40.婚約者と契約妃
後日、ニコラウスから送られてきた書簡を読んだラウレンツ様は、険しい顔こそしなかったものの、少し驚いた顔をしていた。
「……エーデンタール国で、現国王の弟君が当主を務める公爵家とその一族が軒並み捕縛されたそうだ。もちろん、ヴィオラ公爵令嬢も含めて」
「あら、そうなんですね。血が流れずに済んでよかったです」
私はソファに座らせていただきながら、隣のヴァレンの頭を撫でた。ヴァレンは鼻を鳴らすので、きっと「ほうっておけばよかったのに」と思っているのだろう。
ラウレンツ様は顎に手を当て、もう一度書簡を読み直していた。どこまで詳しく書いてあるかは分からないが、もともとニコラウス宛の早馬を送りなおしてもらったに過ぎない。きっと大した情報は書かれていないに違いない。
「……どういうことだ。君は、王家は公爵家に絶大な信頼を寄せていて、その企みに気付こうとしないと話していたじゃないか」
先日、ラウレンツ様との世間話で、近々エーデンタール国で公爵家がクーデターを起こす可能性についてお話した。ヴィオラ様と顔見知りのラウレンツ様は驚いていたが、同時に「どうりで病弱を装っていたわけだ」と納得もしていた。どうやら、ラウレンツ様が商人として王城に出向く際、ヴィオラ様は必ず顔を出していて体調の悪いことがなかったらしい。他にも色々と思うところがあったらしく、なかなか詰めが甘かったようだ。
「ええ、ないと思いました。ですから国王には助言しておいたのです」
「公爵家が裏切ると?」
「ええ。といっても、そう伝えても信じてもらえるわけがありませんので、“もし公爵家が裏切るならどう行動するか”を伝えておりました。そのひとつが、私の追放です」
そもそも、王城統制規則の内容が怖過ぎた。なんと軍務卿に広範な裁量権が与えられ、王家の承認なしに王城内で軍を動かすことができることになっていたのである。しかも何が怪しいって、ある日突然そう変わったのではなく、最初は「王家の許可を得て軍を動かすことができる」だったのが、公爵令息が軍務卿となって以来、徐々に「事前に許可を得ておくことができる」「民衆の暴動が起こった際は事後承認で足りる」「有事の際は自由に動かせる」とどんどん広がっていたのだ。ニコラウスと私が見たときには「軍務卿に一任する」となっていて、もはや笑ってしまいそうだった。笑いごとではなかったのだが。
ヴィオラ公爵令嬢がアラリック王子に言い寄っていたのは、そんなクーデターの準備がされている真っ最中だった。しかも、何かにつけて婚約者然として前に出るようにもなっていた。それを許容していては、他の貴族は「王家と公爵家は仲良し」と認識し、いずれ公爵家が堂々と王城に軍を呼び込んでも、「王家の許可あってのこと」と見逃してしまう。
あ、これはヤバいヤツだな。そう気付いても、ヴィオラ公爵令嬢にメロメロなアラリック王子はまるで使い物にならなかった。弟に絶大な信頼を寄せる現国王も然り。ちなみに信頼の理由は、現国王の即位が決まって以来、公爵は「兄を支える弟」として尽くしてきてくれたからだそうだ。東洋には臥薪嘗胆という言葉があります、そうお伝えした。
それはさておき。
「そもそも、公爵家が現王家にとって代わるためには、国王とアラリック王子に死んでいただくのが一番でした。しかし、さすがに同時に二人殺しては公爵家へ疑いの目が向けられてしまいます」
「となると、国王は殺害しつつ、アラリック王子にその罪を着せて追放するのが手っ取り早い。公爵家は欲深い王子の罪を暴いた栄誉ある家として称えられ一石二鳥だと、君はそう話していたね」
「ええ。しかし、これもまた慎重に事を運ばねば公爵家に疑いが向けられます。公爵家は現王家がいなくなって最も得をしますからね。王城統制規則なんて地味なところに目をつけていたように、公爵家は地道な策を重ねるはずですから、まずは私を追い出すに違いありませんでした。私が王家に示した最初の可能性です」
慎重な公爵家は、おそらく誰よりも、ヴァレンが神獣である可能性を捨てずにいた。そして彼らにとって、神獣というものは未知数で、いつ計画が破綻するか分からないイレギュラーな存在。暗殺を試みることそれ自体も危険なので、私ごと王城から追放するのが最も安全な策だった。
だから、もし公爵家が行動を起こすなら、まず私から放り出されるに違いない。それがアラリック王子の指示によるものか、公爵家による濡れ衣かは別として、どこかに公爵家が噛んでいたらご注意くださいとは伝えておいた。
「私が追放された後の公爵家は、おそらく王城統制規則の改定または撤廃に働きかけます。そうすれば、クーデターの形がどうあれ、最も自然に兵を動かすことができますからね。あとはアラリック王子に罪を着せることが必要なので、なんらかの形で隙を作ることも考えられますね。私がヴィオラ様だったら、神獣が逃げたと言って、アラリック王子に指揮を執らせて森の中の捜索をさせますが」
「そこまでされたら、いよいよ黒だと確信しろと伝えていたわけだね。君の読みどおり、ヴィオラ公爵令嬢は神獣を捜索させていたことがあったらしいよ。……ちなみに、ヴィオラ公爵令嬢の神獣は偽物だったそうだ」
でしょうね……。ヴィオラ様が神獣に守護されていることにした、というのは、最初は随分大胆な策だと思ったが、王家に疑われる危険と私を追放できる口実とを天秤にかけ、見事その賭けに勝ったのだろう。最後には負けたようだが。
「それを受けて、国王は遂に君を信じることにしたのかな」
「そのようですね。ただ、私の手には負えないだろうなと、半分くらい諦めていました。陛下は弟君を信頼していましたし、アラリック王子にその権限をかなり委ねていましたから」
「なぜアラリック王子に?」
「可能な限り早く譲位することを決めていたからです。加護の恩恵を受けられないのは私が王妃でないからだと考えていらっしゃったのですよ。形だけ譲位して政治に口を出す方法もありましたが、もしかすると公爵が止めてくださったのかもしれません」
その意味では私は公爵家に感謝したほうがいいかもしれない。ありがとう、私とアラリック王子の結婚を遅らせてくれて。
「あとは、王家の印章を早めに隠しておくようにお伝えしました。表向きはアラリック王子に持たせていることにすれば、アラリック王子に場所を吐かせる必要が生じ、公爵家がアラリック王子を暗殺する可能性も下がります。もともと可能性は低いですが、陛下も可愛い我が子のためなら石橋を叩くでしょう」
「そこまでしてくれた君を、王家はアラリック王子の一声で追放することにした?」
「私がそこまでしたから、でしょう。蓋を開けてみればすべて事実でしたが、当時の私は『信頼する臣下が裏切る可能性があると示唆し、王家を侮辱した』だけです。実際そう言われました」
ヴィオラ様に神獣の守護があると判明し、自分の立場が脅かされ、苦肉の策に出たのだろう――そう詰られた。それに対し、『であれば、公爵家にこんな動きがあったときは命を警戒してください』『王家が損することはないのですから』と忠告し、それもあしらわれて終わったが、どうやら頭の片隅には置いておいてくれたらしい。
「……なるほどね」
はあ……とラウレンツ様は溜息を吐きながら書簡を丸め、私に差し出した。
「読んでいいんですか?」
「構わないよ。ニコラウスも、君相手ならば臣下になっていいと膝をついたようなものだ。といっても、大したことは書かれていないけどね」
広げてヴァレンと一緒にのぞきこんだけれど、確かにこれといって真新しい情報はなかった。まだ速報段階なのだから仕方があるまい。
ラウレンツ様がもう一度口を開きかけたとき、扉がノックされ、「殿下、モルグッド伯爵令息がお見えです」と声をかけられた。
「ニコラウス様ですね。今回の件でしょうか?」
「そうだろうね。しかし、モルグッド伯爵家は本当に帝国に下る予定なのかな」
「ではないですか? だって、租税徴収権をしっかり譲渡してくださってますもの」
先日のニコラウス様は、当主印の押された租税徴収権譲渡の確認書を持ってきた。伯爵家の領地は王家から借り受けているものだが、だからといってあらゆる処分が制限されるわけではない。例えば租税徴収権の譲渡は認められている。
そして今回、これを帝国皇族に譲渡するということは、ラウレンツ様が、エーデンタール国伯爵家の領地に対し支配を及ぼすことが可能になることを意味する。
「ありがたい話だけれど、最近は事がうまく行きすぎて怖いね」
ラウレンツ様は立ち上がり、上着を羽織る。ヴァレンも、自分も同行したいと言わんばかりにぴょんとソファから飛び降りた。
「そうですか?」
「そうだよ。今年の作物は実りの秋を迎え、鉱山が甦り、平民の暮らしもかなり回復したうえに交易も盛んになった。いまはネーベルハイン国が鉱石加工技術と引き換えに海洋技術を輸出してくれているから、春には向こうの大陸に渡ることも容易になるだろう。宮殿だってそうだ」
前者はヴァレンの加護とそれによる副産物みたいなものなので、ぜひヴァレンに感謝してあげてほしい。必死にヴァレンの頭を撫でてアピールしたけれど、ラウレンツ様は屈みこんで一緒に撫でるだけだ。
「財務卿の席も埋まったし、もしニコラウスが間者でなければ非常に優秀な法務卿補佐も手に入る」
「そうおっしゃるなら、ルヴァリエ様にもっと素直になってあげてください」
「それとこれとは別だ。……それに、ロザリアが妃になってくれた」
ラウレンツ様が小首を傾げ、グリーンの目を細める。
それに応えるべく、しっかりと頷いた。
「ええ、それに関しては私も本当に感謝しています。多分、あのときにラウレンツ様に拾ってもらえなかったら、今頃公爵家に暗殺されていますから」
「……言われてみればそうかもね。帝国の商隊に紛れたお陰で追手を免れたんだろう、って……」
ヴァレンの頭を撫でていた手が、不意に私の手を掴んだ。驚いて見つめ返す先で、ラウレンツ様が悩ましげな、しかしどこか真剣な顔をしていた。
「そうじゃなくて。俺は君が妃になってくれてよかったと話してる」
「え? ええ、私もこれ以上ない職だと思っております」
「職ではなくて。俺は君が――」
そこへ、ヴァレンが大きな口を開けた。危うく噛みつかれそうになった(と思った)ラウレンツ様は、私の手を握ったまま素早く手を挙げる。私も、まさかヴァレンにそんなことをされるとは思っていなかった。
「……ちょっとヴァレン、どうしたの? あんまりふざけちゃだめよ?」
「……いや、ふざけてはいないんじゃないか?」
わざとやってないか? そう言いたげな声に対し、ヴァレンはパクンと空中で口を閉じて答える。理由はまたあとで聞くとしよう。
「じゃあラウレンツ様、ニコラウス様に会いに行きましょうか」
「…………そうだね」
こちらもまた何か言いたかったのかもしれない。またあとで聞いて差し上げよう。
 




