毒舌優等生・ジュリエンヌ登場!
校長先生の部屋を出た途端、リリアは大きく息を吐いた。
「はぁ……何とか退学は免れたけど、全然嬉しくないわ」
浮かない表情でそう呟く。実際、同室で暮らす条件だの、周囲の視線だの、彼女の気苦労は尽きないだろう。
気苦労は俺も同じだ。なにしろこの世界の言語や常識はまだよくわからないし、何より「どうしてこんなリアルな夢を見てるんだ?」という疑問も拭えない。……いや、本当に夢なのかどうかも怪しいけど。
そんなことを考えながら廊下を曲がると、正面から軽い足音が近づいてきた。緑色の髪をサイドポニーテールにまとめた少女だ。彼女はリリアを見るなり、ぱっと表情を明るくする。
「リリア! 退学がどうとか噂になってたけど……大丈夫なの?」
「ベル……! うん、さっき校長先生の試験があって、合格したわ!」
ベルはその場でリリアの手を取り、まるで泣きそうな顔をして言う。どうやらリリアにとっては大切な友人らしい。
「ほんとによかった……! もし退学になったら二度と学園で会えなくなるかと思って……」
「ま、まぁね。私くらいの実力があれば、これくらいどうってことないわ!」
口では偉そうに言っているが、少し不安げだ。……俺のサポートで試験を突破したことは、黙っているほうがよさそうだな。
ベルは、そんなリリアの様子を微笑ましく見つめてから、俺のほうへ視線を向けた。
「そちらの方は? 先生……じゃないですよね」
「えっと……ちょっとした、監督役みたいなものだ。リリアの“保護者”的な……」
その瞬間、リリアはこめかみに青筋を立てる。鋭い目つきで、ドスのきいた声が漏れた。
「……ちょっと、あんた!」
しまった。これはうかつに同級生に言わないほうがよかったか。しかし、ベルは少し驚いた様子を見せただけで、深くは追及しない。リリアが嫌がっているのを察したのかもしれない。
だが、うしろから聞きなれないヒールの音が響いてきた途端、その空気は一転した。
「へぇ、保護者同伴で学園に来るなんて、前代未聞じゃなくて?」
「……ジュリエンヌ!」
毒を含んだ声の主は、赤い長髪の少女、ジュリエンヌ。いかにも優等生といった立ち振る舞いで、取り巻きらしき二人の生徒を後ろに従えている。ジュリエンヌは教科書を胸に抱いたまま、嘲るような視線でリリアと俺を見下ろす。
「落ちこぼれで有名なリリアが、ついに退学だって噂を聞いたけど……意地汚く戻ってきたのね。で、“パパ”を連れてきた、ってわけ?」
「っ……!」
リリアのこめかみがピクリと震える。口汚い挑発に、彼女の青い瞳は悔しさで潤んでいるようにも見えた。ベルが慌てて止めようとするが、ジュリエンヌは鼻先で笑って続ける。
「……いいえ、パパって感じじゃないわね。髪の色も顔立ちも全然違うし、どこの国のお方かしら? 実の親でもない大人の男を呼びつけて退学回避だなんて、学園の恥だと思わない? ああ、可哀想なリリア。よっぽど才能がないのね」
がさつな笑い声に、リリアは完全にカッとなった。
「私は落ちこぼれじゃない! 今まではちょっと不運が続いただけで、才能がまだ開花してないだけ! いずれはあんたよりも気高い魔法使いになってやるんだから!」
虚勢とも言える言葉を張り上げるリリアに、ジュリエンヌは「ふん」と鼻で笑う。
「才能? まぁせいぜい頑張れば? 授業であなたが何度破壊的な失敗をしたか、学園中が知ってるのよ? 魔法がうまくいったところなんて誰一人見たことないもの」
その言いぐさに、俺もさすがにイラッときた。何度も読まれて擦り切れた教科書に、白地が見えなくなるほど書き込まれたノート。落ちこぼれから抜け出そうと必死にもがいたリリアの努力を、俺は知っている。
「リリアは努力家だ。たしかに今は魔法が苦手かもしれないが、才能がないとは思わない。実際、さっきだって試験をクリアしたし、サポートがあればもっと伸びるはずだ」
俺がはっきり言い返すと、ジュリエンヌは「ほう?」と片眉を上げる。
「あなた、魔法経験はあるんですの? 私にはそうは見えませんわ。杖も持たずに歩いてるし、ローブも着てないし、魔力も感じない。まさか“無能”同士ってことはないわよね?」
うわ、容赦がない。とはいえ、ここで萎縮するわけにはいかない。現実世界でのトラブル対応──俺の場合はシステム障害だが──をくぐり抜けたこの根性、なめてもらっては困る。
「魔法の経験はないけど、俺は“システムエンジニア”だ。何度も炎上してきた現場でトラブルを解決し、いろんなバグを直してきた。デバッグの技術なら誰にも負けないからな!」
「……はぁ?」
ジュリエンヌのみならず、取り巻きたちまで露骨に困惑した顔をしている。“システムエンジニア”も“デバッグ”も、この世界ではピンとこない単語なのは当然だろう。俺は軽く肩をすくめた。
「ふぅん、よくわからないけど、偉そうなことを言うのね。落ちこぼれと無能が組んだら落ちこぼれコンビじゃないのかしら?」
ジュリエンヌは最後に皮肉たっぷりの笑みを浮かべて踵を返す。取り巻きもクスクス笑いながらついていく。ベルがそれを見て、唇を噛んでいた。
ジュリエンヌとこれ以上やり合ってもリリアが傷つくだけだと思い、俺はこの場を離れようとリリアを促す。
「リリア、そろそろ部屋に向かおう。今日は疲れてるだろうし、もう休んだほうが――」
そこまで言いかけたところで、ジュリエンヌは目を見開いて叫んだ。
「ま、待って! リリア、まさかその方と同室で暮らすのかしら!? 家族でもない男性の方と、二人で……!?」
「……っ! そ、それは……!」
リリアの顔が一気に赤くなる。ジュリエンヌに煽られて、周囲の生徒も何事かとこちらを見て、ひそひそ話を始めた。リリアは「な、何よ、あんたたち……」と顔を真っ赤にしながら、そのままバッと俺をどついてくる。
「ゴトーのバカ! 信じられない! あんたが余計なことペラペラ喋るから……!」
リリアは怒りまくった声を張り上げると、顔を隠しながら一目散にその場を走り去ってしまった。ベルが呼び止めるが、返事はない。学生寮のほうへ駆け込んでいくリリアの背中が、どこか小刻みに震えて見えた。
俺は咄嗟に追いかけようとする。するとベルが腕をとめ、申し訳なさそうに頭を下げた。
「ゴトーさん……。リリア、今までずっと“落ちこぼれ”って言われ続けてきたから、誰に対してもああいう態度になっちゃうんです。悪気があるわけじゃないんですよ」
俺も思わず苦い笑みを浮かべる。彼女だって辛い立場に違いない。劣等感だってあるだろうし、プライドもあるだろう。
「わかってるつもりだ。ありがとう、ベル。ちょっと様子を見てくるよ」
そう言ってベルの腕をそっと振りほどき、俺はリリアのあとを追いかける。
まったく、長時間の深夜残業は慣れているはずなのに、この世界では違った意味での“炎上案件”続きだ。
――それでも。俺はほんの少しだけ、心が弾んでいる自分に気づいていた。
システム障害と同じだ。誰もが「無理だ」と嘆いたバグを解決できたときの高揚感。今度は“落ちこぼれ”と呼ばれる少女を、俺が支えられるかもしれない。周囲にバカにされようが、ジュリエンヌにあしらわれようが、この世界に立ち向かう価値はありそうだ。
……とはいえ、リリアの機嫌を損ねたままだと、そもそもコミュニケーションが成立しない。
「リリア! 待てってば! 俺は部屋の場所を知らないんだから!」
そう叫んで廊下を駆ける俺の足音が、夕方の校舎に響き渡っていた。