31.王城と余談④
餌が足りん。馬小屋でつい呻ってしまった。
桶の内側にはりついているカスを、指先でせっせとかき集める。冷え切った指先は青白く、すでに感覚はない。それでも懸命に集めたが、やはり握りしめるほどもない。毎日少しずつ餌を減らして繋いでいたが、さすがにもうすっからかんだ。
仕方なく隣の厩舎に行くと「こっちも餌はもうない」と言われ、その隣の厩舎へ行っても同じことを言われ、イヤイヤながらも厩舎長のもとへ直談判をした。
「そうは言われても、ないものはない」
「でも馬が鳴きどおしなんですよ。そりゃ質が悪いのは知ってましたけど、そんなに収穫高が悪かったもんですか?」
軒並み値段が上がっているというのはニコラウスも話していたことだが、だからといって馬の餌がないほどだろうか。手をこすりあわせて息もかけて温めながら、ついついしかめっ面になる。
すると、厩舎長が仕方なさそうに肩を竦めた。
「そりゃ収穫は少なかったけども、なにが問題なのかは知らんよ。普段どおりに買いつけて来てくれん、ただそれだけだ」
「だから収穫が少ないからそういうことになってるんじゃないんですか?」
「そうかもしれん。ともかく、俺も詳しいことは知らん。ともかく買い付けられんと、そう聞いているんだ」
厩舎長の説明は要領を得ず、仕方なく、鳴いている馬のもとへ戻るしかなかった。馬にも悪いなあ、ととぼとぼと戻っていると、誰かが馬を撫でてやっている。背格好ですぐに分かった、ニコラウスだ。
「どうしたニコラウス、餌でも分けてくれるのか?」
「相変わらずお前は察しがいいな」
「なんだ、冗談だったんだが」
驚いて駆け寄ると、確かに馬の餌が手配されていた。いつもより量は少ないがありがたい、慌てて馬たちにやる準備に取り掛かる。
「お前もたまにはいい仕事をするじゃないか、ニコラウス!」
「馬の鳴き声がどうにも気になったからな」
そんなこと言って、お前は実は動物に優しいヤツだろう。珍しくニコラウスを見直した。
「で、わざわざお前が届けさせたってことは、王城でなにかトラブルがあったのか?」
「トラブルってほどのことじゃない。ただ機能不全なんだ、馬の餌を買い付けていいものかどうか分からなくてな」
「馬の餌を買い付けてはいけないなんて馬鹿な話があるか。何を言っているんだお前は」
「それがあるんだ。先日話したばかりじゃないか、ロザリア様の改定した規則が撤廃されたぞ、と」
なんの話だったかと首を傾げると、王城統制規則のことだと補足された。それでも何の話か分からんと首を傾げていると、ニコラウスは溜息交じりに解説してくれた。
もちろん、王城統制規則というのは、貴族が王城に官僚として仕えるようになってしばらくしてから作成されたもので、もともと存在はしていたものだ。官僚が少ないうちは王が随時指示を出せば足りていたものの、官僚の数が増えるにつれ、一から十まで王に確認されていてはとてもではないが政務が回らなくなってしまったから、と。
しかし、官僚が増え、その業務が細分化されるにつれ、当初の王城統制規則では役に立たなくなってしまった。しかし、それが改定されずに放置され、各務卿との口約束だけで仕事がされていた結果、各務卿の交代により「こちらの所管はここまでだ」「それはこちらに権限があることだ」とトラブルが生じることが多かった。
それを見ていたロザリア様が、王城統制規則を引っ張り出し、その内容に驚き、ニコラウスの尻を叩いて一緒に改定させた。
それが撤廃された、というのが先日の話であったと。
「あー……そういえば、アラリック王子殿下とヴィオラ公爵令嬢がそんな話をしていたな。規則が細かくて迷惑だとか、仕事がやりにくいと不満が出ているとか……」
「当たり前だろ、規則というのは守るためにあるんだ。今までは傘下の貴族に右倣えと言えば右倣えさせることができていたのに、規則という壁が立ちふさがってしまえば文句も出るに決まっている」
「よく分からんな」
「例えば俺がお前にヴィオラ公爵令嬢の部屋に忍び込めと命じたら、それは規則で禁じられているからできないとお前が拒絶する。王家の定めた規則となれば俺は逆らえない、俺にとってそんな規則は邪魔だ」
「ありがてえ! 横暴な主人から俺を守ってくれ!」
俺とニコラウスの間にこそ規則は必要だ。ロザリア様が戻ってきてなにか作ってくれないだろうか。
「で、細かいと面倒とか言う連中もいるが、結局細かいことまで書いていないと逆に面倒なんだ。たとえば『勝手に餌を買うな、ただし緊急の場合は除く』と書かれているとする。さて、馬が鳴いているので餌がほしいと思ったお前は、勝手に餌を買えるか否か?」
「買えるだろ、鳴いてるなら緊急だ」
「鳴いているすなわち緊急か? しばらくしたら収まったとしたら緊急性は低いか? いつまでどのくらい鳴いていれば緊急といえるのか?」
そう言われると確かに困る。うーむ、と悩んでいると「まあ、こんな例えはどうでもいいのさ」と話を切り上げられた。
「ロザリア様の改定がまるっとなかったことになったからな、王城統制規則は十数年前のものまで逆戻りだ。しかし、規則というのはあると拠り所にすることで楽になるところもあるからな。ついついこれに依ってしまう連中と、これが撤廃されたことを奇貨として権限を広げ、また職掌を狭めようとする連中とが睨み合っている」
「つまり喧嘩か」
「まあそうだな、規則が撤廃されたという事実を皆都合よく使いたいのさ。その余波を受けて馬の餌などという些末なものは棚上げになり、アラリック王子殿下がゴーサインを出すまで買えない、それだけだ」
「なにが些細な問題だ、現に困ってるというのに」
物資がないのにそれを運ぶ馬が動けなくなってはどうしろというのだ。口を尖らせていて、ニコラウスが黙り込んだことに気が付いた。
「なんだ、どうした」
「……いや。大丈夫だ、馬の餌はそのうち解決する。いまはアラリック王子殿下のもとに仕事が溜まっているだけだからな、総務卿でどうにかしろと降りてきて、補佐に降りて……と厩舎長まで降りてきて、そのうちお前が好き勝手に買えるようになるさ」
「それもそれで面倒なんだけどな」
厩舎長がまとめて手配してくれないと、いちいち他の厩舎を回るのも面倒だ。……これが拠り所がないことの弊害というものか!
「しかし、であればロザリア様の規則を戻せばいいじゃないか。以前は上手く回っていたんだ、撤廃したことを撤廃したということにして」
「そうはいかない」
「なぜだ、火にくべたのか?」
「いや。しかし、既に王城には火がついた」
はて? 何の話か、もう一度首を傾げると、ポンポンと肩を叩かれた。
「さて、親愛なるアレクシスよ、厩番は今日までだ」
「は?」
「俺は既に暇をいただきたいと許可を得た。共に領地へ戻ろうじゃないか、ここにいることはない」
「なんだ、一体どういうことだ。旦那様はちゃんとお許しになったんだろうな!?」
やっぱりお前はいつもいつもそうだ。両肩を掴んで体を揺さぶるが、ニコラウスはもったいぶった笑みを浮かべるばかりだった。
明日も更新します、よろしくお願いします。




