35.人見知りと趣味嗜好
その日、ナハト辺境伯の弟君が訪ねてくると聞いていた私は、『黄金の間』に現れた人物に思わずポカンと口を開けてしまった。
「どうも……ルヴァリエ・モン・ナハトです……」
兄弟でこうも違うものか。話には聞いていたものの、驚かずにはいられなかった。
赤毛はナハト辺境伯と同じなのだが、ナハト辺境伯がちょっとワイルドなオジサンであるのとは裏腹に、ルヴァリエ様の場合はただのモサモサで伸ばしっぱなし、なんなら前髪と髭が顔を覆っている。よく見れば赤毛の奥に目が見えるけれど、オドオドと左右に動きっぱなしだ。毛皮のマントも、まるで喪服のように黒く、猫背をまるく覆っている。
ナハト辺境伯がスリムな熊だとすれば、こちらはただの熊だった。
「久しぶりだな、ルヴァリエ。3年ぶりだろうか、会えて嬉しいよ」
「……どうも……」
「そう気を張らず腰掛けてくれ。確かルヴァリエは紅茶は飲まなかったな、ワインにしようか」
「いや……あ、いや、紅茶は飲まないんですが……ワインも……あ、喉が渇いてないので……」
声は若い。年齢は私達と大差ないのだろう。
ただ、ルヴァリエ様は、話していても顔すらこちらに向けないし、会話のテンポも少し独特だ。ちなみに神経質だそうで、じっと椅子に座ったまま動かないし、室内にいてもマントは脱がない。
それでも私のことは気になっているらしい。ちらちらと、赤毛の奥で視線が動くのが見える気がする――が、話しかけてはこない! もちろん私から挨拶して悪いことはないので、できるだけ親しげな笑みを作った。
「はじめまして。既にナハト辺境伯にはご挨拶させていただきましたが、ラウレンツ様の妃のロザリアと申します」
「……どうも……」
取り付く島もないとはこのことだろうか。
「ルヴァリエ、最近どうだろう。辺境伯領は寒さが厳しいんじゃないか」
「ええ……まあ……」
「ヴィル殿には少し前にご挨拶したが、以来お変わりないだろうか」
「ええ、まあ……」
「帝都でも雪が積もり始めたのだが、辺境伯領で不便していることはないか」
「……いや別に……」
「ところで話は変わるのだが、財務卿の件はどうだろう。引き受けてくれないだろうか」
アイスがブレイクしない。ラウレンツ様はかなり強引に本題を引っ張り出したが、ルヴァリエ様は顔ごと視線を背けた。
「……それは……私はそういうことは向いていないので……」
「大丈夫ですよ、法務卿も闇の魔術師かってくらい人前に出てきませんから」
「ロザリア、そうじゃない」
私は結構真面目にフォローしたつもりだったのだが、違ったらしい。でもルヴァリエ様の反応は特に変わらなかった。
「……兄……間違えた、当主に言われて出てきましたけれど……挨拶だけでいいと言われたので……」
「それはもちろんそうだが、財務卿の座が空席で困っている話も変わっていないのであって」
「私はそういうことは向いてないんで……いくらでもいるんじゃないですかね、いい人が……」
それからもラウレンツ様は一生懸命口説こうと、あれやこれやと話を振っていた。しかしルヴァリエ様は「いや……」「そういうのはちょっと……」とぼやくだけで、全く功を奏することはなかった。
そうして話をすること数十分、本当に文字通り“挨拶”だけで帰ることになり、『黄金の間』を出ながら、ラウレンツ様は肩をがっくりと落としていた。その背中からはかつてない疲労感も漂っている。
その隣のルヴァリエ様はといえば、とぼとぼと歩きながら、早く帰りたそうに窓の外を見つめていた。
「……あの……あれは、犬ですかね……」
「え? ああ、そうですね」
その視線の先にいたのは、もちろんヴァレンだ。今日も悠々と我が物顔で庭園を歩いている。なんなら、その頭の上には例のシロフクロウ――“オーリ”と名付けた――が止まっている。ちなみに、オーリは気紛れであまり懐いてはくれず、好き勝手に開いている窓や扉から出入りして暮らしている。
「私が飼っているんです。人懐こいとは言いませんけど無暗には噛みません。会いに行きます?」
「いやいいんですけど……」
食いつきを見せたかと思ったら撃沈した。ただ、変わらず庭園を見ているので遠慮しただけかもしれない。
「……まだ時間もありますし、少し庭園を見て行かれては?」
「……そうですね……」
初めて肯定的な返事がきた! 幸いにも私もラウレンツ様も、この後に時間の決まった政務はない。
「……じゃあ、少し出てみましょうか」
庭園に出ると、ヴァレンがこちらへ歩みよってきた。どうやら私達が見ていたことに気付いていたらしい。真っ白い地面には所かまわずヴァレンの足跡もついていて、好きに走り回った後だと分かった。
「おかえりヴァレン、今日はなにか珍しいものがあった?」
人が多いせいか、オーリはすぐに羽を広げて飛び立った。ちゃんと乗せてあげて偉い、と頭を撫でてやれば、すりすりと頬を腕に擦りつけてくる。
すると、ルヴァリエ様が隣に屈みこんだ。
「……見かけないオオカミですね」
そのまま顔も近づける。じろじろと間近で見られ、ヴァレンが少しイヤそうな顔をした。
「毛はグレイに見えますが……シルバーですね。瞳は……黄色いような気がしますが、これもどちらかというと黄金のような……」
「動物にお詳しいんですね……って」
いまオオカミと言ったか? 驚いて顔を見つめたけれど、もさもさした赤毛の髪の下の目は私ではなくヴァレンを見つめている。
「……イヌとは顎の形が違います。体格のいいイヌと言われても分からなくはないですが……イヌとは顔つきも違うんで」
……動物がお好きなのかも。さきほどとは人が変わったようによく喋るし……。
「……動物卿とかいう職があれば就きます?」
「いやそういうのはちょっと」
騙されなかったか……。財務卿と兼務の謎の役職を作って引っ張り込んでしまえばいいと思ったのだけれど……。
ルヴァリエ様はひとしきりヴァレンに構うと、再び腰を上げて奥へと歩いて行く。のそのそと雪道に足跡をつけながら歩く様子は、まるで自身も動物のようだ。
ルヴァリエ様はそのまま黙々と歩き続け、たまに立ち止まって草木を眺めている。
「……ルヴァリエ様は、動植物がお好きなのですか?」
「……喋らないので」
うるさいという意味だろうか? 仕方がない、かなりお喋りな自覚はある。ちなみにヴァレンは喋るのですが、と教えてあげたくなった。教えたときは裸足で辺境伯領に逃げ帰られてしまうだろうし、黙っておこう。




