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●第三章 未来からのメッセージ

 極夜が明けようとしている頃、キャサリンからの二通目の手紙が届いた。


「拝啓、シンプソン博士

 あなたの前回の手紙に書かれていた、南極の気圧配置と海流の関係について、私なりに考察を重ねてみました……」


 几帳面な文字で綴られた手紙には、驚くほど的確な分析が記されていた。


「この観測結果は、地球規模での気候変動の可能性を示唆しているのではないでしょうか?」


 雪絵は思わず手紙を握りしめた。古気候学者として知っている未来の気候変動の予兆を、この時代の若い女性が鋭く指摘している。雪絵は胸を熱くした。


「Dr. Simpson!」


 突然の呼び声に、雪絵は手紙を慌てて机の引き出しにしまった。


「申し訳ありません。アムンセン隊からの通信です」


 通信士のメイヤーズが報告書を手渡してきた。


「彼らは……フラム湾に到着したようです」


 雪絵は報告書に目を通しながら、歴史的事実と照らし合わせた。予定通りの展開。これは変えてはいけない歴史の一コマだろう。


「ありがとう、メイヤーズ」


 通信士が立ち去った後、雪絵は観測データを見直し始めた。アムンセン隊の位置は、気象パターンにどう影響するか。そして、スコット隊の計画にどう関わってくるか。


「シンプソン君、ちょっといいかね」


 スコットが入ってきた。表情は硬い。


「アムンセンの件は聞いたかね?」


「はい。フラム湾に陣を構えたとか」


「あの位置からなら、我々より早く極点に到達できる可能性が高い」


 スコットの声には焦りが混じっていた。


「我々の計画を、前倒しにすべきではないでしょうか」


 雪絵は深く息を吸った。歴史を変える時が来たのかもしれない。


「艦長、その前に、気象データをご覧ください」


 マクマード基地の作戦室。壁には南極大陸の地図が貼られ、テーブルには観測データの束が広げられていた。窓の外では、ブリザードの予兆となる低い雲が流れている。


「この気圧配置が示すように、来シーズンは例年より気温が低くなる可能性が高い。さらに……」


 雪絵は言葉を選びながら、天気図の上を指でなぞった。現代の気象衛星データやコンピューターモデルで当たり前に予測できる現象を、この時代の言葉で説明するのは、まるで異なる言語への翻訳のように繊細な作業だった。


「大気の流れに着目すると」


 雪絵は一瞬言葉を詰まらせた。

「ジェット気流」という言葉が喉まで出かかったが、それはまだこの時代には存在しない概念だった。


「上空の強い風の帯が、例年より南に偏っています。これにより、極地の冷たい空気が、より広い範囲で――」


 スコットの眉が寄る。


「その『上空の風の帯』というのは、どうやって確認したのかね?」


 雪絵は、用意していた観測データを指さした。


「気圧の変化と、雲の動きのパターンから推測できます。さらに、渡り鳥の飛行ルートの変化も、これを裏付けています」


 雪絵は再び生態学の知識を気象予測に組み込む。現代では当たり前の学際的アプローチを、さりげなく導入する。


「興味深い着眼点だ」


 ウィルソン医師が感心した様子で頷く。鳥類の専門家である彼の賛同は、雪絵の説明に説得力を与えた。


「そして、この寒気の流れは」


 雪絵は、砂時計を手に取った。


「およそ72時間で、この位置に達します。その時、気温は急激に……」


 現代なら気温の数値を正確に予測できるところだが、ここでは定性的な表現に留める。


「かなりの低温になると」


「どの程度の寒さになるとお考えですか?」


 オーツ大尉が実践的な質問を投げかけた。


 雪絵は、慎重に言葉を選んだ。


「人間の体が、安全に活動できる限界を超える可能性があります。特に、この地点での野営は??」


 地図上の一点を指す。歴史的な悲劇が起きた場所だ。


「極めて危険です」


 部屋の中が静まり返った。外のブリザードの音だけが、かすかに聞こえている。


「具体的な対策は?」


 スコットの声には、緊張が滲んでいた。


「はい。まず、補給路の再検討を。そして、気象観測点の増設により、より詳細な??」


 説明を続けながら、雪絵は祈るような気持ちだった。

 この科学的な予測と警告が、歴史の流れを、ほんの少しでも変えることができますように。


「シンプソン君」


 スコットが静かに言った。


「君の説明は非常に論理的だ。だが、時間的な制約もある。どこまで対策を実施すべきか、慎重に検討しよう」


 雪絵は黙って頷いた。

 科学的な正確さと、歴史的な制約の間で、最適な落としどころを探さねばならない。


 室内の気圧計の針が、わずかに動いた。

 南極の風は、新たな寒波の接近を告げていた。


 その夜、雪絵はキャサリンへの返信を書いた。


「あなたの気候変動についての考察は、驚くほど正確です。実は、私も同じような仮説を持っています」


 ペンを走らせながら、雪絵は現代の知識をどこまで書くべきか、慎重に選んでいた。


「南極の氷には、地球の過去が刻まれています。そして私たちが今観測しているデータは、未来への警鐘なのかもしれません」


 手紙の最後に、こう付け加えた。


「時として、真実を見抜くには、既存の枠組みから自由になる必要があります。あなたのような、柔軟な視点を持つ人こそ、科学に必要なのです」


 基地の外では、オーロラが静かに揺らめいていた。

 過去と未来が交差する南極の夜空の下で、雪絵は自分の使命について、改めて考えを巡らせた。



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