02.長年の想像と不意の現実
お茶会の日、ラウレンツ様がドレスを手配してくださった。帝国で過ごす初めての春、まともなドレスがなかったのでありがたい。
侍女たちに身支度を整えてもらい、「とってもお似合いで、ロザリア様のためにあるようなドレスです!」と褒めちぎられたので、これはラウレンツ様にも見せに行かねばと執務室へ走った。
「ラウレンツ様、いらっしゃいます?」
「いるけど、急にどうした……」
扉を開けると、ラウレンツ様は書棚から本を取り出しているところだった。手を本にかけたまま、こちらに顔を向けて止まる。
「エリザベート様とのお茶会用に手配してくださったドレスです。みなさんがよく似合っていると褒めてくださったので、ラウレンツ様に見せなければと」
春らしいコーラルレッドのドレスで、私の髪の色によく似合っているらしい。非公式のお茶会用にパニエのないタイプだけれど、ウエストでの切り替えが絶妙でシルエットが華やかに見える。ゴテゴテした主張の激しいレースがない代わりに繊細な刺繍がほどこしてあり、派手でないけど地味ではなく、上品だ。
執務室内に入りながら、くるりと回ってみせようとする。
「どうでしょ――」
「かわいい」
被せ気味に言われて、途中で回転を止めてしまった。
微妙な沈黙が落ちた。ラウレンツ様が顔を赤らめてしまったせいだ。
「……ありがとうございます?」
「……よく、似合っているよ」
絞り出すような声だった。なにに躊躇したのか、はたまた困惑したのか? 分からないけれど頷いておいた。
「ええ、もう、みんなそう言ってくださいました。ラウレンツ様の見立てのお陰ですね」
私自身は自分のことを化粧っけのない女だと思っていて、それでいいというか、あまり興味がないものだと自分でも思っていた。でも実際に“似合う”ものを身に着けると気分も変わる。鏡の自分を見て、ちょっと嬉しくなってしまったのだ。
「着飾ってみると楽しいものですね。公爵家の社交界に招かれたときもきれいにはしていただきましたが、あのときは化粧のことで頭がいっぱいで。自画自賛ですが、服が人を作るとはよくいったものです」
「……君はきれいだよ、ロザリア」
言い含められ、ドレスの裾を持ち上げたままの姿勢で目を丸くしてしまった。ラウレンツ様は、取り出す予定だったはずの本を手放し、代わりに私の手を取る。深いグリーンの目と視線の高さが合った。
「誰がなにを言おうと、誰もなにも言わずとも、君はきれいだ」
「……あの。大変、申し訳ないのですけども」
公衆の面前なら演技と割り切れるところもあるが、執務室に二人きりで間近に迫られると困るものもある。恥ずかしながらちょっと頬まで染めてしまった。
「それはどういったご趣旨でしょう?」
「……趣旨?」
「いえ、なぜそう褒めてくださるのかと……公爵家へ出向くのに自信なさげに見えましたでしょうか?」
「……趣旨……」
ラウレンツ様の眉間と目の下にしわが寄った。考えあぐねているようだ。
「…………君はヴァレンに可愛いというときに、何か目的が?」
「え? いいえ、可愛いから可愛いと言ってしまうだけです」
「…………それと概ね同じだと思ってくれ」
……つまりラウレンツ様は、ただお世辞を言っているわけでもなければ、煽てて仕事をさせようとしているわけでもなく、ただ私が可愛いから可愛いと、きれいだからきれいと言ってくださったと。そしてそれは私がヴァレンに可愛いと言うようなものだと。
そう知らされた途端、頬が緩んでしまった。ついでに、むずむずと胸の中で湧き上がる欲求があった。口にすることを想像するだけで恥ずかしくなってしまう。こんなことは初めてだ。
しかしラウレンツ様は良き雇用主。もしかしたら、この欲求を受け入れてくれるかもしれない。
「……では、あの、ラウレンツ様」
「うん」
「……ラウレンツ様は、私のことを……その、可愛いと思ってくださるのですし? よろしければ、あの、大変不躾ながらお願いをさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「いいよ」
食い気味の即答を受け、勢いに乗ってラウレンツ様の手を握り返した。
「この手で私の頭を撫でてもらえますか!?」
が、面食らったのを見てすぐに後悔した。やっぱり、仕事に関係ないお願いなんてしてはいけなかった。素早くラウレンツ様の手を解放する。
「ごめんなさい、撤回いたします。少々調子に乗りました」
「……調子に乗ったって」
「私がヴァレンの頭を撫でるとき、ヴァレンはいつもどうでもよさそうな顔をしますがそのくせ至極満足そうなのです! ですから私、頭を撫でられるというのはとても心地がいいものだと想像しておりまして、しかし自分で撫でてみても髪の感触が先行するばかりで大して心地よくもなく、きっと他人でなければ意味がないのだろうと……そしてヴァレンも、私以外に頭を撫でられるのは受け入れませんでしたから、ある程度の信頼関係がなければ不愉快なものなのではないかと……!」
捲し立てながら、苦しい言い訳をしている気分になった。しかし何に対する言い訳をしているのか分からなかった。私は、自分の欲求がいかに真っ当で正当かを主張しているけれど、だから何なのかは自分でもよく分からなかった。
「私はラウレンツ様のことを好きですし、信頼していますし、ラウレンツ様も私を好いて可愛いと言ってくださるので、つい邪な心が……失礼しました、このお話は忘れていただいて……」
深々と頭を下げた――が、その頭に手が乗った。
ハッと、俯いたまま刮目した。
そのまま、全神経を頭部に集中させる。自分で頭を撫でるのとは違って、絶妙な柔らかさを感じる……物理的には髪を撫でられているだけなのに、まるで体の芯を温めてもらっているような心地よさ。いや、そもそも私の手より格段に大きく、包みこんでくれるようなこの安心感! 他人の手だというのに、違和感なく馴染むこの感覚! 緊張がほぐれるような、この気分!
「これが……頭を撫でてもらうということ……!」
「……ロザリア」
「あ、はい。失礼いたしました、ラウレンツ様」
まるでごちそうを食べて胸がいっぱいになったような気持ちだった。自分の顔がだらしなく緩んでしまっているのを承知のうえで、顔を上げる。
「すごく、気持ちがよかったです。ありがとうございます」
「……これでよかったのか?」
「はい、とってもとってもよかったです。ありがとうございます、元気いっぱいになりました」
頼んだ際は恥ずかしかったけれど、甲斐があった。満足する私とは裏腹に、ラウレンツ様は微妙な表情をしていた。とはいえ、恥ずかしかったのは同じらしい、その頬が少し赤く染まっている。
「……このくらいならいくらでも対応するが」
「本当ですか!?」
「……ロザリアさえよければ」
「ラウレンツ様さえよければ、です! 言質はいただきましたからね、ありがとうございます! エリザベート様とのお茶会も頑張って参りますね!」
今度はドレスの裾をつまんで膝を折り、きちんとお辞儀をする。ラウレンツ様はいささかぎこちない様子で私を見送ってくれた。




