研究所での日々
「ミューラ・データの解析結果は、驚くべきものでした」
アミタブは、データディスプレイを眺めながらそう答えた。
アミタブは、フライラと環インド洋宇宙開発機構・最高指令長官のチャンドラと共に、生命維持科学開発研究所のセントラル・タワーにある、小さなブリーフィングルームに参集していた。
「あの男、最終的に六つの隠しデータサーバーを持ってたわ。まだあるのかもしれないわ。悔しいから、全てのフォルダを開示してプライベートも分析してやったわ」
フライラは少しふくれて言った。
「おやおや、それはご苦労だったな。フライラ君がそこまでご立腹とは、あの男は相当の曲者だってことだ」
チャンドラは含み笑いをしながら、フライラを慰めた。その後、アミタブに話を先に進めるように指示した。
「間違いなく『殺人的行為』は犯していますね。そうでなければ、このデータは有り得ない」
そう言って、アミタブは部屋のスクリーンにデータを表示させた。
「こちらをご覧ください。明らかに『ヒト・タンパク』の分子表です。そして、この実験は生体に投与するというプロセスでしか得られない結果なんです」
アミタブは、ミューラの論文をプリントした紙を手に取った。
「この論文の中でも、それとなくデータを開示していますが、かなり突っ込んだ検証をしない限りは解らないようにカモフラージュさせています」
チャンドラはニヤリと笑った。
「……ということはだな、我々と『同じ』ってことだな?」
真顔になったフライラと少しニヒルに笑ったアミタブは、同時にうなずいた。
「悟られていないだろうな、ここが『生物兵器開発工場』だということは?」
フライラが答えた。
「薄々は気付いているかもしれません。でも、それをミューラにガタガタとは言わせませんわ」
その言葉に、チャンドラはうなずいた。
「まずは『計画通り』ということだな」
アミタブもうなづいた。
「えぇ、条件は揃いました。我々が研究していることもすべて彼に擦り付けることが出来る訳です」
「彼は、我々の『ブラフ』ってことか?」
チャンドラが尋ねると、フライラが訂正した。
「虚勢というより『カモフラージュ』かしら。『隠れ蓑』というべきかも」
その言葉に、チャンドラは納得したように首を縦に振った。
「我々が長年、研究してきたアーユルベーダやアフリカのスピリチュアル、アボリジニーとポリネシアン、そしてムスリムの医療や呪縛と、ミューラの人体実験データが結び付いて、偉大な結果を残すという訳だ」
アミタブは初めて微笑んだ。
「成功すればですが。もちろん、その確率は高いです」
更ににこやかなフライラが付け加えた。
「もし何か不都合があったとしたら、それは彼に押し付けるだけですわ」
チャンドラはしたり顔で訊いた。
「我々は被害者だと?」
「えぇ、その通り」
三人は、顔を見合わせてニヤリと笑った。
一年が経過して、環インド洋宇宙開発機構の生命維持科学開発研究所にとっては、全てが順調だった。ミューラのデータは生体に対しての実験結果が豊富で、予想以上に重宝したのだった。
しかし、ミューラにとっては歯がゆい日々が続いていた。毎日、実験結果を考察し、仮説理論をまとめ、新たな実験の仕様を考えるだけの、退屈な日々が続いていたのだ。
ミューラは強気でプライドは高いが、小心者で確証が無いと自信を失う人間だ。現場で自分自身でこの手で全てを掴んできたという思いが実験という行為にあったのだ。だから、ミューラを培ってきたのは実験だった。
ところが、ミューラからその実験を、環インド洋宇宙開発機構の生命維持科学開発研究所は取り上げてしまったのだ。ミューラの実験は全て、生命維持科学開発研究所側で行われたからだ。
これはミューラを監視するためでもあるが、実のところは『生命維持科学開発研究所』が仮称であり、本来の名称である『生物兵器開発工場』をミューラに悟られないためでもあるのだ。
確かに生命維持科学開発研究所の実験は、実験仕様書に対する忠実さ、実験の手際の良さ、結果の正確さ、そして三ヶ月は掛かるであろう実験を僅か一ヶ月で終えてしまう、そのスピードの速さは素晴らしく、ミューラは舌を巻いていたのだ。
それだけではない。一つの実験に対して、複数の結果が予測される、あるいはそんな結果が出た時には、生命維持科学開発研究所側が考慮して、付帯する実験の検証までもこなしてくれるのだった。
だがそれでも、ミューラは不満だった。実験が思うように出来ないことに。自分自身で出来ないことに。特に生体を、人間を使った実験が。これはミューラ博士の性格で、猟奇的な側面なのかもしれない。
その様子を鑑みて、アミタブとフライラはミューラにあることを提案した。
「博士、実験について提案があるんですが」
「何だね? 早く言いたまえ」
ミューラはイライラしていた。
「どんな実験でも許可しましょう」
ミューラは色めき立って、思わず立ち上がった。
「なんだって!」
アミタブが厳かに言い直した。
「生体の、いえ、単刀直入に申しましょう、人間の実験を許可します」
ミューラはニンマリとした。
「私の手でやっていいのか?」
今度はフライラが答えた。
「申し訳ありません、博士。その件については、やはり許可できません」
ミューラはデスクに両手を付いて肩を落とした。しかし、ミューラはすぐに頭を上げた。
「まぁ、いい。彼らがやってくれる方が正確で間違いがないからな。もちろん、モニタは今まで通りに出来るんだな?」
フライラはニコッと笑った。
「えぇ、もちろん」
すると、ミューラは早速、コンソールに向って実験仕様書を打ち込み始めた。それを見ていたアミタブとフライラは、顔を見合わせてほくそ笑んだ。
ミューラとの共同研究が始まって三年半が過ぎ、アミタブとフライラは、例の生命維持科学開発研究所のセントラル・タワーの小さなブリーフィングルームで話し合っていた。
「宇宙に対応した、完全なる『宇宙人』になるんだ」とアミタブ。
「これがホントの『宇宙人』って訳ね。それは面白いわ」とフライラ。
研究の進度、及び深度は、予想を遥かに上回る結果と効果をもたらし、既に葉緑体プラントや金属蒸着だけの話ではなくなっていたのだ。
「今年から始めた、生体の代謝機能の変換、効率の改善も、予想を上回る成果が得られているようだ」
アミタブは、まとめられた資料を参照しながら、笑いが止まらない様子だった。
「低与圧での生体実験には驚いたわね。ミューラの発想は素晴らしいわ」
フライラもご機嫌な様子だった。
「あぁ、そうだな。金属蒸着の作用を細胞膨張の抑止に使うなんて、まさに『コロンブスの卵』だ」
アミタブの言い回しに、フライラはプッと吹いた。
「古い隠喩ね」
アミタブも声を出してひとしきり笑った後に言った。
「さて、最終目的は『宇宙人』だ。宇宙空間は無理としても、希薄な大気、例えば火星程度の大気を持つ惑星でも、身軽で軽量な与圧服を着るだけ十分な『進化人類』が目標だな」
「そうね。出来れば火星ではヘルメット無しで生活できたらいいわね」
フライラは、両手を胸の前で組み、夢見るような表情でつぶやいた。
「いや、それは実現できるかもしれないぞ。俄然、現実味を帯びてきている」
アミタブは真剣な顔で思索を始めた。
フライラはワクワクしていた。
『ヘルメット無しで火星で生活』
これが、二人の最終目標にしたことだった。
ミューラとの共同研究が始まってちょうど五年が過ぎようとしていた頃、環インド洋宇宙開発機構は大々的な宇宙計画を発表したのだった。それは驚くべき速さの開発計画であり、世界が驚くものだった。
その計画を推進したのは、もちろんアミタブとフライラであった。だが、彼らは舞台裏に潜んで出てくるはずもなかった。
表舞台に立たされたのは、言わずと知れたミューラであった。