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リリアの退学処分

 森を抜け、夜の静かな村の輪郭がぼんやりと見えてきたころ、俺はようやく息を整えはじめた。襲いかかってきた魔物はどうにか撃退できたが、気持ちのざわつきはまだ収まりそうにない。

 隣を歩くリリアも、俺をちらちらと横目で見ては何か言いたげに口を開きかけるが、結局無言のまま視線をそらしてしまう。


 俺の頭の中には「なんでこんなおかしな状況に巻き込まれているんだ」という思いが渦巻いていた。あの魔物は明らかに現実離れしているし、リリアの唱えた呪文はどう見てもファンタジーのそれ。だが、それらが夢だと断定するには、あまりにリアルすぎる。


「……ほら、ついてきてよ。迷子になられても困るんだけど」


 リリアがぼそりと不機嫌そうに言う。俺が呪文をいじって魔物を倒せたのは事実だが、いまだにリリアは俺を信用していないようだ。気まずい空気が流れたまま、俺たちは村の奥へ歩を進めた。


***


 やがて古びた家の前でリリアが足を止める。小さな石段を上がり、ぎしりと音を立てる扉を開けると、中からやさしそうな小柄の老女が顔を出した。


「まあ、リリア。そんな泥だらけになって、どうしたんだい……?」


 おばあさんが目を丸くしてリリアを見やる。そのあと、俺の姿に気づいたのか、細めた目が一瞬だけきょとんとした。


「後ろにいるのは、どなただい?」


「……えっと、俺は後藤亮太っていいます。システムエンジニアをしています」


 異世界では通じないだろうとわかっていても、どう名乗るべきか迷っていた俺は、ついそう答えてしまった。案の定、おばあさんは「しすてむ……えんじにあ……?」と首を傾げる。

 リリアは「もういいってば」とばつが悪そうに俺の腕を引いた。


「ひとまず、早く入りなさいな。体が冷えてしまうよ。ゴトーさんも、上がってちょうだい」


 おばあさんは困惑しながらも俺を家の中へ迎え入れてくれた。そう広くはないが、素朴な温もりを感じさせる空間だ。薄暗いランプの明かりが部屋を照らし、古い木のテーブルや棚が所狭しと置かれている。


 ひとまず俺とリリアは椅子に腰を下ろすと、おばあさんが湯気の立つ器を両手に持ってやってきた。


「落ち着かないだろうけど、とりあえずこれでも飲んで」

「ありがとうございます」


 なんとも優しい香りのするスープを口に含むと、疲れ切っていた身体がほっと緩む気がした。俺が軽く息をついたのを見て、リリアも小さくふうっと息を吐き出す。


「リリア、何があったのか説明してくれないかい? こんな夜更けに一人で出て行って、知らない人と一緒に帰ってくるなんて……」


 おばあさんの心配はよくわかる。まったく意味不明な状況だ。


「……えっと、森で魔法の実験をしてたの。それで、サーヴァントの召喚呪文を使ったんだけど、失敗してこの人が出てきた……というか、呼び出されちゃったみたい」


「しょ、召喚呪文?」


 おばあさんの視線が俺に移る。俺はカップを置いて、慌てて手を振った。


「いや、俺は召喚された“サーヴァント”じゃないです。本当に普通の人間で、魔法なんて使えません」


「まあ、普通の人を呼び出したっていうのかい?」


 おばあさんは驚いた様子でリリアを振り返る。リリアは気まずそうに黙ってうなずいた。


「俺もわけがわからなくて……ここは、どこなんでしょうか?」


「ここはノルデン村。ヴァルヘリオン王国の端っこにある小さな集落だよ」


「ヴァルヘリオン王国……?」


 まったく聞いたことのない国名に、俺は言葉を失った。そもそも”王国”なんて、現代にあっただろうか。

 地球上に存在しない――つまりやはり、俺は本当に異世界に来てしまったということなのか。


「ゴトーさんは、どこの人なんだい?」

「えっと、俺は……」


 日本の東京都、と言いかけて、言葉を呑む。おそらく二人に言っても伝わらないだろうし、さらに混乱させるだけだろう。今はこの状況を聞き出すことが優先だ。


「ここではない別の国から来ました。そこで、その……技術職のような仕事をしています」


 おばあさんは申し訳なさそうに言う。


「そうかい。それはすまなかったねえ。ほら、リリアも謝るんだよ」

「う、うう……」


 リリアは嫌そうにうつむき、謝るのを拒むように唇を結んだ。彼女の態度は気になるが、今はそれを気にしている場合じゃない。状況確認が先だ。


「なあリリア、この村って、さっきみたいな凶暴な生き物がよく出るのか?」


 俺の言葉に、おばあさんは息を呑む。


「もしかして、魔物が出たのかい!? ……本当に二人とも、無事でよかったよ。リリア、魔法はまだ上手く使えないはずだけど、どうやって逃げてきたんだい?」


 リリアは気まずそうに答える。


「えっと……ゴトーが勝手に呪文をいじって、それを唱えたら上手く行って、魔物を退治できたの」


「なんと、そうだったのかい。ゴトーさん、ありがとうねえ。命の恩人じゃないか」


 おばあさんが俺に向かってにこりと笑う。その笑顔につられて、俺の胸の中の緊張がすっと解けていくのを感じた。


「いえ、そんな。俺はただ……リリアが使ってる呪文にバグがあるんじゃないかって思って。システムのエラーを直すように、単語を少し端折っただけなんです」


「バ、バグ……? ま、まあ難しいことはわからないけど、でも本当に助かったわ。ありがとう」


 おばあさんが再度頭を下げる。そう言われると、やはり照れくさい。


「……ふん、あんなのただの偶然じゃない」


 リリアが小さく呟き、そっぽを向く。ここまで話を進めるうちに、俺は半ば強引に「これは夢だ」と思い込みかけていた自分を少しずつ修正する必要を感じていた。

 あまりにもリアルだし、現実に戻せと駄々をこねても何一つ解決しそうにない。

 ならば今はこの世界のことをきちんと把握する方が賢明だろう。


「ところでリリアって、歳はいくつなんだ? そのローブと制服っぽいの、学生の服装なのか?」


 俺が尋ねると、リリアは露骨に嫌そうな顔になる。


「……十五歳。魔法学園の生徒よ。だけど、学園はここじゃなくてずっと遠い場所にある」


「そうか。今は休暇中か何かなのか?」


 そう続けようとした瞬間、リリアは黙ってしまう。その代わりに、おばあさんが代弁するように口を開いた。


「リリアは学園でちょっと問題を起こしたんだよ。今は……停学中でね」


「停学……」


 その瞬間、気まずい沈黙が落ちる。リリアは視線を下げ、俺も話の続きをどう切り出せばいいのかわからなくなる。


「ああそうだった。リリア、ちょうどさっき学園から手紙が届いてたんだよ。ほら」


 おばあさんは机にお盆を置き、古めかしい封筒を取り出してリリアに手渡した。深紅の封筒にロウの封がされていて、厳かな雰囲気を醸し出している。


「……学園からの手紙、よね」


 リリアは沈んだ声でそれを受け取る。少し逡巡したあと、覚悟を決めたようにロウの封を破った。


「えっと……」


 手紙を見つめるリリアの表情がみるみる曇っていく。隣でおばあさんも文面を覗き込み、同じように顔をこわばらせた。

 リリアの唇が震え、俺はごくりと息を飲む。


「退学処分――って……」


 おばあさんは目を大きく見開いてリリアを見やった。その一文だけで、リリアが今まで必死に抑えていたものが一気にあふれだしそうになる。


「そんな……退学なんて、どうすれば……」


 リリアは手紙を握りしめたままうつむき、涙を落としそうになる。魔法学園で上手くいっていないという話だったが、退学になるほど問題視されていたとは思わなかった。


「リ、リリア……落ち着いて、最後まで読むんだよ」


 おばあさんが声を掛けるが、リリアはその言葉を振り切るように手紙をバサッと放り投げる。


「もういい! どうせ何が書いてあったって、退学には変わりないでしょ……!」


 床に散らばった手紙からは、厳しい戒告の言葉が覗いていた。リリアが何度も問題を起こしたこと、師の言いつけに従わないこと、さらには魔法の暴発など――。しかし、その最後には見逃せない一文がある。


「……“ただし、保護者の監督下にある場合に限り、退学処分を一時延期する”――だって?」


 俺のつぶやきに、リリアの肩が小さく揺れた。


「延期? 退学が延期になるってこと……?」


「うん、はっきりそう書いてあるよ。“保護者の監督のもと、一定期間内に問題を起こさず、指導に従うなら処分を再検討する”って」


 そこには「観察期間」的な条件が並んでいるが、即刻退学よりははるかにマシな内容だ。


「だったら……両親を連れていけばいいんじゃないのか? 保護者っていうのは、普通は父さんと母さんのことだろ?」


 そう口にした途端、リリアの表情がいっそう暗くなる。唇を噛みしめ、言葉を出せずにいるようだ。


「……私の父さんと母さんは、もういないの」


「……そっか。ごめん、知らなかったとはいえ軽率だった」


 俺が頭を下げると、リリアは小さく首を振る。その目には痛ましい記憶の影が見え隠れしていた。彼女は続ける。


「おばあちゃんはもう身体が弱いし、魔法も学んでない。だから、保護者ができる人なんて、私にはいないのよ」


 言葉が途切れる。リリアは諦めたように前髪をいじり、おばあさんも申し訳なさそうに黙り込んだ。

 だが、ふとした拍子に、リリアとおばあさんの視線が同時にこちらを向く。どうやら二人の頭には同じ考えが浮かんでいるようだ。けれどもリリアは自分から言い出せずに視線をさまよわせる。代わりに、おばあさんが意を決したように口を開いた。


「……ゴトーさんは、これからどうするんだい? 行く宛は?」


 唐突な問いに、俺は首をひねる。もともとこの世界に来るなんて想定していなかったし、帰り方もわからない。


「えっと……特にないんです。でも、ずっとお世話になるわけにもいかないし……」


 そう言いかけて、俺はハッとした。おばあさんの意図が何となく見えてくる。


(まさか……俺が“保護者”になるとか?)


 俺が固まっていると、おばあさんは少し気まずそうに俺に目線を送り、次にリリアの方を見た。リリアはそっぽを向いたまま、耳を真っ赤にしている。


「ちょ、ちょっと待ってくれよ。俺はただのシステムエンジニアで、魔法なんか全然……」

「でもゴトーさん。あなたはリリアが森で使った呪文を、上手く“修正”してくれたんだろう? 結果的に成功して、あの危険な魔物を退けられた」


 おばあさんの声音は力強い。たしかに俺の“バグ取り”発想で、リリアの呪文暴発は防げた。


「ゴトーさんの力があれば、リリアの呪文を安定させられるかもしれない……そう思うんだよ」

「え、いや、それは本当に偶然で……。俺は魔法が使えるわけじゃないし、知識もないし……」


 リリアは相変わらずそっぽを向いているが、その耳まで赤い姿は隠しきれていない。


「……わ、私は嫌よ。だってこの人、私のことを笑ったし、魔法も使えないし、偉そうだし……」


 恥ずかしさと嫌悪感が入り混じったような表情で、リリアはぎゅっと拳を握っている。保護者役が嫌なのはわかるが、それを承諾しないと退学は免れない。


 リリアには散々な目に遭わされてきた俺だが、辛そうな顔をしている彼女を見ているうちに、不思議と放っておけない気持ちが芽生えてきた。

 リリアは身勝手だが、まだ高校生になったばかりくらいの子供だ。子供のわがままは大目に見て、たしなめてあげるのが大人の役割だろう。


 何もできずに退学になるのはあまりにもかわいそうだし、バグだらけの呪文をそのままにすれば、また暴発して危険な目に遭うかもしれない。

 それに、システムエンジニアの仕事は人助けだ。今までも長時間労働でさんざん辛い目に遭ってきたが、人を助ける仕事自体は悪くないと思っていた。


「……わかりました。俺でよければ、リリアの力になるように頑張ってみます!」


 俺がそう宣言すると、おばあさんはほっとしたように微笑む。リリアはわずかに目を見開いたが、すぐそっぽを向いた。


「……別にあんたを頼りたいわけじゃないから。あくまで学園に戻るための手段。あんただって、私がいなきゃ家も食事もなくて困るんでしょ」


 相変わらずトゲのある言い方だけど、少しだけ安心した様子が伺える。すると、おばあさんが軽く咳払いをして、リリアの後ろから肩をぽんぽんと叩いた。


「リリア、ちゃんとお願いをしなさい。頭を下げるのが筋だろう? ゴトーさんはあなたを助けるって言ってくれたんだから」

「……うぅ」


 リリアは嫌そうな顔をしつつも、観念したように俺をちらりと見て――そして勢いよく頭を下げる。


「……お、お願い……します。退学だけは、いやだから……」


 その声は弱々しいが、真剣さが伝わってきた。俺は思わず力強くうなずく。


「任せとけ! 人助けは、システムエンジニアの仕事だからな!」


 リリアは言葉の意味がわからないのか、ぷいっと横を向いたままだ。どうやら素直に感謝するタイプではないらしい。


 こうして、俺は夢か現実かもわからないまま、金髪の見習い魔法使い・リリアの“保護者”という奇妙な役割を引き受けることになった。


 ――だが、このときの俺たちは、この決断が後にどれほど大きな波紋を生むのか、まだ知る由もなかった。

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