3話 デート
「ねぇ、小林ぃ。これからどっか遊び行かない?」
放課後。いつものように推しに背中を向けながら本を読んでいると、突然の誘いを受ける。
本を閉じてから振り向くと、何かから解放されたような涼しい顔をした流川さんがいた。無論、今日は金曜日である。
「今日レッスン休みだから暇なんだよね」
俺は鎧で冷静を保ちながらその誘いに応じる。
「別にいいけど……一応君アイドルだよね?」
「そうだね」
「そうだよ?」
自分がアイドルということに何の関心も抱かない彼女に思わず諭すように言ってしまった。
「とにかく、世間にバレたらまずい」
「まぁ、それもそうだね。ならさ――」
突然、流川さんがこちらへ近づいてくる。
5メートル。4メートル。3メートル。2メートル。
そろそろ止まってくれると思った俺の考えは甘かったらしい。
数センチ。
推しの端正な顔が間近で感じられて、俺は反射的に目を閉じてしまった。
何されるんだろう……と目をつぶり数秒。
目元辺りに装着していた物体がするりと外される。
目を開けると、適切な距離感に戻っている流川さんが俺のメガネをかけていた。
彼シャツと同じような感覚に陥り、顔がカーッと赤くなる。無論、鎧がなくなった所以でもある。
「これならいいよね?」
「……ダメだ。変装はちゃんとしよう」
「あははー。マネージャーみたいなこと言ってるー。冗談だってー」
微笑を浮かべる流川さんは俺のメガネを外す。
それが何だか妙に艶めかしく感じた。
「じゃあ、これ返す」
瞬間またしても推しの顔が迫り来る。
メガネをかけ直そうとしてくれる流川さんに、俺は今度こそ目を開けながら自ら仮面を装着する。
気を取り直して、
「それで変装はどうするつもりなの?」
「ん? そんなの――」
机の上にあるスクールバッグから、メガネや帽子、マスクなど、様々な変装道具を取り出す流川さん。
持ってるならなんでさっき俺のメガネを奪ったんだ……。
「私、変装道具は常に持ち歩いてるんだよね」
あまりに用意周到な流川さんに一つの疑問が生じる。
「もしかして初めから遊びに行くつもりだったの?」
発言したと同時に、『人気アイドルなんだから正体を隠す道具を持っているのは当たり前か』と勝手に理解する。
「…………」
だが、沈黙がそれを否定した。
時が止まったかのように流川さんの動きも止まる。
無表情の流川さんの顔にいつもの表情が彩られる。
「そうだよ。私は今日小林と遊びたくて仕方がなかった。この変装道具も小林とデートがしたくて持ってきたの」
そうして、彼女は付け加える。
「まぁ、嘘だけど」
そう言う割には、顔を綻ばせている彼女に腕を掴まれる。
「ほら。早く行こ」
俺は初めて流川さんの嘘を本当に見破れたような気がした。
◇◇◇
初めて流川さんと並んで外を歩く。
帽子、メガネ、マスクとかなりの重装備ではあるものの、隣の彼女が推しだという事実に変わりない。
「それでどこ行くの?」
「小林はどこ行きたい?」
声で身バレしないためか、いつもより声がワントーン高い推しの声はどこか新鮮味を感じた。
ってか、どこ行くのか決めてなかったのか……。
「う~ん……映画とか?」
「っぷ」
せっかく答えてやったのに隣から聞こえてきたのはその一音だけだった。
「なんかいかにもって感じ」
なんだ、いかにもって……。
「なら、流川さんはどこ行きたいの?」
俺から訊くと、流川さんは予め決めていたのか懐から二枚の紙きれを取り出し、ヒラヒラさせた。
その紙が示す場所とは、ライブハウスだった。
しばらく歩いて、それらしい場所に到着し、いかにもな狭い階段を下りる。
中に入り、懐かしい嗅ぎ慣れたタバコの匂いを感じながらも流川さんがドリンクを購入する。
「はい、これ。オレンジジュースで良かったよね?」
そう言ってドリンクを差し出される。
「大丈夫だけどお金――」
「いらない」
財布を取り出す手を制止される。
またしても推しから触れられてしまった。
「付き合わせてるんだからこれくらい奢らせて。それに私――」
言いながら人差し指と親指で輪っかを作る推し――お金を示すジェスチャーだった。
「なら、遠慮なく……」
「うん。ほら行くよ」
そう言うと推しから手を引かれる。
完全に立場が逆だった。でも推しからリードされるという幸福感に嫌な感じはしなかった。
キャパが百人くらいのかなり小さめの会場で、俺たちは一番前を占拠する。
流川さんが急いでいたのはどうやらそういうことだったらしい。
次々と後ろから人が押し寄せてくる。必然的に推しとの距離が縮まる。
一人勝手に緊張していると、演奏道具やらのセッティングが完了したのか、初っ端からギターの音が会場内に響き渡る。
その一音でライブハウス内の雰囲気が一変し、ドラムのバチを叩く音と共に演奏が始まる。
瞬間、様々な楽器の音がその場を支配した。ボーカルも聞き惚れる声だった。
周りの観客がもれなく手を挙げて上下に振る。
流川さんはどうしているのかと隣に目を向けると、彼女も同様に手でリズムに乗っていた。
「ほら! 小林も!」
そんな彼女は笑顔で俺の手を握った。
俺はされるがまま、流川さんと一緒に手を握りながら音楽に乗るのだった。
◇◇◇
約一時間に渡るライブが終了した。
「どうだった?」
夜の街灯に照らされる流川さんが顔を覗き込んでくる。
「良かった。かなり」
正直に言うと、想像を遥かに超えてきた。それは感想が倒置法になる程に。
何より女性ボーカルの声が良かった。あそこまで聞き惚れたのは久しぶりかもしれない。
「小林ぃ?」
さらに深く顔を覗き込んでくる流川さんに思わず首を引く。
「今度カラオケで私の歌声聞かせてあげる」
それはまぁ、なんと贅沢な約束なのでしょうか。
でもあまり期待はしないようにした。なぜかと言うとどうせこれも――
「…………」
ん?
いつものように続くはずの彼女の言葉が、今日は無言に変わっていた。
その理由とは――流川さんの視線の先を見れば一目瞭然だった。
「あれ、青澄?」
そう。そこには、紫乃ちゃん。
流川さんと同じグループ、ルミナスの紫色担当の如月紫乃が立っていた。




