1話 嘘つき
ルミナスプリンセス――それは女子高生だけで構成された、今中高生から絶大な人気を集めているアイドルグループ。
うちのクラスには、そのルミナスプリンセスの一人、青色担当の流川青澄が在学している。
長く伸ばされた黒髪には、自分の担当カラーを表すかの如く毛先だけ青く染まっていて、クール寄りの雰囲気を纏っている彼女は完全なる高嶺の花だった。いや、高嶺の花というより女神に近しい存在。
そんな女神様は、今日も今日とて大勢のクラスメイトから囲まれて身動きを取れなくなっていた。
「流川さん! 新曲聴いたよー! 超良かった!」「青澄ちゃん! 今度のライブ絶対見に行くから!」「サインくださいっ!」
「ありがとう」「ライブ頑張るね」「はい、これ。サイン」
いつも通りクールにこなす彼女の拳には微かに力が込められていた。
もうそろそろ限界か……。
俺は、彼女の本性を知っている。
◇◇◇
「疲れたー。ちょっと休憩」
放課後の誰もいない空き教室で、いつも綺麗な歌声を響かせている女の子が椅子に腰かけながら愚痴をこぼす。
「それより、聞いてよー。小林ぃ。最近新しいグッズが出たんだけどさー。私のやつだけ売れ残ったんだよね。ほんと有り得ないよね」
小林拓哉――俺のことだ。
「それが原因か分からないけど、メンバーのみんなが私に気遣って居心地悪いし、運営の人たちも一番人気がない私にだけ気まずそうに接するし……ほんとにさー」
放課後の二人しかいない空き教室で、普段の流川青澄からは到底想像できない言葉が放たれる。
そう。これが彼女の本性である。
「確かに気まずくなるのも分かるよ? 変な慰めの言葉なんて余計なお世話って思われても仕方ないからね。だけど、気まずい空気を作るなら、せめてその空気を直してほしいって思うんだよ。我儘言ってるのは分かってるんだけどさー」
まだまだ足りないのか流川さんは俺が目の前にいながらも更に愚痴をこぼす。
俺は気にせず、使われなくなった長方形の机に体重を預けて、ブックカバーの付いた文庫本を開く。
今ではこうして愚痴を吐いている流川さんだけど、俺は彼女が努力していることを知っている。
時々、俺がこの空き教室に来る前、歌の練習やダンスの練習をしている流川さんの姿を目にすることがある。でも、なぜだか、俺が来た瞬間に努力を隠すように練習を中断してしまう。
きっと流川さんは裏で努力を積み重ねるタイプだ。
そんな彼女と俺の関係性は…………幼馴染、なんてことはないし、世間にバレてはいけない恋愛をしているわけでもない。ただ、こうして放課後に彼女が俺に愚痴を吐いて、ストレスを発散するだけの関係性。
そう。本当にただそれだけの関係性なのだが……。
流川さんに背を向けながら本を持つ俺の手は微かに震えていた。正直に言うと、本なんてただの見せかけで内容なんて頭に入ってこないし、持つのがやっとのことだった。
当然だろう。だって俺は、彼女の大ファンなのだから。
出会いは、突然だった。
同じクラスになった流川さんに俺はなるべく接しないことを徹底して、しっかりマナーあるファンを演じていた。
ファンである俺が、推しとリアルで関係を持ってはいけないと思ったからだ。
でもそんなある日――放課後の空き教室で彼女を見つけた。
「あー、ほんと疲れる…………」
放課後、俺がいつも使っている教室に推しの流川さんがいた。
流川さんは、いつも俺が座っている椅子に腰かけながら俯いている。
「はぁ……」
ため息と共に肩が下がる流川さんを見ながら、俺は急いで退散しようとする。
こんなところ本人にバレでもしたら確実にストーカー判定を食らう。
「もう、アイドル辞めよかな……」
踵を返した瞬間、推しから一番聞きたくない言葉が頭の中で木霊する。
俺は気がつけば足を止めて、扉に手をかけていた。でもギリギリそこで留まった。
落ち着け。推しが『辞めたい』と言っているのだからファンはそれを寛大な心で受け入れてあげるべきだ。推しの幸せが第一。
俺は再度彼女にバレる前に退散しようと考えた。が、時すでに遅し。
推しの吸い込まれそうな瞳の深淵には、なんの面白みもない男子高校生の間抜け面を映していた。
そうして今の俺たちの関係性が始まった。
俺がアイドル(推し)の愚痴を聞いて、彼女はそれで日々のストレスを少しでも発散する。
でもそうなると、俺がずっと守っていた推しとの距離感を保てなくなってしまう。こんなのファンではなくただの友達だ。
だけど、この関係性が終わったら……
『アイドル辞めよかな……』
出会った時の流川さんの言葉が頭をよぎる。
やっぱりこの関係は必要だ。大丈夫。俺が彼女に『ファン』だとバレなければいいだけの話。俺が彼女を恋愛的に好きにならなければいいだけの話。
そう。まるで、高嶺の花には一切興味がない主人公を演じればいいだけなのだ。俺が流川さんのサンドバッグになればいいのだけなのだ。
「ねぇ、聞いてるー? 小林ぃ」
推しから左肩を触れられて、意識が現実へと引き戻される。
推しから触れられたという現実から思わず目を背けたくなるが、眼鏡のブリッジを上げて何とか冷静を保つ。
「ちゃんと聞いてるよ。それでなんだっけ?」
自分の左肩から彼女の手を退かし、レンズ越しに本を見つめる。
「やっぱ聞いてないじゃん! 小林って私のこと嫌いなの?」
突然の質問に、焦点がずれて、どこの行を読んでいたのか忘れる。
嫌いなわけないだろ! むしろ逆だよ!
そんな俺の思いと反して口から出た言葉は、
「普通」
さながら美少女に興味がないラブコメ主人公のように返す。
「ふ~ん。そうなんだ~」
気にしてないといった様子の流川さんの声が、左からぐるっと回ってきて、最終的に真正面から声が発せられる。
本を読んでいる俺の目の前には、真剣な眼差しをこちらへ向ける流川さん。
そんな俺の推しは、大きく息を吸った後、いつもの歌声とは正反対な甘い声で発した。
「ねぇ、小林――私、君のことが大好きだから付き合ってくれない?」
俺は思った。
あぁ……アイドルが男を本気で惚れさせるのはこんなにも容易いことなのか。
でも、今の俺が動揺するなんてことはゼロに等しかった。
だって彼女は――
「まぁ、嘘だけど」
流川さんは微笑しながら、また俺の横を通り過ぎていく。
そう。
クラスのアイドルは俺にだけ嘘をつく。
「そもそも私はアイドルだから恋愛禁止だしね。だから私が君を好きになることは絶対ないから」
流川さんの声が横からまた背後に移動する。
当たり前だ。彼女は……流川青澄はアイドルなんだから。
「まぁ――」
ガラガラと扉を開ける音と共に、俺は即座に視線を背後へ向ける。
そこには、アイドルがファンに向ける眼差しを、俺にだけ向ける流川さん。
扉に手をかける推しの口が動く。
「嘘だけど」
扉が完全に閉ざされて、幕が下りたように彼女の姿も見えなくなった。




