05.悠々とした愛情と牛歩の土地
「あらあらまあまあ! それは……それは、ぜひとも詳しくお尋ねしたいけれど、殿方の前ではいけないわね、ロザリア様、よかったらこちらで私にだけ教えてくださらない?」
「え? いえ、私はルヴァリエ様達に聞かれても構いません」
なんなら、ニコラウスも牽制するに越したことはない。可能性が限りなく低いとはいえ、ラウレンツ様だってニコラウスの取扱いには慎重なのだから。
「初めてのことでしたので、最初は緊張してしまったのですけれども、ラウレンツ様はごく慣れた様子でしたし、お陰様で私もついついなされるがままに享受してしまったといいますか……」
でも、思い出しているとそんな責務が頭の片隅に追いやられていく。ラウレンツ様の手は気持ちが良くて、とっても落ち着いた。また帰ったら撫でてもらいたい。やみつきになるという表現がぴったりくる。
「とっても気持ちがよくて、これ以上ないくらい胸がいっぱいになってしまいまして……。ラウレンツ様以外ではそうはならなかったと思うのです、そのくらいラウレンツ様の優しくて大きな手が忘れられなくなってしまって……」
「ロザリア様、ロザリア様!」
ほんわかとしてしまっていたのは、私だけだったらしい。突然、エリザベート様に両肩を力強く掴まれた。公爵夫人にあるまじき、なによりエリザベート様らしくない力技だったけれど、その紅潮した頬を見ると驚くより先に困惑した。
「えっと……?」
「とっても、とっても素敵なお話だわ! でも殿方の前でするお話ではありませんよ!」
「そうなのですか?」
「そうです!」
他人に頭を撫でられるというのは、そう秘匿しなければならないものなのだろうか? 私は人前でヴァレンの頭を撫でるし、他の人も、子どもや飼っている動物に対して同じことをするだろう。とはいえ大人が頭を撫でられる場面は見かけないから、その意味でおかしいのだろうか? だとして殿方の前でしてはならないというのは不可解だ。
エリザベート様の品が良すぎるのではないか。疑ったけれど、ルヴァリエ様達を見るとそうでもないと分かった。聞いてはいけない話を聞いてしまったかのように、揃って俯いて、唇を引き結んでいる。侍女や執事達もそうだ。
「ああでも、私はぜひもっと聞かせていただきたいわ。ロザリア様、よろしければ日を改めて――あら」
ヴァレンがするりとテーブルの下を潜り抜け、私の膝の下から顔を出した。エリザベート様が離れると、私の膝の上に手をかけ、そのままコテンと頭も乗せる。まさしく、撫でてくれとでも言わんばかりだ。
「どうしたの、ヴァレン。急に甘えたくなったの?」
額から後頭部にかけて、ブラッシングでもするようにそっと撫でてやる。キュウ、と鳴いたのが可愛いこぶっているとは分かっても、本当に可愛いので顔を綻ばせてしまう。
「本当にヴァレンは可愛いわね。ラウレンツ様にとっての私も同じらしいけど、こんなに可愛く見えているのかしら」
「……同じとは?」
そこでニコラウスが復活した。しかし、相変わらず気まずそうというか、不審げな顔をしていることには変わりない。
「ラウレンツ様がおっしゃったのです、ラウレンツ様が私を可愛いというのは私がヴァレンを可愛いというようなものだと」
「……それで、殿下はロザリア様をまるでペットのように可愛がったと?」
「ペット……と言われるとやや心外ですが」
私にとってのヴァレンはペットではないし、ラウレンツ様もそれは理解のうえでヴァレンと並べてくれたはずだ。
「ええ、いま私がヴァレンにしているように頭を撫でてくださいましたよ。といっても、さすがにお互い立っておりましたけれども」
ラウレンツ様の膝に頭を乗せるなんて、そんなはしたないことはしない。慌てて付け加えると、ニコラウスはわざとらしく激しく瞬きした。
「……頭を撫でてくださったのですか」
「ええ、大層優しく」
「……不敬を承知で申し上げますが、私もして差し上げましょうか」
「いえ結構です。あなたにそんなことをされると……」
想像するだけで胸かお腹のあたりにぞわぞわと悪寒がした。気分が悪いとは違うのだけれど、不気味というか、気味が悪いというか、ともかく私が求める安寧はなさそうだ。
「ちょっと……違うといいますか。ともかく、ラウレンツ様以外は受け付けておりません」
「……左様ですか」
「ロザリア様」
エリザベート様は、もとのとおり上品に座り直していた。落ち着きを取り戻したらしい。頬はまだ紅潮したままだけれども、ぴんと背筋を伸ばし、優雅に微笑む。
「大変、楽しいお話をありがとうございます。でもよろしければ、もっと楽しいお話もぜひ、聞かせてくださいね」
「え? ええ……それでは、先日ルヴァリエ様とラウレンツ様とで庭園をお散歩していた際のお話でも。ルヴァリエ様が虫を持っていらしたのですが、それを見たラウレンツ様が剣に手を――」
「ロザリア様。きっとまだ、ロザリア様のお手元にそのお話はないはずです」
私の手持ちにあるよりも楽しい話……。両眉を上げると、反対にエリザベート様は眉尻を下げた。
「私、急かしたつもりはないのです。ただ、私の好奇心でお尋ねしてしまっただけなのですよ。いけませんね、年を取っては昔を懐かしみ、懐かしむばかりか自分以外の人にそれを求めるようになってしまって」
「はあ……」
「愛情というのは、ゆっくり育んでいいものですものね。これからも、ラウレンツ様と仲睦まじくお過ごしになってくださいね」
「ええ、それはもちろん」
あんなに良い雇用主はおりませんから。頷くと、エリザベート様は満面の笑みを浮かべた。
「一時はどうなることかと案じておりましたが、ラウレンツ様にこんなにも素晴らしい方が見つかりましたこと、心から嬉しく感じておりますのよ」
「それは……大変恐縮です」
これが本心だというのが、なんだか居たたまれない。ノイマン公爵は政敵としての側面もなくはないのに、ご夫人は徹頭徹尾純粋に良い方とは……。
「そういえばロザリア様、今日のどこかでお話しようと思っていたことなんですけれども」
「あら。なにかお悩みでも?」
これまでの明るい雰囲気はどこへやら、ふと、エリザベート様はその表情を曇らせた。
「少し離れたところにある公爵領について、少々ご相談が」
下書きが1話あるので明日も更新します。




