32話 車内
一切予定のなかった俺の夏休みは急に大忙しになった。
とはいってもルミナスのライブは頻繁にあるわけではなく、どちらかと言うとリハーサルの方が多かったりする。
そのため仕事内容も照明操作より雑用の数が圧倒的。
主にスケジュール管理や、昼食の準備、メンタルケアなんかもあったけど……その内容はただ流川さんと会話をするというもの。
あと変わったことといえば、移動が彼女たちと一緒になったことだ。
ルミナスは基本的に距離が離れていたとしても車での移動になることが多い。さすがに九州となると飛行機を使うことになるだろうが……。
原田さん曰く『ルミナスの仲も良くなるし、交通費も浮くしで一石二鳥』とのこと。
交通費なんて経費で落ちような気もするけど、きっと前者が本命なのだろう。
それにルミナスのメンバーは誰一人文句を言っていないので、俺が言及するのはお門違いだ。
そしてそんな肝心の原田さんはというと、車内に姿はなく一人だけ新幹線で優雅に移動してるとのこと。
そのため現在の車内状況は、
赤音さん(寝てる) 専属ドライバー
如月さん 萌黄ちゃん 心緑ちゃん
俺 流川さん
の並びである。
流川さんのマネージャーという契約だったので、こうなることは予想していたけど……どうにも居心地が悪い。
その理由は流川さんの呼び方にあった。
「小林さん。もう慣れた?」
そう。流川さんは基本的に皆がいるところでは俺のことを敬称で呼ぶ。
原田さんは俺たちの関係を知っているけど、当然みんながみんな知っているわけではない。
ここにいる人だと関係性を知っているのは如月さんくらいだ。
「かなり慣れました」
流川さんは違和感ありまくりの俺の敬語を聞いて微笑を浮かべる。
「それは良かった――小林」
名前の部分だけ耳元に囁いてくる流川さんに俺は落胆する。
あれからすっかり囁きボイスを連発するようになった流川さんだが、さすがにこう何度も囁かれると慣れ……るわけがない。
推しから耳元で囁かれて反応しないわけがない。が、俺もそう何度も同じ反応をすると思ったら大間違い。
何せ俺には『平静を保つ』方法があるからだ。
少し痛いけど手のひらを指で押し潰せば、煩悩から逃れられることを最近知った。
だというのに……
「拓哉」
「っっっ」
どうして君はそうやって追い打ちをかけてくるんだ。
さすがの俺でも下の名前を囁かれたら耐えられそうにない。
きっと流川さんはいい暇つぶしになるとか考えているのだろうけど。
「そういえば小林くんって彼女とかいるのー?」
悪戯っぽく微笑む流川さんの顔から笑みが消える。
それは前に座る黄色担当の萌黄ちゃんがそんなことを訊いてきたからだ。
常に元気であまり空気を読まない彼女の一言に反応したのは流川さんと彼女の横にいる如月さんだった。
当然俺に彼女は、
「いな――」
「まぁ、そりゃいるよねー。お年頃だし」
「お年頃って……萌黄ちゃんとあんまり年変わらないでしょ〜」
萌黄ちゃんの隣にいた心緑ちゃんが即座にツッコミを入れる。
「それはそうだけどー、萌黄に彼氏はいないよ?」
瞬間、その場の空気が一瞬凍る。
アイドルだから彼氏がいないのは至極当然のことで、でもこの空間にはそれが少しだけ当たり前じゃない気がした。
それはきっと――
「彼氏がいないのは当たり前でしょ〜」
心緑ちゃんの言葉で空気が弛緩する。
「それもそっか。ごめんごめん、変なこと言った」
これでこの話は終止符を打たれたと思っていた。
だが、まさかの如月さんの一言によりまた話は掘り返される。
「それで小林くんは彼女いるの?」
妙に落ち着いた声音だったが、静かなる本気を感じた。
彼女はきっと俺と流川さんが付き合ってることを危惧したのだろう。
だが、当然ながら、
「いないです。そもそも彼女がいたらこんなところにはいないかと……」
「たし、かにね」
安堵した様子の声はその場を更に弛緩させ、車内の空気感はそっくりそのまま元通りになった。と思っていたのだが、唯一隣の一人だけは思い詰めた表情をしていた。
そうか。流川さんからしたら俺との関係がメンバーにバレたら、また今みたいな空気感になるわけで……そうなると不安になるのも仕方ない。
その不安をかき消すように服の袖を掴まれる。
こんなことをしたら怪しまれそうだけど……このくらいならバレる心配もないか。
そのまま俺は袖を掴まれたまま次のライブ会場へ赴くこととなった。




