わいになろう。赤い肉汁に、最初はみな驚くかもしれないが」

「羊肉がこの焼き加減であっても、旨いのだぞ」

 2人の男は、遊牧民の族長と王国の貴族という身分も忘れて、ただ2人の料理人として語り続けた。

 その3日後、族長は一族全員を集め、家族まで動員したトルニアが料理を振る舞った。

 遊牧民の料理と王国の料理を合わせた食膳を、誰もが喜び、絶賛した。

 宴は朝まで続き、そのまま地面に倒れて一昼夜寝込んだ翌朝、族長はトルニアと家族を王国へと送り返した。

 さらなる遊牧民の料理と王国の料理の融合を目指し、そして再会することを約して。


 ――約は、守られなかった。

 城に戻ったトルニアを、一度は遊牧民の手より逃れし英雄と人々は呼んだのであるが。

 トルニアは、遊牧民から料理の案をもらったことを隠さなかった。

 北方の食材を取り寄せ、見事に融合された料理を作ったとき、貴族達は口を付ける事すらなく、皿を投げてトルニアを罵ったのだ。

 その場で遊牧民に通じたとして捕らえられたトルニアは、そのまま処刑された。その家族は命からがら北方へと落ち延びた。

 族長は――怒りに燃える瞳で、全ての部族を集め、王国へと攻め入る事を決めた。

 その夜、族長はソースを作った。

 トルニアの作ったのと全く同じ味にはならなかったが、あの絶妙な焼き加減の肉に乗せて、涙を流しながら食べた。


 20年の時を経て、王となったのはあの族長だった。

 宮廷料理人の座に着いたのは、トルニアの息子だった。王座に着いた最初の日、族長はトルニアの息子と共に厨房に入り、ソースを作った。

 羊の乳と卵と小麦粉を使ったパンを、オーブンで焼いてみた。

 クレープには、王国の暖かい地方で取れるオレンジを使った。

 卵白を使って灰汁を取るのは、父から技術を教わっていた息子がやった。さらに卵は焼いても旨いと言われたのを思い出し、フライパンで卵も焼いた。

 振る舞われたその料理が、戦いのきっかけになったことを知る者は、もう多くはない。

 けれど、族長は満足であった。

 ただ、隣にトルネアがいないことだけが、悔しかった。

 ――彼がいれば、新たな料理を作ってくれたかもしれぬと、思わずにはいられなかった。


 王国の民となり、定住することを選んだ遊牧民は、連れて行った羊を使って王国に伝わる調理法を試し、新しく手に入れた牛や豚を使って遊牧民の調理法を試した。

 王国の民のまま、留まることを選んだこの地の民は、さらにその料理を発展させる方法を考えた。

 そして、交易を行っていた国の調理法を取り入れ、材料を輸入し、いつしかその国は美食の王国と呼ばれるようになった。

 その国を遊牧民の国と侮る者は、もういない。

 そして、遊牧民の料理を侮る者も、もういない。

 短編が書きたくてテーマをもらったら、「蛮族VS文化人! 突撃どっちの晩御飯!」でした。

 書いてみたら完全にシリアスになって、明らかにタイトル詐欺だろうと思ってそっとタイトルは変えておきました。

 読了ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  族長さん料理好きとは。  戦えるイクメンですね。 [一言]  これはうまい!  食事的にも物語としても。
[良い点] 美味しそうです。そして何よりもテーマにぶれずにお話の起承転結もとてもまとまっていて綺麗なお話だと思いました。 [一言] 前にテレビで「そのままにしておくと消えてしまうのが文化、常に新しい…
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