27.豊穣の気配と変化の予感
馬車を降りる前に感じていたとおり、マーケット周辺は盛況だった。帝都中の人が出てきたような賑やかさで、冬の寒さなどなんのその、広場周辺が熱気に包まれているようだった。
きっと、ラウレンツ様と手を繋いでいなければはぐれてしまっていただろう。そしてこれを見越して手を離さずにいたに違いない。やはりラウレンツ様は色々心得ていらっしゃる。
しかしこの人混みだと護衛も一苦労だろうか。どこから見守っているのかと周囲を見回していると「そんなにマーケットが珍しい?」と頓珍漢なことを言われてしまった。鼻の頭を少し赤くしたラウレンツ様は、いつもより間抜けだ。
「いえそうではなく、ああいえ珍しくはあるのですが、要人暗殺にはもってこいの場だと」
「心配はいらないよ、こちらから見えるようなところからは見ていないだけの話だから」
「それはそうでした、確かに」
暗殺の嗅覚はヴァレンに頼りきりだったので、考えが及びませんでした。
「それに、意外とここまで人が多いと狙われにくいよ」
「なぜですか? 手を下した後に人に紛れやすそうですが……」
「逃げにくいからね、姿を見られたらおしまいだ。どちらかといえば、人混みが近くにある開けた場所のほうが危険だよ」
「まるで暗殺者の心得を聞いている気分です」
「狙われる立場にとって最も効率のいい警戒方法は狙う立場になって考えることだからね。というわけで、安心して気を抜いてくれ。……しかし、思ったより人が多いな。悪いことではないし、立場的にはむしろ喜ばしいんだが」
さすが帝都のマーケットだと思っていたのに、珍しいのだろうか。でも言われてみれば、子どもだけで広場に出て遊んでいるというのは、帝都の治安の良さを考えても気が緩み過ぎている気がする。
「なにか祝典に心当たりが?」
「いや、なにも。ヴァレン、リンゴは食べるか?」
「好物だそうです」
ハッハッと舌を出したヴァレンに笑い、ラウレンツ様はおもむろにマーケットでリンゴを1個買った。
「ずいぶん盛り上がってるね、今日はなにか催しでも?」
「催し? いや?」
マーケットの主人は、太い腕を伸ばしてリンゴを手に取る。主人の手が大きくて渡される際は分からなかったが、私の拳よりも優に大きい、立派なリンゴだ。
「旦那、さてはまだ当主でもなんでもないひよっこですかい」
「ああ、まあ」
「今年は豊作なんですよ。山に出かけた連中なんて、ザックザック鉱石が出るもんで大喜び。その意味では今日は祭りですね」
鉱石の話は先日のおじいさんと同じだが、他の地域でも同じ現象が起きているらしい。ちらとヴァレンを見下ろすと、その場に伏せてせっせとリンゴを齧っているだけでこちらの話は無視だ。
「その話、もう少し詳しく聞いても?」
「おいおい、増税ってんなら黙ってねえぞ。言っとくが、こっちは知ってるんだからな、ラウレンツ殿下が税率据え置きの令を出してるって」
「ああ、俺も知ってるよ」
「……フン。そうですか」
というか、本人だ。貴族以外は遠目にしか皇子など見たことがないし、今後も見ることはないので仕方がないのだが。
「それで、豊作っていうのは? このリンゴが?」
「いいリンゴでしょうとも、そこのワンコロも喜んで食ってやがる。今年は軒並み収穫高が増えたし、果物もでかい実がなったんですよ。俺はコイツを『びっくりんご』と名付けて売ろうと話したんですが、家内に却下されましてねえ……」
「それは賢明な奥方だ。ちなみにどこの領地で?」
「俺の知る限りどこの領地もですね。だから、目をつけようってんならわざわざうちにする必要はないでしょうよ」
「鉱石は?」
「いちいち名前は覚えちゃいませんが、むかーし有名な鉱山だったところでしたよ。そっちは、大方しばらく休んで山が元気になったんでしょう、石のことはよく分からんが、どうせ草や木と同じだ」
「……なるほど」
ラウレンツ様はピンとアストラ硬貨を一枚投げた。ラウレンツ様のことを鬱陶しがりはじめていた主人は、その輝きを見た瞬間に目を二倍に見開き、両手でそれをガッチリ掴んだ。
「リンゴをもうひとつ、あとは情報料だ」
「へ、へい! ありがとうございやす!」
急に態度を良くした主人は硬貨を懐にしまいながら、今度は両手でリンゴを渡す。ラウレンツ様は「ご馳走様」と微笑めば、主人は手を揉みながら「毎度ありい!」と私達を見送ってくれた。
「……さて、思いがけず妙な話を聞いた」
「ええ、まさかこんなにも早く情報が手に入るとは」
そもそも収穫高は今回の調査項目に入っていなかったので嬉しい誤算でもある。ちなみに、ヴァレンは大きく口を開けて2個目のリンゴを咥えたまま歩いている。ちょっと間抜けだ。
「小麦の価格の話で、うっすらと豊作の気配は感じておりましたが、まさか他の作物もとは。各領主から収穫高の報告を受けるのは2週間後でしたっけ?」
「ああ、ただ、税率据え置きの令を撤廃してもいいのではないかと提言はあったし、予感はしていたことだ。もちろん、今の話を聞いてもそれを却下することは揺るがないのだけれど……」
そこでラウレンツ様は言葉を切った。
「……まあ、仕事の話はなしにしよう」
「……それはそうですね!」
こんな往来で明け透けに話していては、正体を勘繰られてお忍びの意味もなくなるというもの。
頷いた矢先――しかしある貴族カップルを見つけて、私は息を呑んでしまう。
「ラウレンツ様! 見てください、あちらのご令嬢!」
いや、一組だけではない。馬車から降りてきたこちらの令嬢に、傘をさすあちらの令嬢まで!
「白粉を塗ってません!」
恐るべし、貴族の流行と噂は伝染病より早い。ついこの間までシーツのように白い肌こそ正義であったのが、目に入るどの令嬢も、まるで何も塗っていないかのような自然な肌の色にほんのりとアイラインとチークにリップを塗っているくらいだ。
先日の社交界の甲斐があった! ぐっと、私は勝利の拳を握りしめる。先日の公爵家のパーティーで、私とエリザベート様は互いに「ロザリア様」「エリザベート様」と呼び合うほど、なんなら来週に公爵家でのお茶会にお呼ばれするほど仲良くなっていた。正直、途中から白粉のことも忘れて普通にお喋りに夢中になってしまった。本物の人格者は無意識に他人を虜にするらしい。ちなみにヴァレンも、エリザベート様の犬・レオナールを「話せば分かる賢いヤツだった」と暗に手懐けたことを暴露した。
そのエリザベート様が、きっと「ロザリア様のお化粧って素敵だったワ」と他のご夫人にも広めてくださったのだろう。
「これで市場から白粉が消えますよ! やりましたね!」
見上げながら微笑むと、ラウレンツ様は固まっていた。きっと早すぎる成果に驚いているに違いない。
「となれば、私達も祝勝会です。ちょっとくらいおいしいワインを飲んだって神獣罰が下ることはありません、一緒に楽しみましょう」
「……ああ、うん、そうだね……」
腕を引っ張るものの、ラウレンツ様はしどろもどろと返事をするだけだった。そういえばこの皇子は次々と成果を上げる自分を労わることを知らないのだ、ここは私が率先して楽しみも教えてあげなければ。
まるで第二の傾国の皇妃の口上だ。でもいいのだ、私は元皇妃と違って、ちゃんとお仕事を終えたらその座を辞すのだから。




