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初めての魔法実習

 俺は人気のない中庭の石畳をとぼとぼと歩いていた。

 リリアの「保護者役」として、学園から正式に許可を得た以上、彼女と行動をともにする義務がある。寮で一緒に過ごすのもその一環だ。彼女の生活態度や授業の様子を監督し、もし危ない状況があれば止めなきゃならない。

 なのに、まさか本人から「ほっといて」なんて言われるとは……この先、どうしたらいいんだ。


 考え込んでいると、朝の風とともにふわりとパンの焼ける匂いが鼻をくすぐった。学園の購買部から漂ってきたのだろう。普段なら登校途中に立ち寄って朝ごはんを買う生徒も多いはずだが、今の俺はそれどころじゃない。

 腹は減っているのに胃が重い。今朝はろくに水すら口にしていないし、何より心が落ち着かない。


(とりあえず、リリアがどこに向かうかだけでも確認しないと――)


 そう思い、校舎に向かって歩き出す。長い渡り廊下を抜け、開け放たれた玄関ホールへ入ると、生徒たちがあちこちで会話を交わしながら集まっていた。朝のホームルームに向かう前の束の間らしく、ざわざわと活気づいている。

 その中心にいるのは、赤い長髪とすらりとした体躯を持つ女生徒――ジュリエンヌと取り巻きたち。見るからに貴族然とした派手な衣服を着こなし、高飛車な雰囲気を漂わせている。彼女たちの周囲を避けるように、生徒たちが遠巻きに通り過ぎていく。やはり“派閥”を率いる存在なのだろう。


 ホールの端を通り抜けようとしたとき、後ろからひそひそとした声が聞こえてきた。


「ねえ、あれが噂の“落ちこぼれ”の保護者……?」

「ほんとだ、リリアと同じ部屋で暮らしてるって……信じられる?」


 ――完全に陰口を叩かれている。しかもリリアまで“落ちこぼれ”呼ばわりか。魔力が不安定とはいえ、彼女は必死に努力している。いい気分はしないが、ここで口論しても状況は変わらない。

 俺は足を速め、ジュリエンヌたちの脇を通り過ぎた。彼女たちはまるで俺など視界に入らないというように、クスクスと笑っている。


 ホールを抜け、教室棟へ向かうと、扉の前にリリアが気まずそうに立っていた。

 俺に気づいた彼女は、ギロリと睨んでくる。怒っているのは明らかだ。だが保護者として授業を見学する義務がある以上、俺も引き下がれない。


「……リリア」


 声をかけても、彼女は口を開かない。ただ、ちらりと扉の向こうに視線をやった。すでに何人かの生徒が席についている。こんなところで大声を出せば目立つだけ――それはリリアもわかっているようだ。


「今は授業が始まるから、仕方なく一緒に行くわ」


 リリアはぷいと顔を背け、教室の中へ入っていく。俺もあとに続いた。

 クラスメイトの視線がちらほらこちらをうかがってくるが、リリアの険しい表情を見てか、誰も話しかけようとはしない。


***


 やがて、教壇に人影が立った。ふわりとウェーブのかかった茶髪が揺れ、優しげな表情が印象的な若い女性だ。リリアからもらったシラバスによると、レイン先生というらしい。まだ二十代くらいに見える。

 彼女は不安げにクラスを見回すと、台車で運んできた大きめの瓶を教卓の上に置き、授業を始めた。


「みなさん、おはようございます。水魔法の実技の時間ですよ。……でも今日はその前に、皆さんへ連絡があります!」


 教室内がざわつき始める。わずかな緊張感が伝わってくるのは、俺の気のせいだろうか。


「皆さんも知っている通り、今この学園は警備体制を強化しています。学園の外に出る必要があるときは、必ず先生に連絡してください。それから、夜間は校舎の中であっても、あまり不用意に出歩かないでくださいね」


 俺は隣のリリアに小声で尋ねる。


「これって、門に騎士が立ってた話かな?」

「多分、そうだと思う。やっぱり何かあったんじゃ……」


 クラスのあちこちで憶測や噂話が飛び交い、ざわざわと大きな声が混じり合う。高校生くらいの年齢の彼らには格好の話題なのだろう。


「さてさて、皆さん落ち着いて! 別に心配することはないですよー。さあ、授業を始めましょう! 前回の水魔法、しっかり練習してきましたかー?」


 レイン先生のにこやかな問いかけに、生徒たちはパッと表情を切り替え、「はーい!」という元気な返事をそろえて教室が明るくなる。


「それでは、誰か一人、練習の成果を発表してもらってもいいですかー?」


 横目でリリアを見ると、複雑な表情をしていた。簡単な水魔法なら先日校長先生の試験で成功させたが、授業で成功する自信はないのかもしれない。さて、負けず嫌いなリリアがどう出るか……。


 そう考えていると、教室の中央付近にいた小柄な女生徒が手を挙げた。

 紺色のショートヘアと、大きめの丸眼鏡が特徴的だ。背筋を凛と伸ばし、金色の瞳に冷静な光を宿している。


 レイン先生は嬉しそうに頷く。


「セシルさんの自主的な練習、ぜひ見せてちょうだい。みんな、よく見てね」


 セシルは教壇の前まで進むと、水が入った瓶に向けて詠唱を始めた。いくつもの淡い青い光が重なり合い、瓶の中から水が引き寄せられていく。すると、小さな波のような形を作りながら、教室の端から端へと生き物のようにうねり、最後はセシルの手元で雫になって消えた。

 教室が拍手に包まれ、レイン先生も「すごいわね、教科書レベルをはるかに超えてるわ!」と感心している。


「すごい」「さすがセシル!」という声が上がるが、セシルの表情はほとんど変わらない。興奮する友人に対しても「あまり大したことじゃない」と静かに返すだけだ。おそらく、生来の才能と、それなりの自主練習を積み重ねてきた成果なのだろう。


 そんな教室の雰囲気を感じ取ったのか、リリアが急に手を挙げた。


「わ、私も挑戦します!」


 クラスメイトの間にざわめきが広がる。一部の生徒から「え、リリアじゃちょっと……」という声が聞こえ、レイン先生は一瞬困った顔をしたが、やがて柔らかく微笑んで頷く。


「わかりました。では、リリアさん、どうぞ前へ。みんな席についてね」


 リリアは足早に教壇へ向かうと、大きく息を吸い込んで詠唱を始めた。基本の動作は押さえているようだが、問題は“魔力が暴走しやすい”ところ。今朝のことがあって心が乱れているのも、見ていてわかる。


「リリア、落ち着いて!」


 思わず声をかけたが、彼女は無視して杖を構える。唱え始めた呪文に合わせ、淡い青い光がゆっくりと周囲を包む。だが、セシルのときと比べて、光の輪郭がどこか歪んでいるように見えた。


(嫌な予感がする――)


「――アル……エクス……クオラ……!」


 最後の詠唱を叫んだ瞬間、青い光が弾け飛ぶ。瓶の水は天井まで一気に噴き上がり、ドバシャアッとスプリンクラーのように降り注いだ。


「うわああああっ!」


 生徒たちは悲鳴を上げ、机やノートまでびしょ濡れになる。レイン先生のスカートの裾も、見事に水をかぶってしまった。


「……ご、ごめん……なさい……」


 リリアのか細い声に対し、クラスは驚きと怒りが入り混じった微妙な空気に包まれる。ジュリエンヌ派閥の生徒たちからは「だから落ちこぼれは……」と嘲るような声が聞こえた。

 リリアは項垂れたまま動かない。見かねた俺は保護者として、そっと近づく。


「だ、大丈夫か……?」


 リリアは乱れた髪を耳にかき上げ、伸ばしかけた俺の手を軽く振り払った。


「……もう、なんで上手くいかないのよ!」


 胸が痛む。成績はどん底で退学寸前。それでも弱さを認めたくないのか、彼女は必死に強がっている。そのプライドが、余計に自分を苦しめているようだ。


 レイン先生は困った様子を見せながらも、「大丈夫ですよ~」と優しく声をかけ、長めの詠唱をさらりと唱える。すると、教室中に散らばった水がぽろぽろと空中に集まり、あっという間に瓶の中へ戻っていった。

 「おおー」という歓声と拍手が上がる。やはりプロの魔法は桁違いだ。


「さあ、授業を続けましょー!」


 レイン先生は何事もなかったかのように、水魔法の種類や呪文を構成する単語について説明を再開した。


***


 授業が終わると、みんながぞろぞろと廊下へ出ていく。その中で、教室の後方からベルが駆け寄ってきた。


「リリア! 大変だったね」


「……うん、やっぱり失敗しちゃった」


 リリアは平然を装おうとしているようだが、その声には悔しさと情けなさが混じっている。ベルはそんなリリアの手をそっと握り、少し照れたように微笑んだ。


「失敗なんて誰にでもあるよ。今日のはちょっと派手だったけど……でも、私はリリアがあきらめずに頑張ってるの、知ってるから!」


 その言葉にリリアは小さく息をのむ。クラスで“落ちこぼれ”呼ばわりされても、きちんと見守ってくれる人がいる――それを思い出したのかもしれない。


 そこへ、セシルが静かに近づいてきた。


「……たしかに失敗だったけど、あの量の水を一度に操るのは難易度が高い。普通は持ち上げるだけでも苦労するはず」


 クールな口調だが、フォローしてくれているのだろう。セシルは自分のときと同じ瓶を指しながら、魔力の流れや詠唱のリズムについて淡々と説明する。教師のような落ち着いた解説だ。


 リリアは一度大きく肩を震わせ、伏せたままの顔を上げた。目元には涙の痕が残っているが、その唇にはかすかに笑みが浮かんでいる。


「……ありがとう、ベル……それに、セシルも……」


 小さく消え入りそうな声ではあったが、ふたりへの感謝はリリアの本心だと思えた。その姿に、ベルはホッとしたように笑い、セシルもわずかにうなずいたように見える。


 俺は保護者として、リリアが周囲に助けられながら少しずつでも前を向けそうな気配を感じ、胸を撫で下ろす。もちろん問題は山積みだし、本人が乗り越えるべき壁は高い。けれど、こうして手を差し伸べてくれる仲間がいる限り、きっと大丈夫だと信じたい。

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