28.商売上手と懐の余裕
マーケットでは、あちらこちらでワインが売っていた。しかしお祭り価格なのか、なかなかにお高い。たったグラス一杯のワインでそんなにするの……?と私の中の庶民心は呻いてしまいそうになる。
「果物も豊作で安くてよさそうですが、ワイン蔵が獣の被害にでも遭ったんでしょうか……」
「そんなに高いかな? マーケット価格だと思えばこんなものだと思うけど」
「ラウレンツ様、金銭感覚は大事ですよ。ワインはステル硬貨3枚で1瓶買えます」
それが2杯セットで3ステルなんて。でも冬の祝勝会で飲むワインはおいしいに違いない……。
「……もしかして、ゴブレットがもらえるのを知らない?」
「え? ゴブレットがおまけでついてくるんですか?」
ワイン売り場には、確かに銅のゴブレットがいくつも並んでいる。安物だとは分かるけれど、刻んである模様がレースのようできれいだし、別売りのものだとばかり思っていた。
「おまけというか、それ目当ての人もいるけどね。ともかく、2ステルはゴブレットのデポジットなんだ。飲み終わった後にゴブレットを2つとも返せば2ステル返ってくるよ」
「へえ! じゃあ全然お高くない、ですけれど……」
お祭りにきて財布の紐が緩んでしまっている……! まさしく、先日のアンティーク・マーケットで自分が考えていたことが跳ね返ってきている。みんなこういう気持ちだったに違いない。
「ゴブレットはそれぞれ発注先が違うから、デザインはそれぞれ異なるはずだ、中には買い集める人もいるけれど、ゴブレットばかり飾っても仕方がないし、気に入ったデザインのものを探すといいよ。あと年によっても違うね、去年は確かゴブレットの足と土台がシルバーに塗ってあって……」
「もういいです、やめてください。人というのは“限定”という言葉に弱いものなのです……」
喋りながら、心理を巧みに突いた手法であることに気付く。つまり……。
「まさかこの仕組みは……」
「うちの商会をどうぞご贔屓に」
出た、皇子のくせにやたら商売上手なラウレンツ様! 悔しいけれど、相変わらず商才がおありで、としか言いようがない。美しい微笑みに乾杯したくなる。
それにまんまと乗せられて、事実上ゴブレットを買ってよいものか。現在、日頃のお給金の使途はすべて貯蓄になっている。なにせ衣食住がついていて必要な装飾品・消耗品も支給されるので、別途高価なものを欲しがらない限り私がお金を出してなにかを買う必要はない。
だからゴブレットのひとつくらい――なんて考え方は、豊かな余生の邪魔になる。
「ゴブレットは返す前提でワインは飲みましょう。都合のいいことに2杯セットですし」
「そうか。俺はゴブレットをもらいたいから俺が出そう」
いま奇妙な計算のマジックが起きた。私の苦悩はなんだったのか、呆気にとられているうちに、ラウレンツ様はゴブレットを2つ持って戻ってくる。
「……いいんですか?」
「デポジット分の2ステルしか払わなければ、もともと返すつもりだった君の損だろう。構わないよ」
ラウレンツ様は商人で金勘定には厳しいのに、こういう太っ腹なところもある。でも、それも含めて商人らしさかもしれない。
ただの雇用主にしては情があるというか、形式的な部分にいい意味でこだわらないというか……。ゴブレットを両手で持って温まりながら、深い紫色の液体に映る自分を見つめ返す。やっぱり、私……。
「……では、ありがたく頂戴します」
「座って飲もう。そちらのベンチが空いてる」
ベンチは鉄がむき出しで、ひんやりと冷たそうだった。でもガウンが分厚いお陰で、座り込んでも思っていたよりマシだ。こんな些細なことまで、支給品の高価さがありがたい。
「このガウン、暖かくていいですよね」
「ナハト辺境伯のところで作っているんだよ、あそこの冬は厳しいからね――」
相槌を打ちながらラウレンツ様が私の隣に座った――と思ったら、シュタッとヴァレンがベンチに飛び乗って間に体を捩じ込んだ。
「あらヴァレン、寒かったの?」
「……そのようだね」
そのままくるくると回り、私とラウレンツ様の間で丸くなる。ラウレンツ様のほうを向いてリンゴをかじっているので、背中を向けられた私は暖かい。ふふ、とつい笑ってしまった。
「冬はいつもヴァレンがいるから暖かいのよね。忘れるなって怒っちゃったのかしら」
「……そうだといいんだけれど」
ワインを啜るラウレンツ様の横顔は渋かった。渋味が強いのかしらと口に含んだけれど、甘くておいしい。このブドウはずいぶん前に収穫されたものだから今年の豊作は関係ないだろうけれど、それにしたっておいしかった。帝都のものは大体なんでもおいしい、さすが一時沈んだとはいえ栄えている国は違う。
「あとはどこに行きます? 作物の情報はそのうち自然と官僚からも上がってきそうですが、鉱物の情報は集めておきたいですよね。先日のおじいさんにはもうお話を聞かれたんですよね?」
「ああ、既に人を手配して調査には向かわせた。今のところはおかしな報告もないし、鉱山が生き返ったと考えるとして――って」
そこで額に手をつき、ラウレンツ様は参った顔になった。
「だから、仕事の話はいいんだ」
「でもいまは周囲に人もいませんし……」
身を隠すような場所もないし、なによりヴァレンも反応していない。特に後者に私は全幅の信頼を置いているけれど……そうか、ヴァレンが神獣だと知らないとそこを信じようがないか。
「そうですね、黙ります。ではラウレンツ様、ワインに合うつまみなど考えましょうか。オリーブなどいかがでしょう」
「いいけれど、ヴァレンの首飾りを探すのは?」
「それも探します。きっとヴァレンには自然の鉱石がよく似合いますから」
王城にいるときはろくになにもしてあげられなかったから、余裕のできた今こそ何かしてあげたい。なでなでと頭を撫でたけれど、ヴァレンはやはり無反応だった。




