37.ご機嫌斜めと突然の来客
無事、ルヴァリエ様が財務卿を引き受け、ナハト辺境伯からも「弟を屋敷から引っ張り出してくれてありがとう」と感謝の手紙が届き、一件落着!
かと思ったら、最近はラウレンツ様のご機嫌が斜めになってきた。
例えばいまだ。
「じゃ、ラウレンツ様、私はルヴァリエ様のもとに引き継ぎをして参りますね」
そう言っただけで、書簡を見ていたラウレンツ様は、じとりとでも聞こえてきそうな目を向けた。
「……そう何度も引継ぎをする必要が?」
「財務卿の仕事がいかに面倒ごとまみれかはラウレンツ様がご存知じゃありませんか」
「……そうだが」
「どうしたんですかラウレンツ様、ルヴァリエ様が絡むとらしくありません」
ここ最近はずっとこんな調子だ。あまりの言い方もあいまって、書簡を脇に抱えたまま呆れてしまった。
「幼馴染だからと対抗心を燃やされているのですか? そうだとして何の? ラウレンツ様にはラウレンツ様の、ルヴァリエ様にはルヴァリエ様の役割があるのですから、対抗する必要はございません」
「……皇子妃が特定の臣下と仲良くするのは望ましくない」
「おっしゃるとおりです。たとえ私が一ミリたりともルヴァリエ様に下心を抱いていないとして、それが外からどう見えるかはまた考えなければならない話です。ですから引継ぎに際して必要以上のお話はしておりません」
「……木の話はしていた」
「その際はラウレンツ様もいらっしゃったではありませんか。以後も散歩に出る際はラウレンツ様がご一緒です」
ルヴァリエ様は責任感が強い(らしい)と聞いているので大丈夫だとは思うが、心を閉ざすあまり財務卿の座を放り出されては堪らないので、たまに一緒にお散歩をして植物の話を聞いているのだ。なお、ヴァレンも一緒のほうが顎が上を向くので、ヴァレンも連れて行っている。
「ですから私とルヴァリエ様の不貞が疑われるおそれはございません。ご安心ください」
「……俺と木の話はしないじゃないか」
「ラウレンツ様も木に興味があったんですか? それ、ルヴァリエ様に教えて差し上げたら少し仲良くなれるかもしれませんよ?」
「誰が仲良くするものか」
苦虫を噛み潰し、また書簡に視線を戻す。仕方なく「じゃ、私は行ってきますので」と声をかけるとハッと顔を上げる。
「……すまない。いまのは言い方が悪かった」
「はあ」
「……今日は会食がないから一緒にゆっくり食事をとれると嬉しい」
「……はあ」
「…………あと、その……たまには散歩でも……」
「してるじゃないですか」
「……2人で」
「そんなにルヴァリエ様と気が合わないんですか? いいですけど、いい年になって気が合わないなんて理由で喧嘩しちゃだめですよ」
やれやれと肩を落としながら出て行くとき、扉越しに振り返ると、ラウレンツ様は肘をついて顔面を両手で覆っていた。
財務卿と仲が良くないのはいいことだけれど、仲が悪いというのも考えものだ。溜息をつきながら扉を閉めると「あ、ロザリア様……」と、なぜかルヴァリエ様のほうがやってきた。
しかもヴァレンも一緒だし、ヴァレンの頭の上にはオーリが乗っている。揃いも揃って毛むくじゃらで、いつからここは珍獣の集まるところになってしまったのか。
「……あの、どうされたんですか?」
「散歩に出たらヴァレンがオーリと一緒にやってきて……ロザリア様のところへ行けというので……」
「……すみません、うちの子が」
ルヴァリエ様が掲げた袖にはよだれがついている。思わず額を押さえてしまった。 辺境伯の弟君にして財務卿の服が一体どれだけ高価なのか、分かっているのだろうか。
「それでヴァレン、どうしたの? あなたがルヴァリエ様を連れてきたのよね」
「どなたかがいらっしゃったのを知らせたいんだと思います。宮殿の表を散歩していたんですが、随分と大きな馬車で……」
バン、と扉が勢いよく開き、オーリが目覚めると同時にバタバタッと羽ばたいた。クーッと甲高い声と共に鳴きながら慌てふためくのをどうどうと諌めて手を広げたけれど、オーリはラウレンツ様の肩に着地した。オーリはなんやかんやラウレンツ様のことが好きらしい。
そしてラウレンツ様も、オーリには冷たく当たることができない。ちらとその肩を見遣って仕方がなさそうにしながら、しかしルヴァリエ様には冷ややかな目を向ける。
「いつからここは動物の集まる宮殿になった」
「2匹だけじゃないですか……」
「3匹だ」
申し訳ないが、それはラウレンツ様が正しい。私もルヴァリエ様は人より動物に近いと思う。
「それでルヴァリエ、俺に何か用があったのか?」
「別に用事はなかったんですけど……あ、そうだそれで、さっきエーデンタール国の馬車が見えましたよ」
……何? 驚いてラウレンツ様を見たけれど、ラウレンツ様も面食らっている。会談が予定されているわけではないらしい。
まさか、私がここに身を寄せていることがエーデンタール国に知られ、そしてヴァレンが神獣だと知り、連れ戻しにきたのでは!
「……ロザリアは自室で身を隠しておいてくれ、すぐに警備兵を増やしておく。ルヴァリエ、お前はその鬱陶しい髪を整えて来い」
「え……私、財務ですから……前になんか出なくていいじゃないですか……」
「いま外務卿が別件で不在なんだ、財務卿のお前が出ろ。法務卿よりマシだ」
「だからラウレンツ様、そういう言い方をしてはいけません。ルヴァリエ様、相手もいきなり訪ねてきて各務卿を揃えろなんて無礼はしません。とはいえ、外国との会談ですし、なによりエーデンタール国とは同盟もなにもないのですから、権威を示して悪いことはありません。そのためにいまラウレンツ様をお助けできる方が他にいらっしゃらないんです」
「……はあ」
ルヴァリエ様は仕方がなさそうに頷き、私達に背を向けて「喋らないでいいかなあ……」とぼやきながらとぼとぼと身支度を整えに行く。
さて私もどこかへ隠れねばと踵を返そうとしたとき、ヴァレンにドレスの裾を引っ張られた。
「どうしたのヴァレン、エーデンタール国から宮殿を訪ねてくる人なんて普通いないんだから、隠れて悪いことはないでしょ? ……ちょっと」
ぐいぐいとドレスを引っ張られ、窓の前に立たされる。ラウレンツ様がすかさず外から隠すように立ってくれたけれど、ヴァレンは「よく見ろ」とでもいうように顎を動かす。
「……ラウレンツ様、ちょっと失礼しますね」
「ああ」
ラウレンツ様の体で自分の体を隠し、そっと外の様子をうかがった。……門の前に見えるのは、確かにエーデンタール国の馬車だったが……。
「……あれ、モルグッド伯爵家の紋だわ」
「エーデンタール国の伯爵家ということかい?」
「ええ、しかも令息が法務卿補佐を務めているくらいには国内屈指の名門伯爵家です。歴史もあれば財もある、だからこそ王家をかなりシビアに見ています。いざとなれば王家を切っても構わないと思えるだけの余裕を蓄えているんですよね……」
そのモルグッド伯爵が何の用か……。じり、と窓にさらに顔を近づける。ここで考えていても無駄だけれど、自室に引きこもっていて分かることもない。それに、どうせ私は皇子妃として名前も偽っていない。
「ラウレンツ様、私も同席させていただいてよろしいですか? おそらくモルグッド伯爵であれば……あ、ごめんなさい」
ぴたりと体を寄せてしまっていたことに気がつき、慌てて離れる。正直私は構わなかったが、ラウレンツ様は気まずそうに顔の下半分を手で覆っていた。
「……いや。とりあえず、俺とルヴァリエが対応するから、君は身の安全を第一に」
「ありがとうございます。でも私が皇子妃である以上、下手に手出しされることはありません。なんなら礼を尽くすという名目で私を同席させるのはいかがでしょう?」
「……君は本当に肝が据わっているよね」
離れた手の向こう側からは溜息が出てきた。
「警備兵を少し増やそう、いいね」
「それはもちろんです。あとヴァレンも連れて行かせてください、誰よりも私を守ってくれますから」
今年もよろしくお願いします!




