25.手練手管と掌上の玉
なんなら、その足も半歩前に出ている。これは他の貴族の前では悪手だ。
「ロザリアの微笑みは花が芽吹くよう、豊かな髪は春の大地、グレイの瞳は月を想起させる美しさがある。何も塗りたくらずとも透き通る――ッ」
「まあまあ、ラウレンツ様。良いではありませんか」
ぐいと腕を引っ張って体を寄せながら、ドレスの下で足を踏みつけ、無理矢理言葉を遮った。
不自然に途切れた声に、ノイマン公爵が怪訝そうに眉根を寄せる。気づかれぬよう「私の母国と帝国では流行が違いますから」と続ける。
「一見して不可解に見えるのは当然のことです。なにより、ノイマン公爵は愛妻家で、ご夫人以外がまったく目に入らないのでしょう。女性の私から見ても、ノイマン公爵夫人は大変お美しいんですもの」
ね? 念押ししながらもう少し爪先を強く踏んだ。ラウレンツ様の目尻にはほんの0.1ミリほどの苦痛が現れたが、お陰で考え直してくれたのだろう、ゴホンと咳払いが挟まれた。
「……そう、だな。失礼した、ノイマン公爵、ついムキになってしまった」
「……構わないとも、ラウレンツ殿下。しかし気を付けなされ、かのラウレンツ殿下が妃殿下に夢中であると知られては、その身が危ぶまれますぞ――かのイザベラ元皇妃の悪夢再びかと」
空気の読めないノイマン公爵め! もちろん意図的に煽っているのだろう、私が本物の皇妃だったら睨みつけているところだ。
しかし、ラウレンツ様が濁したとおり、この人はラウレンツ様の味方とはいい難いらしい。私を貶すだけならともかく、帝国貴族が聞いている中でラウレンツ様の皇子としての資質に疑問を呈するとは、敵意がありますと告白するようなもの。
「いやですわノイマン公爵、もちろん私には至らない点がありますけれども、そう意地悪をおっしゃらないでくださいませ」
だから、ここでは私に白羽の矢が立ったことにし、なおかつ馬鹿げた口上で誤魔化しておこう。微笑みながらそっと頬に手を添え、その隙にラウレンツ様よりほんの少し前に出た。
「殿下を息子のように可愛がってくださるノイマン公爵のことですもの、ご心配なさるのも分かります、毒婦に誑かされてはいけないと。しかし、こう見えて私、なかなかに可憐で純朴な少女ですから、ご心配には及びません。もちろん、公爵からご指導をいただけるのなら喜んでお迎えしますから、いつでもいらして、ぜひ私に帝国のことを教えてくださいな」
ノイマン公爵くらいの年齢になると、“若者に歓迎される自分はまだ現役”と言いたがるもの。なんなら、その若者が異性であるだけで“自分はまだ若い異性にも人気がある”と勘違いまでしてしまう。
実際、ノイマン公爵は「自分で可憐で純朴などと言うとは」と笑いながらも、そのしたり顔を隠せていない。
「出自を秘密にしたいのは結構ですが、田舎の出身を隠そうとしているのであればすぐ襤褸が出ますぞ。我がモンドハイン帝国ほどに栄える国はありませんからな」
「それは仰る通りです。その意味でも私、今時は華麗を象徴するような化粧をすべきと思っております。今や帝国は、大陸屈指の豊かな国となりつつありますから」
「ということは、外国へ見聞を広げた経験が?」
「ええ、然るべき身分の方を支えるべく、多様な経験を積んで参りました」
ぺらぺらと回る舌に、ノイマン公爵はすっかり気を良くしてしまった。お陰で、ラウレンツ様そっちのけで私にばかり「であれば同盟国も一通り?」「もちろんです、特にネーベルハイン国はお気に入りです、あの国は海がきれいで……」「いまどきの若者は旅をしたがらないが、あの国はぜひ行くべきだ。行ったからといって何があるわけでもないが……」と自分語りまで始める始末。ラウレンツ様が笑みを張り付けたまま隣で棒立ちになってしまい、遂に咳払いで遮った。
「……ノイマン公爵、盛り上がっているところ悪いが、ロザリアを他の者にも紹介したい」
「ああ、これは失礼した、殿下。もちろん、またあとでゆっくり話すとしよう」
ラウレンツ様のそれはあながち方便ではなく、そのまま順繰りに他の貴族からの挨拶を受け入れる。誰もがまず最初に私の顔を食い入るように見つめるが、それでも二言目には「さすが妃殿下は薄化粧でもとても美しい」と誉めそやす。なるほど、これが権力。
権力といえば、ノイマン公爵は野心たっぷりながら気のいいオジサンの側面もありそうだった。紋切型の挨拶を繰り返しながら、頭の片隅ではそんなことを考える。利害が対立するからといって悪人と断ずることができるわけではないし、上手く転がしたほうがラウレンツ様の利益にはなるだろう。ラウレンツ様もそう思うから帝都に別邸を構えさせるくらい近くに置いているのだろうし、やはり王城のガバガバ具合がおかしかったらしい。
「上の空だね」
挨拶が途切れ、音楽隊の演奏が始まったとき、ラウレンツ様が少し身を屈め、耳元で囁いた。
「疲れたわけじゃないようだけれど、なにか別のことでも考えてた?」
腕が腰を抱き、そのまま結っていない髪を一房すくう。この仕草を見て、誰も私が契約妃だとは思うまい。本当に演技が上手になりましたね、ラウレンツ様。
「ええ、まあ。でもここでする話ではありませんし、また宮殿でゆっくりお話ししましょう。あと耳元はくすぐったいので――夜だけにしてくださいね」
「……そうだね」
「きゃっ」
途端、ごく自然に手を引かれたかと思ったら、体は重みを失ったかのように軽々と、そして自然に踊りへと転じた。いつの間にやらぴたりと体も密着し、少し厚めの布越しに自分とは違う体の感触が伝わってくる。なにより驚いたのは、ラウレンツ様の体の軸がまったくぶれないことだ。ヴァレンが「油断ならない」と常日頃言っているとおり、意外と武芸にも秀でているのかもしれない。
「……ラウレンツ様って意外となんでもできるんですね」
「意外とはどういう意味かな、そんなに抜けてるように見える?」
「いえ、誰にでも得意不得意はあるものですし、あまり皇子らしからぬ芸に秀でていらっしゃいますし、逆に長い間女性経験はご不在でしょうし。その意味で、そうですね、なんでもというのは不適切な表現でしたが、ダンスがお上手なのは意外でした。アラリック王子は逆にダンスくらいしか取り柄がなかったんですけれどね」
「……そうか」
「あ、この情報はタダです。私が勝手に喋りましたので」
私はそこまで守銭奴ではございません。心からそう付け加えたのだけれど、ラウレンツ様は渋い顔のままだった。
何曲か踊った後、体は揺りかごに乗せられたような浮遊感と共にラウレンツ様の体から離れた。私の体重のかけ方まで把握して自然に踊りを止めるなんて、本当にこの人は上手い。
「……すごいですね、心から感服しました。そこらの教師よりお上手です」
「お褒めにあずかり光栄だよ」
あまり嬉しそうな顔をしない。褒め方が下手だったのかもしれない、ヴァレン相手に少し練習しよう。
そんなダンスの合間を縫って、ノイマン公爵夫人が「ロザリア妃殿下」と控えめな声で入ってきた。
「さきほど流行が違うと仰いましたが、ぜひ、もっと詳しいお話を聞かせてくださいな。帽子の形に手袋の刺繍、それにもちろん化粧まで、きっと全く違うのでしょう? 私もぜひ試してみたいわ」
「ええ、もちろんです。殿下、ノイマン公爵夫人らとお話させていただいても?」
そんなノイマン公爵夫人の後ろには「私達もぜひ」と目を輝かせる令嬢が控えている。白粉一掃ミッションのためにはこの機を逃してはならない。まだ握られたままの手で、ラウレンツ様の指を強く握った。
「……ああ、構わないよ」
その指先を握り返され、そのまま手袋越しに軽く口づけられる。顔の造形の良さもあって、惚れ惚れする仕草だった。
「……行っておいで、私のロザリア」
じっと、グリーンの目が意味深にこちらを見つめてくる。
ということは、公爵夫人筆頭に令嬢達を攻め落とすので良しと、そういうことですね、殿下。ウインクして返すと、ほんの少し眉が寄った。殿下なりの是に違いない。
最近ちょっと読めるようになってきましたよ、ラウレンツ様。手が離れた後もサービスでもう一度ウインクしておいたのだけれど、相変わらず眉は寄ったままだった。
下書きが5話分ありますので、少なくとも向こう5日間は更新できることが決まりました。よろしくお願いします。




