表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/32

呪文の”ヌル参照”をデバッグせよ!

 コルネリア先生の試練に応えるべく、リリアはノートを開き、震える手で該当の呪文ページを探す。そこには、水属性の詠唱文がびっしりと書き込まれていた。

 しかし、呪文には何度も取り消し線が引かれて、書き直されている。リリアは今回も教科書の呪文をアレンジしたようだ。


「一度呪文を唱えてみてくれるか? どんな挙動をするのか、まず見たい」

「……わかってるわよ! 指示しないで!」


 リリアは震えを抑えつつ立ち上がり、コップの前に杖をかざす。四十センチほどの短い杖だ。ノートを片手で持ち、ゆっくりと詠唱を始める。


「アルタ……ヴォリス……キュオル……リラ…………」


 すると、コップの中の水がうっすら青い光を帯び、かすかに上昇を始める。……が、あと少しでコップの外に出そうというところで、見えない糸がぷつりと切れたように水面が弾けた。しぶきが飛び散り、机を濡らしてしまう。


「くっ……やっぱりダメ……」


 リリアは顔を曇らせ、悔しそうにノートを握りしめる。コルネリア先生は無表情のまま、じっとその様子を見ていた。


「もう一度やってごらんなさい。ゴトーさん、協力していいのよ?」


 リリアが再度呪文を唱える姿を見つめながら、俺はふと考えた。どうやら、特定の単語にさしかかると急に魔法が途切れてしまっている。どこかに“抜け落ち”があるのだろう。

 プログラミングに例えるなら、必要な情報が正しく伝わっていないせいで途中で止まってしまう。つまり――


「ヌル参照、か」

「ぬ、ぬる……?」


 エンジニアの習慣でつい独り言をこぼす。リリアは不思議そうな顔をしているが、俺はさらに続ける。


「リリア、呪文が止まっているところの単語、“ティネア”だけど、どういう意味なんだ?」

「“持ち上げる”って意味よ。ここで水を持ち上げたいの」

「なるほど。でも、何を持ち上げるかってところの情報が、ここには書かれてないみたいだな」


 リリアのノートをじっくり確認すると、“水”という意味の単語が呪文の序盤にしか出てこない。そのあとの“持ち上げる”のあたりには、水に当たる言葉が見当たらないのだ。まるで大事な情報がどこかに置き忘れられているように思える。


「もし、“持ち上げる対象”の情報が抜けたままだと、呪文はどう動いていいか分からない。だから最後まで動かず、途中で止まってしまうんじゃないか?」

「そ、そうなの……?」


 リリアは半信半疑だが、試してみるしかない。そこで俺は水を指し示すための単語を、持ち上げる部分の直後に付け足してみた。


「よし、少し書き足してみたから、もう一度唱えてみてくれ」

「……わかった」


 リリアは深呼吸してから、俺の提案通りに、呪文の一節に単語を書き加えた形で唱え始めた。

 すると、先ほどまで止まっていた一節は問題なく進み、水の塊がコップから這い出ようとした!


「……や、やった! 持ち上がっ……」


 ……が、その後の一節で弾けてしまう。どうやら今回のバグは一つではないらしい。


「でも、さっきよりは進んだ……かも」

「よし、慌てず次の“バグ”を直していこう。次の語句の意味を教えてくれるか?」


 そうして、失敗する箇所を一つずつ見つけ、“バグ”をつぶしていく。

 最初はヌル参照。次は無限ループ。その次は未初期化。プログラミングの世界ではおなじみのバグたちが、呪文の中で次々と解決されていく。

 三回目、四回目、五回目……失敗は続くものの、少しずつ水を動かせる距離は増えていった。


 こうやってバグを直していくうちに、俺の予想は確信へと変わった。

 この世界の魔法の呪文は、プログラミング言語と同じだ。“なんとなく決まった言葉の組み合わせ”ではなく、“特定の効果を起こすための手順”がしっかり組まれている。

 そして、この呪文コードにはバグがある。


 呪文の修正と実行を繰り返すうちに、コップの水があとわずかになり、リリアの声がかすれそうになる。もう後はない。


 八回目。指先を慎重に動かし、浮き上がった水の塊を隣の空コップへと滑らせていく。


 そして……コポッと音を立て、空だったコップについに水が満たされた!

 リリアはその場にへたり込みそうになった。


「や、やった……! できた……!」


 リリアは驚きと安堵が入り混じったような顔で俺を見上げる。そして、頬をほんのり染めながら、初めて“少女らしい”笑みを見せたように思えた。


「ありがと、ゴトー……!」


 その笑顔はどこか儚げに見えるのに、同時に喜びにも溢れている。俺も思わず胸が熱くなった。コルネリア先生が静かに手を叩き、拍手を送る。


「おめでとう、リリア。それからゴトーさん、あなたの助力も見事だったわ。これであなたを“保護者”として正式に迎えるとしましょう」

「ふぅ……よかった。よくやったぞ、リリア」

「コルネリア先生……!」


 リリアが弾む声で名前を呼ぶ。その横では、校長先生も嬉しそうに小さく微笑んでいる。


 しばらくして、リリアが落ち着いたのを確認してから、コルネリア先生は穏やかな調子で続けた。


「ただし、あくまで“退学猶予期間”であることを忘れないように。ゴトーさんの元で、真面目に魔法に励むこと。いいわね?」

「はい、もちろんです。ありがとうございます、先生!」

「それと、あなたが今まで使っていた一人部屋を、そのまま二人で使ってもらうことにするわ」


 その瞬間、喜びに満ちていたリリアの表情が凍りついた。

 まるで雷に打たれたように、目を見開き、首を横に振る。


「え、ええっ!? ちょ、ちょっと待ってください! あの狭い部屋で男の人と二人で暮らすなんて、絶対にムリです!」


 頬を真っ赤に染め、“発狂”と形容したくなるほど動揺している。

 コルネリア先生は苦笑まじりに頭を振った。


「退学寸前のあなたを特別扱いする訳にいかないし、ゴトーさんの部屋を用意する余裕もない。退学を回避したいのなら、それくらいは我慢してちょうだい」

「くぅー……!」


 リリアは机を見つめて歯ぎしりする。まさかこんな条件が提示されるとは思わなかったのだろう。俺も気まずいが、ここで拒否すればすべてがパーになる。


「まあ一応、俺は床で一人で寝るから……」

「当たり前でしょ! 誰が同じベッドで寝るのよ!」


 リリアは恨めしそうな目で俺を睨むが、「退学」の二文字が脳裏にあるのか、強くは反対できない様子だ。最終的に、ぷいとそっぽを向きながら渋々了承する。


「……もう、最悪……」


 か細い声が漏れるが、コルネリア先生はそれを聞き流すように、くすりと笑んだ。


「ふふ、では決まりね。リリア、頑張りなさい。ゴトーさん、あなたも同じ部屋でちゃんと彼女の監督を続けてあげてね」


 こうして、俺たちは校長――コルネリア先生の前で試験を突破した。リリアは退学を免れ、俺も晴れて“保護者”として認められたのだ。ただし、代償として二人での同室生活が待っている。


「これからどうなるのよ、もう……!」


 校長室から出た後、半ばやけくそになって叫ぶリリアに、周囲の生徒がぎょっとした顔で振り返る。しかし当のリリアは構わず廊下をスタスタ歩いていく。

 まだまだ険しい道のりになりそうだが、俺にとっては“この世界で生きる”ための大切な始まりでもある。


 先ほど成功させた水の呪文のように、“バグ”の原因を突き止め、しっかりデバッグしていけばきっと乗り越えられるはずだ。――そう信じながら、俺はあらためて気を引き締める。


 退学寸前の少女と異世界から来たエンジニア。互いに戸惑いを抱えながらも、学園での同居生活が本格的にスタートする。退学回避への道は簡単ではないだろうが、その一歩は確かに進み始めたのだ。

 リリアの後ろ姿を見つめながら、俺は小さく息を吐いて、彼女のあとを追った。


***


 一方、コルネリア先生は、静まり返った部屋に一人きりで立ち尽くしていた。閉まった扉の向こうを見つめ、ぽつりと言う。


「呪文をその場で修正、しかも教科書とは違う形で成功するなんて……こんなこと、前例がないわ」


 彼女の瞳には驚きと興味が入り混じっている。慣れ親しんだ学園の壁の色さえ、新鮮な景色に見えるようだった。


「リリアとゴトーさん……一体……」


 抑えきれない好奇心を感じながら、コルネリア先生はそっと窓の外を見やる。無謀な問題児と、得体の知れない“保護者”。思わず口元に浮かんだ笑みは、教師という立場を超えて、ひとりの研究者としての好奇心に満ちていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ