33.情緒不安定とひなたぐち
「最近のラウレンツ様、情緒不安定ね」
めんどくさ……なんてことは言ってはいけない。きちんと身形を整えてもらった後、政務に出る前に部屋でぐるぐると歩き回ってしまう。
「情緒不安定とは?」
「仕事はするんだけどたまにぼんやりしてるし、かと思えば急にご機嫌ににこにこしてるし。正直ちょっと怖いわ」
「恋の病なんだろう」
「でもアラリック王子ってずっとヴィオラ様の話をしてたし、浮き立ってたじゃない? ラウレンツ様はたまに意気消沈していらっしゃるわ」
「病とは同じものでも人によって症状が違うものだ。風邪をこじらせて咳をしている者もいれば鼻水を垂らすものもいる」
「そう言われるとすごくしっくりくるわ。すごいわね、ヴァレン」
オオカミなのに私よりもよく分かっているなんて、さすが神獣は違う。
「でもそうね、アラリック王子と違って近くにそのご令嬢がいるわけじゃないものね。なんなら声をかけられないままらしいし」
早く唾をつけたらと言っているのに「いや……」「そういうのは……」と言うばかりでまるで使い物にならない。まるでうだつのあがらない坊ちゃんなので、恋愛のお世話はしないことにした。
「ま、今のところぎりぎり仕事に支障はないから構わないわ。それより、ヴァレンは最近ずっとご機嫌ね」
きっとご飯がおいしいからだろう。でもご飯がおいしいからヴァレンの機嫌がいいのか、ヴァレンの機嫌がいいからご飯がおいしいのかは難しい問題だ。
ヴァレンの隣に座り込み、そのまま寝転がろうとして――髪がセットされていることを思い出して思いとどまった。ぱたぱたとお行儀悪く足を動かしながら、昔の話を思い出す。
「ねえヴァレン、あなたの加護の話をしてくれたことがあったでしょう?」
「したことがあるというか、話していない日のほうがなかったがな」
「1歳、2歳の子どもに話してもそれはノーカウントよって何度も言ったでしょ」
まったく覚えていないけれど、ヴァレンは生まれたばかりの頃から私のまわりをうろうろし、子守唄代わりに加護の説明をしていたそうだ。当時の私は乳幼児にしてもあまりに喋らなかったらしく、そしてそれを話し相手がいないせいだと思ったらしく、ヴァレンが話しかけることにし、しかし話すことがないので加護の説明をしていたと。だから何度も説明したと言い張っている……というのはさておき。
「で、それがどうした」
「ラウレンツ様を認めることにしたの?」
ヴァレンには、豊穣の加護がある。枯れた山を生き返らせ、痩せた土地を肥し、流れる川を美しくするという。しかも、神獣の中でもさらにその格が高いヴァレンは、その気になればこの帝国全土に加護を行き渡らせることができるそうだ。
ただ、ヴァレンは(自称)気高く、アラリック王子のように「気に食わないヤツ」にタダ乗りさせる気はない。だからエーデンタール国に加護が与えられたことはない。
「あの皇子を認めたわけではない。しかしこの帝国はかなりマシだと思ったのだ」
「終の棲家にするし?」
「そうだな。あの皇子のもとであれば、少なくとも二代は安泰だろう」
「それを認めたっていうのよ」
フンと鼻を鳴らし、ヴァレンは私の隣に伏せてぴたりと寄り添った。
「でもじゃあ、帝国はますます豊かになるわね」
「どうだかな。エーデンタール国次第でもある」
「そうね、事が終わった後が問題ね。実際、エーデンタール国が不作で困ってるという話は聞こえてくるわ。でも、ヴァレンはもともと加護を与えてなかったでしょう? それがどうして不作にまでなるの?」
「甕にたっぷり水を入れて運べば零れることもあろう」
「さすが格が違うわ」
加護を垂れ流してしまっていたのね。うんうんと頷きながら頭を撫でてあげた。
「あの国も一時期は持ち直したが……国王が愚かだったな、アラリック王子に権限を委任するから」
「ヴァレンの加護を当てにし過ぎなのよねえ……加護の内容も知らないのにあれこれ想像で画策したって、振り回されるだけに決まってるわ」
王家は、ヴァレンの加護を信じていた。おそらく、私を王家に召し上げて以降、ヴァレンの“垂れ流し”の加護の恩恵を受け始めたからだろう。
それが、時が経つにつれ段々と当たり前になり、やがて不十分に感じられ始めた。そこで王家は「王妃という立場にしなければならないのではないか」と頭を悩ませ、私はもちろん、アラリック王子の王家教育も急ぎ、可能な限りの権限を委任し始めた。
そこまでは分かるとして、まるで権限を委譲したかのように関与しなくなってしまうから……。
なんて、考えるのはよそう。ベッドから起き上がり、窓辺に寄った。今日は妙に寒いと思っていたら、雪がまた積もり直していた。昨晩のヴァレンの足跡がきれいに消され、未踏の銀世界が広がっている。
「ね、今日も雪がたくさん積もってるのよ。政務の前にちょっとお散歩しない?」
「ラウレンツ皇子との散歩はいいのか」
「いいんじゃない、昨日の夕方にしたし」
「……そうか」
ヴァレンは少し首を傾げたけれど、私がマントを羽織るとあまり構わない様子でついてきた。
部屋を出た後、階段を降りようとすると、先にヴァレンが窓に足をかけて鼻でガラスをつついた。
「ここから降りるか?」
「さすがに誰かに見られたら困らない? 3階よ?」
「今は庭師もいない。見られたところで、オオカミはそういうものだと思うだけだ」
そういうものだろうか? 疑問はあったけれど、私だって階段をぐるぐる降りるよりはここから直接下に降りるほうがいい。
「じゃ、ありがと」
ふるふると渦巻きのように体を振ったヴァレンの背に乗せてもらう。体高はもちろん馬より格段に低いが、その背はまるで馬のように力強い。
助走をつけるために少し窓から離れ、一瞬で矢のように加速する。そのまま三階の窓から飛び出した。
「うっ……冷たい……」
ぶわりと髪が持ち上がり、バタバタとマントがはためき、ヴァレンの毛も風にあおられる。それに頬をくすぐられながら、冷たい風に目を閉じた。
何度か壁を蹴って、雪の中に埋もれるように着地する。そのまま庭園を駆けると、瞬く間に肌が氷漬けになっていくのを感じ、ヴァレンの背に顔を埋めた。
徐々に減速したヴァレンは、『星の庭園』の少し手前から歩き始める。宮殿内から見ていたとおり、今日はかなり雪が積もっていて、ヴァレンが歩くごとにその足は沈み込んでいった。ヴァレンに乗せてもらわなければ、足首から下の感覚がなくなっていたに違いない。
「さすがに寒いわね。早く春にならないかしら」
「帝都は少し春が早い。そのうち暖かくなろう」
「だといいんだけど。……雪の積もる噴水はきれいね」
『星の庭園』を左手に、広場の中心にある巨大な噴水に顔を向けた。縁にほんのりと銀色の雲が積もった大理石は、まるでそこまで計算されて作られたかのように美しい。
「そういえば、最近のラウレンツ様は庭園を見ても『きれい』としか言わないわね。あの人、本当に大丈夫なのかしら……もう少し散歩に連れ出してあげたほうがいいのかも……」
「心配ないだろう。あの皇子はもとから少々おかしいだけだ」
「本当、いつの間にか仲良しね。そんな軽口を叩くなんて」
何を聞いても教えてくれないのでもう聞かないことにしたけれど、間違いなくラウレンツ様とヴァレンは夜な夜な会ってお喋りに興じているのだ。しかし神獣であることを伏せているのも間違いない。結果、ラウレンツ様はオオカミ相手に独り言をぼやく趣味があると気付いてしまったのだが、見守ることにした。ラウレンツ様だってオオカミに愚痴を零したいときはあろう。
でも、本当にそんなに一方的に何を話しているのだろう。まさか私の悪口……いやそうだとしたらヴァレンが仲良くしているはずないから、もしかしたら……。
「……私、陰で褒められてる……?」
「褒めているぞ」
「ほんと!? やだ嬉しい、褒められたのなんて生まれて初めてだわ!」
ラウレンツ様ったら、意外と裏表がないじゃない! 自意識過剰な想像に耽ったつもりが、うっかりいいことを聞いてしまった。最近ちょっと面倒くさいなんて言っていないで、肩でも揉んでさしあげよう。
6話ほど下書き(推敲中)ができたので、年末年始も毎日更新できそうです。年内最後までよろしくお願いします。
また、新作コメディ『私達が婚姻するなど、有り得ない』を公開しました。
3000字程度の短編ですので片手間にページ下部リンクからどうぞ。
 




