ハードランディング
環インド洋宇宙開発機構が火星に送り出した最初の宇宙船『アグニ号』は、計画通りに進行していた。
ムーンベースから発進した『アグニ号』は、地球と火星の軌道計算から一年ほど掛かるコースで火星の周回軌道まで辿り着いていた。
「よーし、計画は順調そのものだ。このまま、予定通りに着陸地点である『メリディアニ平原』を目指す。全員、着陸準備に取り掛かるんだ」
そう号令したのは、アミタブであった。
ミューラだけでなく、アミタブも「七人のアストロノーツ」の一員であった。もっとも、アミタブは「一員」などではなく「隊長」という立場であるが。アミタブは、スペシャルプロジェクトのメインリーダーとしての責任を果たすためでもあり、また自分自身の出世をも目論んでいたのだ。もちろん失敗すれば死しかないという『究極選択』でもあった。
そして、アミタブにはもう一つの役割があった。それは「ミューラ博士の監視」であった。アミタブの厳重な監視によって、野放図にすると何を仕出かすか分からないミューラの実力を、ここまでの成果にすることができたのだ。このアグニ号が出発する際に行われたミューラの記者会見が、一番良い例である。アミタブにその指令が言い渡され、またアミタブ自身にもそのことに対する使命感があった。
「ミューラ博士、博士にはオブザーバー的な存在で乗り込んでいただきましたが、使命だけは忘れないでくださいよ」
アミタブは、念を押すようにミューラに言った。
「あぁ、心得ているよ。私は大事な『広告塔』だからな」
アミタブに微笑を返しながら、ミューラは答えた。
この頃のミューラは、既にアミタブに逆らわなくなっていた。逆らうことさえしなければ自分の安全が確保されるという安心感があり、アミタブの逆鱗に触れさえしなければ、ある程度のことは容認されることも判ってきたからだった。一番の理由は「ミューラが歳を喰って、角が取れた性格になった」ことかもしれない。
「全員、シートに着座しろ。着陸シーケンスに入る。カウントダウン開始!」
アミタブの命令が「アグニ号」のコックピットに響いた。しかし、その命令にナビゲーターが反論した。
「アミタブ隊長、先程周回した時の気象レーダーの観測で『メリディアニ平原』付近は現在、猛烈な砂嵐が発生している様子でした。着陸は延期し……」
ナビゲーターが言い終わる前に、アミタブが命令を重ねた。
「繰り返す、着陸シーケンスを開始せよ!」
パイロットとナビゲーターは驚いて振り返ると、険しい表情のアミタブが睨みを効かせていた。
「了解。着陸シーケンスを開始します」
パイロットたちは苦い表情で正面に向き直り、逆噴射レバーに手を掛けて操縦桿を倒した。
アミタブは、凛とした声でとうとうと訓示を垂れた。
「いいか、諸君。忘れては困ることがある。それは『我々が先頭を走らなければならない』ということだ。そのためには、すべてのことに関して遅れは許されないのだ。これ以降、勇気を持って先んじてもらいたい」
言い終わると、アミタブは腕を組んでディスプレイを凝視していた。
「火星大気圏に突入しました。徐々に温度が上がります」
「現在、高度百六十八キロメートル、順調に降下中」
アグニ号は揺れ始めたが、地球よりも希薄な大気のために、地球のそれよりもひどくはなかった。
「まもなく、火星大気の成層圏上部に到達します。高度四十キロメートル」
ところが、火星表面に近づくにつれて、アグニ号の揺れがひどくなってきた。
「現在、高度二万メートル。気象状況はひどくなる一方です。地球で言う『台風』のような気象状況です。大変に危険な状態です」
ナビゲーターは、コンソールにしがみつきながら報告した。
「大丈夫だ。強度試験はパスしている」
アミタブがそう言ったと同時に、アグニ号の窓から強烈な閃光を浴びせられ、大きな衝撃音がこだまし、機体が大きく揺れた。
パイロットが叫んだ。
「機体の電源が落ちました。予備電源と予備回路に切り替えます」
今度は、ナビゲーターが叫んだ。
「主機、補機、その他の制御装置にも部分的な破損が発生した模様です! 復旧を試みていますが、全ての機能は戻りません!」
アミタブは身を乗り出した。
「どうしたというのだ? 何があったというのだ?!」
アミタブの後方の座席で、ミューラがボソリとつぶやいた。
「これは『スプライト』だ。放電現象に遭遇したんだよ、おそらく」
アミタブはミューラをチラッと見てから、パイロットに声を掛けた。
「操縦は大丈夫か? ちゃんと着陸は出来るんだろうな?」
パイロットは、必死な形相で操縦桿を両手で掴んでいた。
「天命に委ねる他に、手立てはないな」
ミューラは、意外に冷静な口調で事実を受け止めていた。
アグニ号は火星の暴風の中で着陸を試み、火星地表面で二度ほどバウンドしてハードランディングしたのだった。