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それぞれの道

 翌朝、俺とリリアは授業に向かうため寮の出口へ向かって歩いていると、不意に廊下の向こうから勢いよく誰かが駆けてくる足音が聞こえた。


「リリア、ゴトーさんっ、おはようー!」


 声を上げながら姿を見せたのは、ベルだった。小柄な体で全力疾走してきたらしく、息を切らせながらこちらへ突進してくる。

 ところが、止まろうとして足がもつれたのか、ベルはそのまま盛大につんのめって床に転がった。


「きゃあ! あいたたた……!」


 手にしていた教科書やノートがばらばらと散乱する。まるで花が散るように、廊下に紙の束が舞い散った。

 慌てて俺とリリアが駆け寄ると、ベルは恥ずかしそうに頬を染めながら必死で片付けを始める。


「ちょっとベル、大丈夫? ケガはない?」

「ありがと……わっ、ペンが折れてる! ど、どうしよう、もう授業が始まるのに……」

「ふふっ……ベルは相変わらず慌ただしいわね。ほら、私のを使っていいわ。」


 リリアが苦笑まじりにペンを差し出すと、ベルは唇をとがらせながらも素直に受け取った。その様子を見て、俺もつい肩の力が抜ける。


 すると、廊下の奥からセシルもひょこっと姿を現した。


「……ベル、さわがしい」


 セシルの呆れ気味な言葉に、ベルがばつが悪そうに後頭部をかく。だが、すぐに何かを思い出したように声を弾ませた。

「そうだ! 来週の火魔法の授業で食べ物を焼くらしいよ! 先生が言ってたんだけど、“火力調整を学ぶために実際に材料を持ち込んで、焼いてみましょう”って!」


「へえ、食べ物を……焼く?」


 リリアが思わず目を丸くする。けれどすぐに嬉しそうに笑みを浮かべた。


「それはちょっと楽しみかも。いつも呪文ばっかりで味気ないから、たまにはそういう実践的な授業もいいわね。何を焼こうかしら……やっぱりお肉かな? ステーキなんか最高じゃない?」


「いいね! 私は甘いものにしようかな? 魔法で料理なんて、ワクワクするね~」


 ベルは手早く散乱した紙を集めながら、子どものようにはしゃいでいる。


「……私はリンゴ」


 セシルがぼそっと呟いた。思わぬ単語に、ベルとリリアは同時にセシルのほうを見る。


「リンゴ? 焼きリンゴにするってこと?」


 ベルが首をかしげると、セシルは小さく頷く。


「火魔法でリンゴを焼いたら、甘みが増すと聞いた……昔、おばあちゃんが作ってくれたのが、すごく美味しかったから」


「へえ、セシルって意外と甘党なのね。なんだか可愛いじゃない」


 リリアがクスクス笑うと、セシルは照れたようにほんの少し頬を赤らめた。

 俺はそのやり取りを見守りながら、ふと自分の好物を思い返す。


「せっかくなら、俺も何か用意しようかな。肉もいいけど、魚とかもありか? 醤油とか塩があれば美味しく焼けそうだな」


「お魚かあ。それ、調味料も持って行った方が良さそうね」


 リリアが興味を示し、少し考える顔をする。


「焼き魚にリンゴ……教室がいろんな匂いになりそうだけど、楽しそう。私も、ちゃんと材料用意しなきゃ!」


 ベルがすっかり元気を取り戻して、抱えたノートをぎゅっと胸に押し当てた。


 そんな四人のやり取りを傍らで聞いていると、つい昨日までの魔物騒動が嘘みたいだと実感する。この子たちはやっぱり、こうして笑い合っているほうが似合っている。


「ほら皆、もう授業が始まるぞ!」


***


 校舎の廊下を歩いていると、昨日までの殺伐とした雰囲気が嘘のように和らいでいた。魔物騒動が収束し、学園全体が日常を取り戻しつつあるのが肌でわかる。


 リリアはすっかり決意を新たにしたようで、朝から「私、もっと頑張らなきゃ」と張り切っている。俺もサポート役として巻き込まれる形になったが、嫌ではない。

 ただ、これまで見てきた限り、彼女の魔法特性は普通とは違うらしい。一筋縄ではいかない面があるのは確かだ。


「ゴトー! 授業が終わったら、新しい練習計画を立てるわよ!」


 リリアがビシッと指をさして宣言する。思いのほか声が大きかったせいか、廊下を歩いていた他の生徒たちが驚いたようにこちらを見た。


「よし、任せとけ。どんなことをやるつもりだ?」


 俺は首をかしげてリリアの表情をうかがう。彼女は勢いよく頷いてみせた。


「まずは基礎呪文をあらためて復習して、そこから苦手分野を洗い出すわ。セシルやベルにも協力してもらって……って感じかしら。せっかく魔法が上手く行き始めたんだから、落ちこぼれから完全に脱却しないと!」


 いつになく真剣な瞳を向けるリリアに、俺は思わず頬を緩める。あの魔物騒動を経て、彼女は何か大きく変わったようだ。

 以前なら、やけになって無謀な夜間練習をすることもあったけど、いまは冷静に自分の足元を固めようとしている。その姿に成長の芽を感じずにはいられない。


 それから数日、学園には本当に穏やかな日々が続いた。大物の魔物を倒したことで、一帯からは敵の気配が消えたらしく、先生の巡回も緩和されている。

 授業ではリリアの魔法が不安定なのは変わらないが、以前のように大失敗することはなくなった。


 そんな中、リリアは無理な暴走を避けつつ、基礎魔法の練習に精を出している。俺はそのサポートをするため、放課後や休日に図書館へ通い詰める日々だ。

 ときどきベルやセシルも加わって、わいわい雑談しながら情報を調べる。セシルは改変魔法に危険を感じながらも興味を捨てきれないらしく、俺たちの実験を真剣な眼差しで見守っていた。


***


 週末の夜、食堂で夕食を軽く済ませたあとも、俺とリリアは部屋に戻って教科書とにらめっこしていた。

 久々に腰を据えて勉強するリリアの横顔は、どこか楽しげだ。とはいえ、さすがに疲れも溜まっているのだろう。彼女の目の下にはうっすらクマができ始めている。


「ねえ、ゴトー。私が最初にあんたを召喚したときのこと、覚えてる?」


 リリアがふと顔を上げ、俺のほうを見つめる。


「ああ、そりゃ覚えてるさ。見たことない世界にいきなり連れてこられて、俺は混乱してたけど……リリアもあのときは大変そうだったな」

「大変どころじゃないわよ。あのとき私、もうだめかもしれないって思ってたんだから」

「ひどい言いようだな。俺、そんなに頼りなく見えた?」


 軽く冗談めかして言うと、リリアは小さく笑ってから首を横に振る。


「最初の印象は正直、『なんでこんな普通の人間が出てきたんだろう』って感じだったわ。だって、あれは私にとって本当に最後の頼みの綱だったんだから」


 リリアの声からは、当時の切羽詰まった心情が伝わってくる。俺は黙って彼女の言葉を待った。


「呪文をいろいろ改変してもダメだったから、結局、禁術に近い召喚魔法を使ったのよ。家の本棚にあった古い書物で見つけた呪文なんだけど……学校で習う魔法とはぜんぜん違ってて、信憑性なんてまったくなかった。それでも試すしかなかったんだもの」

「そんな危険なもんを……」


 俺は思わず唸ってしまう。リリアがそこまで追い詰められていたなんて想像していなかった。

 一体どうして、そんな古書が家にあったんだろう。そこが妙に気になるが、いまはあえて口にしない。


「……でも、いろいろあったけど、あれが私の最後の頼みの綱だっていうのは、あながち間違ってなかった気がするわ」


 少し恥ずかしそうに言葉を紡ぐリリアを見て、俺は彼女が自分に深い信頼を寄せてくれているのを感じた。

 こんなところで素直に心情を打ち明けるなんて、以前の彼女なら考えられないことだ。


「そうか。力になれているなら良かったよ」


 俺は静かに頷き、そっとリリアを見つめ返す。


「……さあ、リリア、もう休んだほうがいいぞ。明日からまた授業がびっしり入ってるし」

「……もう! 保護者面は相変わらずなんだから!」


 リリアはベッドに倒れ込み、大きく息を吐いた。普通の生徒なら簡単にこなせる魔法でも、彼女にとっては神経を張る場面が多いのだろう。退学を免れたとはいえ、まだ気は抜けない。けれど少しずつ着実に進んでいるのも確かだ。


「……ゴトー、ありがとう。もしゴトーがいなかったら、私はとっくに学園を去っていたと思う」


 布団に潜り込みながらリリアがぽつりと呟く。その声には素直な感謝が滲んでいた。


「いや、俺は大したことしてないよ。リリアが諦めずに踏ん張ってるからこそ、ここまで来られたんだ」

「……それでも、助かったの。あんたは不思議よ。魔法の基礎なんてほとんど知らないのに、突然呪文を改変してみたりして。正直、無茶苦茶だけど、それが私には必要だったのかもしれない」


「そっか。まあ、無茶はほどほどにしような。これからはもう少し慎重に試していこう。二人で一緒に、な?」

「……うん」


 リリアの返事がだんだん遠のいていき、俺も激しい眠気に襲われる。意識が途切れそうになるまま、瞼が勝手に閉じていった。


***


 次に目を開けると、そこはいつもの現実世界のオフィスだった。くすんだ壁紙にずらりと並ぶパソコン、天井の蛍光灯が不自然なほど眩しい。

 どうやらデスクに突っ伏して寝ていたようで、腕が痺れて動かしにくい。スマホを確認すると時刻は朝の六時。十時間は眠っていたらしい。


「……ああ、また現実に戻ってきた、のか」


 椅子からゆっくりと背を伸ばし、周囲を見回す。誰もいないフロアには、パソコンのファンが回る低い音だけが響いていた。

 ふとモニターを覗くと、あれほど深刻だったシステム障害がいつの間にか解決していて、今は嘘みたいに落ち着いている。


 まるで、あちらの世界で“デバッグ”したことが、こっちのプログラムにも反映されたかのようだ。現実にはそんなわけないと思いながらも、これほど不自然に正常化していると考えずにはいられない。


 苦笑いを浮かべながら作業ログを遡ると、見覚えのないコードの断片が残っていた。きっと半分寝たままキーボードを叩いていたのだろう。

 エラー箇所を修正した痕跡があり、コメントが一行だけある。


// 臨時修正:オーバーフローの書き込み先を変えるとなぜか直る


「おいおい……こんな適当な対応があるかよ。ぜったい後でまたバグるって……」


 そう呟きつつも、これがどうやら自分の手によるものらしい。

 オーバーフロー――リリアと一緒に、意図的にバグを誘導したあれと似ている。あちらの世界での俺の行動が、こっちにリンクしているような、不思議な感覚が拭えない。


 デスク上にはコンビニ袋が転がり、中には栄養ドリンクやおにぎりが残されていた。ぬるくなったドリンクを勢いよくあおると、乾いた喉に少しだけ染み渡る。

 数時間前まで、俺はリリアと一緒に魔法のノートを覗いていた。あれが夢だと断言するにはあまりに生々しい。


 ――リリアはどうしているだろう。

 寝坊して慌ててるかもしれない。あるいは朝練でいつも以上に気合いを入れてるのかもしれない。俺がいなくなったと感じているのかさえわからないが……。


「まあ、とりあえず、こっちの世界でやれることをやらないとな」


 ちょうどそのとき、メッセージ通知の音が鳴った。発注元の村田マネージャーからの連絡だ。

「残業対応ありがとうございました。システム、問題ありません」


 朝の六時だってのに……向こうも徹夜してたのか。

「いえ、こちらこそありがとうございました。村田さんもお疲れ様です。」


 そう短く返信してから、自席のまわりを片付け始める。社員が出勤してくるまでにはまだ時間があり、エアコンの送風音だけが響く静かなオフィスだ。

 学園ではあれだけ動き回っていたのに、ここでは書類を整理するだけで妙な感慨が湧いてくる。


 まるで、あちらの世界で得た経験が染みついた身体を、この世界の空気がゆっくり包み直していくようだ。パソコン越しの人工的な光と、魔法の煌めき――どちらが“本当の現実”なのか、今の俺にはわからない。


(リリア、もう朝練してるかな。無理してないといいけど)


 そう思うと自然に笑みがこぼれそうになり、慌てて口をつぐんだ。周りから見れば寝不足でおかしくなっているだけかもしれない。

 でも、心の中でははっきりと言葉が浮かぶ。


(頑張れよ、リリア。次にそっちへ行ったときは、もっとちゃんとしたサポートを考えておくからさ)


 そうエールを送ると、不思議と俺の胸にも力が湧いてきた。キーボードを叩く指先に、微かな活力が宿る気がする。


 いつかまたあの世界に戻ったとき、みんなと笑い合えるように――ここでも俺は前を向いて、やるべきことをこなしていこう。


 ――まだ始まったばかりの異世界と、この世界。俺たちの物語は、これからも続いていく。そんな気がした。

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