第二話「彼女のまなざし」
第二話「彼女のまなざし」
「……ねぇ直人、本当に最近寝られてるの?」
キッチンから、久野紗英の声が聞こえる。
土曜の朝。コーヒーの香りが部屋を満たし、平穏なはずの休日のはじまり。
だが直人は、また右足裏の“あれ”を意識してしまっていた。
ペタ、ペタ……と、スリッパ越しでも何かがついてきているような、粘着質な重さ。
靴下の中にナメクジでもいるかのような錯覚。
「ん、まあ……そこそこには」
曖昧に答えながら、彼女が淹れてくれたコーヒーを受け取る。
紗英はじっと直人の目を見た。
「……また悪い夢、見た?」
その一言に、息が詰まる。
見た。“悪夢”なんて一言ではすまないほど、はっきりと、現実のような感覚だった。
あの浴室の足跡。
耳元の声。
鏡の奥の“濡れた何か”。
だが言えなかった。紗英には、まだ言えない。
「夢じゃないと思う。……いや、夢であってほしいんだけどさ」
紗英は少し眉をひそめた。
彼女はこういう時、無理に笑わない。
信じようとする人だ。けれど――彼女のまなざしが、わずかに揺れるのが分かった。
その時だった。
「……あ、ちょっと待って」
紗英が視線を床に落とし、足元にしゃがみこんだ。
「……これ、なに?」
彼女の指先が触れていたのは――床に薄く、ぬめったような、半透明のフィルム。
大きさはちょうど、直人の足裏と同じ。
ぞくりと、背筋を冷たい針でなぞられたような感覚が走る。
「まさか……ずっと、これが……?」
紗英の声が、わずかに震えていた。
直人はゆっくりと首を振る。
「見えないはず、だった。……今までは」
その時、テレビの電源が勝手に入り、砂嵐のようなノイズ音が部屋に鳴り響いた。
ノイズの中に、声が混じっていた。
> 「おかえり……やっと、二人に会えた」
それは、昨日の風呂場で聞いた、あの少女の声だった。
だが今回は――
それに、もうひとつ別の“声”が、重なるように混じっていた。
> 「――紗英、に……も、もう……」