07.不可能と可能
エリザベート様いわく、飛地の公爵領が不作に見舞われ困っているという。
お茶会でする話ではないと思うのだけれど、という前置きをして、エリザベート様は深い溜息を吐いた。
『もともと豊作な土地だったわけではありませんの。ただ、他の公爵領に比べあまりにも差があるものですから、ノイマン公爵が飛地には目をかけないせいではないかと不平不満の声が大きくなり始めたのです。目を届かせにくいことは事実ですが、斯様なつもりはなく……ただ、他の領地に比して税率を下げれば贔屓になりますし、それはそれで別の軋轢も生じますので、いかんともしがたいのです』
その飛地は、エーデンタール国に近く、ナハト辺境伯領の南方に所在しているらしかった。お陰で、ルヴァリエ様が「そういえばあのあたりは最近治安が悪くて困ってました」と余計なことを口走った。本当は私が足を踏みつけたかったのだけれど、ルヴァリエ様はラウレンツ様ほどメンタルが強くないので、代わりにヴァレンに足を踏んでもらった。ルヴァリエ様はちょっとご褒美みたいな顔をしたので失敗だったけれど。
さておき、なぜエリザベート様がそんなことを気にしているのか? どうやらノイマン公爵は本気で頭を悩ませており、だからこそ公爵家の弱味を見せるわけにはいかぬと他人に頼れずにいるそうだ。それを見て、エリザベート様が独断で、私を通じてラウレンツ様に助けを求めることにしたという。政治に疎いというのはある意味頼もしい。
という話を、執務室を訪ねてラウレンツ様に伝えた。
「ラウレンツ様が公爵家の弱味をここぞとばかりに突く皇子でない、というか皇家と侯爵家は現在そのような関係にはないと思うのですが、ノイマン公爵はラウレンツ様に頭を下げたくないのでしょうか?」
「そこまでは言わないけれど、まあ気分が良いわけではないだろうね。敵に借りがあるとやりにくくなるだろうから。ただ、公爵領の不作か……」
ラウレンツ様はノイマン公爵自体にはさして興味を示さず、地図を広げながら頬杖をついた。
「裏を返せばこちらからノイマン公爵に恩を売れることではあるし、なにより公爵領内の面倒事は帝国の厄介事である。こちらから対処したいのはやまやまだが、引っかかることは……」
「私の加護がなぜ及んでいないのか、か」
フンフンと鼻を鳴らしながら、ヴァレンはラウレンツ様の膝に飛び乗った。ラウレンツ様は少し重たそうにイヤな顔をしたけれど、構わずにヴァレンに机の上を見せてやる。
「距離はどの程度だ?」
「辺境伯領より少し遠いくらいだね。ただ、あくまで移動日数に基づいて算出する場合だから、直線距離で考えるとそう遠くない」
「なおさら私の力が及ばぬはずがないな」
「忠誠心に依るなんてことはないよね?」
「神獣はそのように便利な生き物ではない。ロザリアから離れると加護の力も弱まるのは事実だが、だとして影響のない距離ではある」
「であればなぜこの公爵領だけ実りが悪いんだ?」
「それを考えるのは神獣でなく人間の仕事だ」
あらあらあら……。二人の様子を見ながら、私の話を聞くエリザベート様のような反応をしてしまった。ただでさえ、ヴァレンが他人の膝の上に乗るなんてないことなのに、喋り出したらまるでラウレンツ様の神獣みたいだなんて……。ルヴァリエ様よりよっぽど仲良く見えるし、本当に懐いてるのね。
執務机を挟んだ向こう側のヴァレンは、鼻でぐいぐいと地図を動かした。
「私の加護は不可能を可能にするものではない。そこを履き違えられても困るというものだ」
「……そう言われると心当たりもなくはないな。この公爵領は海に面しているから……いやしかし、海に面しているのはこちらの伯爵領も同じで、ノイマン公爵がそこを勘案していないはずはないな……確か伯爵領の資料は新しいものがあるはずだ」
ヴァレンが膝から飛び降りると、ラウレンツ様はぼやきながら立ち上がる。壁際の棚に手を伸ばし、どれが探しものだったかな……とちょっとだけ指先が悩んで、わりと新しい羊皮紙を取り出した。棚には膨大な書簡が何の目印もなく積み上がっているけれど、掃除をしていた頃に「順番を変えないでほしい」と言われたとおり、なにがどこにあるのかは把握しているらしい。
ヴァレンは足元に寄り、私は隣に立って、ラウレンツ様の手元を覗きこむ。さきほど見た帝国の地図の詳細なものが描かれていた。
「さきほどの地図と領地の形がまったく違いますが……おそらくこちらのほうが正確ですよね」
「帝国全土のものは作るのが難しいからね。とはいえこの広さでも難しいことには変わりないのだけれど、帝国を周遊中の旅人が作ってくれたんだよ。旅人といっても、腕利きの測量士だったけどね」
地図を見る限り、海との境界線を作る波線が非常に細かく、修正された後もある。おそらく作成後も何度も足を運んで書き直し、清書しながらも修正を重ねたのだろう。こだわりの強い性格といってしまえばそこまでだが、正確無比なものを作ろうとする専門家の気概がうかがえる地図だ。
「すごいですね……ぜひ帝国全土で作ってほしい地図です――」
思わずもう一歩踏み込んで地図を覗きこむと、なぜかラウレンツ様が半歩引いた。
更新を追ってくださる皆さま、いつもありがとうございます。ページ下部短編を書いた後からのどの痛みを感じ、次の日から39度超の発熱で倒れています。た だ の 風 邪 だそうです。皆さまもお気をつけください。下書きはありませんが引き続きよろしくお願いいたします。




