38.臣下の礼と王城の異変
そうして必要な準備を整えた後、『星空の間』の前に現れた人に目を瞠ってしまった。赤毛に熊のように黒いマントは間違いなくルヴァリエ様だが……。
「あ、どうも……」
「ルヴァリエ様、そんな顔をしていらっしゃったんですか!?」
くしゃくしゃの赤毛を整髪料できちんと整えて髭も剃ると、そこにはまるで彫刻のようにきれいに整った顔があった。職人がこれでもかと微調整を重ねたかのように左右対称で、まるで女性のような美しい顔をしている。しかも、髪が日除けの役目を果たしていたのか、その顔は現在の帝国女性が羨むような美白だった。
玉に瑕というか、ルヴァリエ様であると確信できるのは、しょぼんと自信なさげにしている目だ。裏を返せば優しげともいえるが、猫背のせいで前者の印象になってしまう。
「ああ……この顔、女性らしいので……あまり好まず……」
「そんなことはございません、中性的な顔だちというのは人気があるものです! ね、ラウレンツ様!」
「どうでもいい」
「なんてことをおっしゃるんです。でもそうですね、男性同士は顔に興味がないかもしれませんね」
舌打ちでも聞こえてきそうな態度には相変わらず呆れてしまうが、これはこれで2人の仲の良さなのだろう。
「それで、モルグッド伯爵家の人間はすでに中に?」
「はあ……ただそれが、伯爵ではなく令息のほうが来たようで……」
「当主を寄越す暇もないほど急いでやってきたということか?」
ラウレンツ様は首を傾げたけれど、私は別の意味で首を傾げてしまった。モルグッド伯爵には何人か子がいるが、その令息の一人には覚えがある……。
『星空の間』に入ると、招き入れられていたのはたった2人の男性で、しかも一方は従者だった。そして、主も含めて、2人ともが恭しく礼をする。
エーデンタール国の伯爵令息であるにも関わらず、帝国皇子に向けて、まるで臣下のように礼を……。
「……モルグッド伯爵令息と聞いているが」
「いかにも」
警戒心の滲んだラウレンツ様の声に対し、自信たっぷりな声が返事をする。その声を聞いて、素性を確信した。
「お初お目にかかります、また突然のご無礼をお許しください」
栗色の頭が上がり、こちらに向けられたのは薄青色の瞳だ。その目は忠誠と自信とのバランスをとって爛々と輝き、唇は得意げに弧を描いている。
やはり。私はつい、両手を合わせてしまった。
「ニコラウスじゃありませんか」
「知り合いか?」
「お久しぶりでございます、ロザリア様。すっかり顔色も良くなられて、一段と美しくなられましたね。真冬だというのに、ロザリア様といるとまるで春がきたような心地がいたします」
「ああ、はいはい、あなたも相変わらずでなによりです」
軽口をたたいたせいか、ラウレンツ様が素早く私とニコラウスを見比べた。でも、ニコラウスはとにかく口が上手く、数多の令嬢を虜にすることで有名なのだ。だから「美しい」だの「可愛い」だのはまだまだ序の口、そのうち「美し過ぎて愛の囁き方を忘れてしまった」なんて言い始める(なお「愛してると言った」と言質をとられないための口説き文句らしい)。もしラウレンツ様が件のご令嬢を本気で口説きたくなったら、ニコラウスに教えを乞うことをお勧めしたい。
「ラウレンツ様、彼は確かにモルグッド伯爵令息のニコラウスです。エーデンタール国で法務卿補佐の座についており、王城ではよく一緒に仕事をした仲ですので、身元は私が保証いたします。でもそっか、だからヴァレンが気づいたのね」
きっと匂いで分かったのだろう。足元の頭を撫でると、ニコラウスの隣にいた従者が「あっ、ヴァレン様まで」と一瞬顔をあげ、また伏せた。
が、ラウレンツ様はその警戒を解かないままだ。不信感を隠す気もなさそうに、じろじろと2人を眺める。
「……ロザリア目当てで来たのか?」
「いえ、滅相もございません。私はモルグッド家の当主代理として、ラウレンツ殿下、あなたに会いに来たのです」
ニコラウスの口の上手さは、なにも女性を口説く場面だけで発揮されるものではない。その手腕は政治の場でも、いかんなく発揮される。
だから裏の意図に留意せねば――と私まで警戒してしまったところで、ニコラウスは膝をつき、曲芸のごとく鮮やかに書簡を広げてみせた。そこには、確かにモルグッド家の当主印が押されていた。
「我々モルグッド家は、帝国に与します。それをお伝えに来たのです」
「ひ――」
私が息を呑む傍ら、ルヴァリエ様が頓狂な声を上げそうになり、ラウレンツ様が容赦なくその足を踏みつけた。
『星空の間』は、しんと静まり返った。護衛のために控える衛兵たちまでもが、一体どういうことかと顔を見合わせている。ニコラウスは、その空気に押されることなく、膝をついて書簡を広げたまま、じっと私たちを見上げていた。
ややあって、ラウレンツ様が口を開いた。
「……理由は、公爵家の謀反か?」
「……さすが、帝国皇子殿下はよくご存知で」
向けられた得意げな笑みは、私が王城でよく見ていたものだった。
「ええ。今頃、エーデンタール国は公爵家の手に落ちているでしょう」
ラウレンツ様がこちらに視線を寄越し、それに肩を竦めて返す。内心ではちょっとだけアラリック王子を憐れんだ。
だから私、何度も言ったでしょう。ヴィオラ公爵令嬢と恋仲になるのはいいけれど。王子としての立場をお忘れなく、って。




