30話 マネージャー
如月さんの部屋を出て、周囲を警戒しつつエレベーターへ乗り込もうとするが、少しばかり足が固まる。
エレベーター内に既に先客がいたからだ。
赤髪が目立つ女性は、どこか疲弊した様子で開閉ボタンを押していた。
彼女の……赤音さんの善意を無駄にするわけにもいかなかったので、軽く会釈をしつつ乗り込む。
「お疲れ様です」と社交辞令を交わした後、赤音さんは「何階ですか?」とライブの歌声が嘘だったかのような低い声で発する。
「8階です」
無言で8階のボタンを押す赤音さんはやはりどこか疲れているように見えた。
「ありがとうございます」
「いえいえ」
掠れた声で返事する赤音さんは自分の指定した階数が近づくにつれて徐々に表情を変えていく。それは完全にオンとオフが切り替わる瞬間だった。
目的地に到着する頃には、ライブでよく見る表情が彩られていた。
エレベーターを降りていく赤音さんを見ながら、俺は初めて知りもしない芸能界の裏を見たような気がした。
◇◇◇
気がつけば次の日のチェックアウトの時間になっていた。
とうとう今日でこのバイトにも終止符が打たれる。
長いようで短かった数日間。
「今回は手伝ってくれてありがとう」
ホテルを出ていく前にルミナスのマネージャーさんからお礼を言われる。
「いえいえ。こちらこそ数日間ありがとうございました」
男性のマネージャーさんで初日に一度だけ挨拶をしたけど、会うのは今回で二度目。
正直この人とはあまり会いたくなかった。
何せおそらくこの人は……
「それで、今回青澄さんにはどうやって誘われたの?」
俺が流川さんに誘われたことを知っている。
流川さんのことだからきっと何か策はあるのだろうけど……例えば流川さんがマネージャーさんに物凄い信頼を寄せている、とか。
それでも何も分からない以上、下手なことは言えない。
「流川さんとは学校のクラスメイトで、たまたまですね」
あくまで濁しながら答える。
「そうかー。たまたまかー」
だが、返事がなんだか妙だった。
完全に怪しまれている。
アイドルと男が仲良くするなんてご法度。ましてやそれがマネージャーさんにバレでもしたら……この関係は即座に破綻する。
つまり今俺が取るべき行動は、嘘をつくこと。
そう。正しく流川さんのように。
「そもそも二人はどう知り合ったの?」
「流川さんとはたまたま席が隣になって、時々話すようになったって感じですね」
悪くはない嘘だと思った。
「ふ〜ん」
だと言うのに、マネージャーさんは意味深な声を出す。
「じゃあそういう関係は一切ないと?」
「そういう関係とは……?」
もちろん分かっていた。が、念の為聞き返す。
もしかしたら友情のことを言ってるやもしれないし――
「恋愛感情」
そんな俺の淡い期待は一瞬にして泡となって消える。
「ありません」
冗談でも「ある」なんて言ってはいけない。
「断言できる?」
「断言…………」
その後の言葉が出てこなかった。
早く言わないといけないのに。早く認めて彼の疑念を取り除かないといけないのに。
俺の口がそれを拒んでいた。
普段から嘘をついているはずなのに、自分の気持ちを否定するのはしたくなかった。
「…………」
でもこのまま無言を貫くわけにもいかないわけで……。
マネージャーさんが怪訝な表情を浮かべる中、ある人の声がこの場を和ませる。
「お疲れ、小林ー」
あまりにいつも通りの流川さんに俺は思わず呆れてしまう。
俺の今までの努力は一体なんだったんだ。
マネージャーさんが目の前にいるのに大丈夫なのかと流川さんに囁く。
「あー、そっか。そういえば小林はまだ知らないもんね」
知らない? 何のことだかさっぱりだった。
「安心して。原田さんは全て知ってるから」
囁き返してくる流川さんの優しい声により、胸が高鳴る。
「どうしたの?」
だと言うのに、そんな俺の気も知らないで流川さんはまたしても囁いてくる。
「急に耳元で囁くから……」
「小林も囁いたじゃん。だからお返し。等価交換」
どう考えても俺の囁きでは見合ってない気もするけど……それよりも今は隣でニヤニヤしているマネージャーさんをどうにかせねば。
流川さんが言った『全て知ってる』とは一体どこからどこまでを指しているのか。
「本当に大丈夫なの? マネージャーさんにバレたらまずいんじゃ……」
「だから言ったでしょ。原田さんは全て知ってるって」
マネージャーさんの名前を呼ぶ流川さんはどこか安心しきった表情をしていた。
その表情を見るに本当に大丈夫なのだろうけど……でも、少しだけ……ほんの少しだけ流川さんの全てを知っている原田さんを羨ましく思った。




