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火星に木を植える男

 『アグニ号の喪失』から十年の歳月が流れた。

 環インド洋連合会議の象徴であったアリ・ムハンマドが凶弾に倒れ、環インド洋宇宙開発機構は『アグニ号の喪失』からなかなか立ち直れず、軌道ステーションやムーン・ベース等の宇宙施設は国際宇宙開発援助協定の管理下に置かれ、もはや落日の日々を歩んでいた。


 そんな頃、火星に関するまことしやかな噂が、地球や月の観測基地や軌道ステーションで囁かれるようになった。

 その噂は、実に摩訶不思議なものだった。

『火星に緑が生えている』

 誰もが信じられないと言った。しかし、観測者は信じられないだろうが本当のことだと譲らなかった。確かに「火星に緑を観測した」という事例報告は増えていたのだが、それらの情報に共通する項目がなく、信憑性が全くなかったのだ。なぜなら「火星の緑」は、現れては消えるということを繰り返していたからだ。

 噂になっている「火星の緑」の真偽が十分に議論されないうちに、世界統一政府であるUU[ユニバース・ユニオン]が火星へ有人探査船を発進させたのだった。

 その火星有人探査船は『マルス・ランダー』と呼ばれ、一年半の軌道飛行の後、無事に火星へと辿り着いた。マルス・ランダーのクルーたちは、八日間だけ火星滞在した後に上陸機で離陸する予定だった。もちろん、噂の「火星の緑」を確かめることも重要なミッションの一つであったし、また『アグニ号の喪失』の原因を究明することもミッションの一つだった。

 火星有人探査船『マルス・ランダー』に予定されたミッション自体は淡々とこなされていき、アグニ号の原因は「燃料タンクの爆発」であることが突き止められた。しかし「火星の緑」の噂に関しては確証を得るまでには至ってなかった。

 火星滞在六日目までを経過した段階では……。


 明日は火星を離れるという火星滞在七日目に、その事件は起きた。

 何気なく上陸機の窓から外を眺めていたクルーが、急に騒ぎ始めたのだ。

「お、おい! あ、ありゃあ、何だ? 何なんだ! そ、そ、外を見てみろーっ!」

 慌てて他のクルーたちが窓を覗き込むと、そこにはヒトと思しきモノが立っていたのだった。

「え? あ? お? で、誰?……う、宇宙人? いや、火星人か!」

 マルス・ランダーの上陸機の中は大騒ぎだった。

 しかし、その中で一人だけ、その「ヒトと思しきモノ」をじっと凝視するクルーがいた。それは、環インド洋宇宙開発機構から出向してマルス・ランダーに乗り組んでいた女性クルー、フライラだった。

 フライラはボソリとつぶやいた。

「アレは『人間』よ」

 確かに「ヒトと思しきモノ」は、明らかに「人間」であった。頭は白髪で、白い髭を蓄え、黄土色っぽい継ぎ接ぎだらけのカンドーラのようなモノをまとい、裸足で火星の大地にしっかりと立っていた。

 フライラには、それが誰なのか、見当が付いていた。

 普通の人間ならば、例え大気があるという火星でも与圧服を着なければ、数分と持たないはずだ。それが生きている。恐らく十年以上もこの火星で生きてきたのだ。

 フライラは、すぐに与圧服を着て船外へ出た。

 そして、白髪の男の前に立った。

 フライラは外部フォーンに切り替えて、声を掛けた。

「お元気でした?」

 白髪の男は、右手を挙げた。

「あぁ、この通り、元気だよ。私と君たちの理論は完全に正しかったようだね」

 白髪の男は胸を張った。

 その様子に、フライラはヘルメットの中で涙を流した。

「博士、ミューラ博士! 生きてて……、生き抜いたのですね……」

 フライラはミューラに抱き付いた。ミューラは優しくそれを受け止めた。

「何を泣いているんだ? 私はまだミッション中だぞ。しかも究極のヤツをな」

「ミ、ミッション? 究極?」

 フライラは、拭えない涙を必死でヘルメットの上から拭おうとしていた。

「今度は、火星に『宇宙工学的生命維持装置』を埋め込んでやろうと思っているんだよ」

 ミューラはむせたように咳払いした。

「いかんな。火星はほこりがひどくて敵わんぞ」

 フライラは、ミューラをじっと眺めていた。

 だが、フライラの目には涙でかすんだ、おぼろげなミューラしか見えていなかった。

「私はこの火星を『緑』で満たそうと思っている。私の、この命が尽きるまで」

 そう言ってから、ミューラは苦笑いをした。

「今のところはまだ、全然『緑』にはなっていないがね」

 そして、ミューラはフライラから一歩後へ下がった。

「次にまた、ここに来ることがあるのなら、その時にはもっとたくさんの『緑』を見せやろう」

 ミューラはそう言ってからゆっくりと振り返り、その場所から離れた。

「博士! ミューラ博士! またここに来ます、この火星に!」

 フライラは、ヘルメットの中で反響して頭が痛くなるほどの大声で叫んだ。ミューラは、フライラに背を向けて歩きながら、フライラの呼び掛けに応えて右手を振った。


 車輪が取れて火星の赤い砂を被って朽ちかけている『オポチュニティ』のカメラに手を掛けて、薄明るい火星の夜空に白い光跡を残して立ち去っていくマルス・ランダーを静かに見送ったミューラだった。

 そして、ミューラは懐から大事そうに小ビンを取り出して繁々と見た。

「火星の夜が明けたら、また種を蒔くとしよう」

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


 『宇宙工学的生命維持装置』と言いながら、実は機械や装置の話ではなくて『人体改造』だったという、皮肉というか、隠喩というか、そんな感覚が気に入っています。

 傾倒しているのは「元帥様」だけでなく「グレッグ・イーガン」も少々。『万物理論』の雰囲気に憧れて、そんな想いで同じように書いてみたつもりですが、やっぱり難しいッス。

 ラストのモチーフはご想像通りの『木を植えた男』で、このアニメーションの存在を構想途中で思い出して、なんとか「エッセンスっぽいモノ」を染み込ませてみたつもりですが、どうだったでしょうか。

 ちなみに、火星でのミューラがまとっている「黄土色っぽい継ぎ接ぎのカンドーラ」は、オポチュニティが着陸時に使用したバウンドボールの一部だっていう、細か過ぎる設定を披露してみました。

 最後に、ラストを執筆していて嗚咽しそうになった自分がいたことも書き添えておきます。(ちょっと恥ずかしっ!)


 感想など、たくさん聞かせていただければ幸いです。よろしくお願いします。



【追伸】

 ふと思い立って、NASAの「Mars Exploration Rovers」のサイトを閲覧しました。

 そこには、二〇〇三年に打ち上げられたオポチュニティ(MER-B)は、二〇一〇年九月二十一日現在も完全稼動していて、ミッション中であることが公開されていました。

 このことを知って、少しばかり感慨に耽ってしまいました。

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