09.国の機構と帝国のルール
「ところでラウレンツ様、公爵領のお話ですけれど」
「この姿勢で話を続けるつもりか?」
「ええ、だって頭は撫でられ得ですもの。それとも、ラウレンツ様としては駄目ですか?」
「……駄目ではない」
小首を傾げると、再び絞り出すような声が答えた。眉根にはしっかりと皺が寄っているのでまだ恥ずかしいらしい。
まあ、そのうちよくなるでしょう。ラウレンツ様は仕事人間だし、その意味でも私が意識を仕事に戻してあげねば。そう考え、ラウレンツ様の手に握られたままの地図を借りた。頭撫でを強制終了させられてしまったヴァレンは不満そうな顔をしているけれど、仕事なので許してほしい。私は頭を撫でてもらっているままだけれど、それはそれということで。
「では。ノイマン公爵領も海に面しており、こちらと同様の条件下にあることを勘案しているはずだと、そういうお話でしたね。とはいえ、ここで話していても埒があきません。だとして、ノイマン公爵に話を聞いたところで素直に教えていただけるはずもなく。ここはひとつどうでしょう、私がさくっと例の公爵領――オストリン・ノイ地方に足を運ぶというのは」
「……駄目だね」
ラウレンツ様は、器用にも膝に頬杖をつき、口を覆って表情を隠している。私の頭撫でをやめないのが(ありがたいけれど)意地のように見えてきた。
「なぜですか? 皇子妃が軽率に遠出すべきではないからですか?」
「それもあるけれど、今回問題なのは、エーデンタール国のことだ」
「あー……」
そういえば、そんな問題もあった。考えなければならないことだけれど、同時に限りなく面倒臭いことでもあって、返事をしながら視線を明後日の方向へ向けてしまう。
ニコラウスのお陰で、エーデンタール国事情はわりと筒抜けである(ように見える)。その情報によれば、エーデンタール国王家は、アラリック王子を筆頭に私を探しているのだ。しかもなんと、“アラリック王子の婚約者”として。
そして私は、皇子妃となった後も慣例どおり「ロザリア・シュテラ・アルブレヒト」と名乗っている。帝国皇子妃の正式なお披露目はないものの、帝国貴族当主レベルになれば知っている者も多い。
その結果、アラリック王子からは、なんと使者が来ていた。その内容を要約すると「久しぶりに挨拶に行きます」で、裏を返せば「おたくの妃がうちのロザリアか確認したい」だ。予定は一月ほど先である。
ううむ、と首を捻ってしまった。
「確かにオストリン・ノイ地方はエーデンタール国に隣接していますからね。物理的にアラリック王子に近いというのは絶妙な不安があります。といっても、せいぜい行き交う商人がごちゃ混ぜになっているくらいですし、エリザベート様がお話していたのはオストリン・ノイ地方の帝国側ですし……現実的な懸念は特にないのですが」
「直感で不安があるなら大事にしたほうがいい。というのはさておき、俺もアラリック王子との関係ではさして心配はしていない。どちらかというとアラリック王子の、婚約者だ、という立場が」
ラウレンツ様は、噛みしめるように一度言葉を切った。いや、正確には苦虫を噛みしめるように、だ。なんなら私の頭を撫でていた手にも一瞬余分な力が入った。聞いたことはないけれど、もしかしてアラリック王子のことが嫌いなのかもしれない。
「帝国貴族に悪い影響を与える可能性もある。エーデンタール国は帝国貴族内での評判が悪いからね」
「なぜですか?」
「エーデンタール国貴族のやり方がいちいちセコいというか、貴族の品に欠ける」
「……品に欠けるとは」
「統治機構の違いが原因だとは思うけどね。その意味では些末な問題だよ」
もっと意味が分からなくなった。
「ロザリアなら分かるだろう、エーデンタール国の王城統制システムと帝国の宮殿統制システムの相違が」
「まあ……。私の理解が正しければ、王城統制システムは“王城内のシステムを統制するもの”で、帝国の宮殿統制システムは、“帝国を統制するための宮殿内のシステムを統制するもの”です」
エーデンタール国の王城統制システムは「王城内での仕事がうまく回るように」あるもの。例えば、王城の厩舎で必要な馬の餌を仕入れるにあたり、その所管は誰にあって、どこまでの確認が必要なのかとか、軍を動かすためには必ず王家が最終決定を下さなければならないとか、そんなことを定めているに過ぎない。話の中心は厩番から王まで多岐に渡るけれど、とにかくその対象は王城で完結している。
一方で、宮殿統制システムはそうではない。もちろん、「羽ペンのインクは予算の範囲内で自由に購入可」なんて宮殿内に留まるルールもあるけれど、大事なのは、「宮殿」というのが「官僚の集う組織」であって、その「組織」は「帝国全土の統治」を目的とし、その「組織」運営の円滑化のためにルールが存在していることだ。
「そのとおり。もちろん、根本的にエーデンタール国はひとつの国で、帝国はそうではないから、帝国と同じシステムがエーデンタール国に必要なわけじゃないんだが」
「でも、趣旨が当てはまる部分はありますよね。エーデンタール国の貴族は王家と双務契約――ある意味対等な関係にあり、主従関係にはありません」
貴族は王から土地を賃借して統治し、その対価として税という名の賃料を王家に支払う。有事の際は税の代わりに軍を提供する。その契約が履行される限り、王は領主に口を出さない。それがエーデンタール国だ。
「ニコラウス――モルグッド伯爵家がそうであるように、貴族は王に対して首を横に振るだけの力を持っています。それを抑制する必要はあって、そのためにルールは必要なのでは?」
「そうだね、そしてそれがエーデンタール国の貴族は品がないという話に繋がる。エーデンタール国の王は貴族の所業にノータッチだからね、領主の善意に依存するしかない」
「なるほどつまり、平たくいうと、帝国貴族は下手なことをするとラウレンツ様に睨まれるのでしないけど、エーデンタール国の貴族は下手なことをしても多少なら王家が目を瞑ってくれるから下手なことをするということですね」
「正解だ、さすがだね」
頭の上の手が少し丁寧に動いた。ちょっと誇らしくなってしまったけれど、逆にさっきまでは惰性の動きだったのかもしれないと気付き、少しもやりとした。頭を撫でてもらうだけでよかった気がするのに、気持ちがないと物足りない気もする。贅沢を覚えるということはこういういことかもしれない、現にラウレンツ様は相変わらず真面目な仕事顔だ。
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