18.流行するものと好かれるもの
ラウレンツ皇子が妃を娶りました。そうアナウンスされてしばらく、ヴァレンと共にラウレンツ様を訪ねると、いつもより片付いた執務室で一通の手紙を差し出した。
「これは?」
「今朝、ナハト辺境伯から届いたんだ。君を雇うことに決めた城があるだろう、あの持ち主だ」
「あら懐かしい。その方からのお手紙……殿下宛ですよね?」
私が読んでいいんですか? そう訊ねるつもりで顔を見ると、もちろんと頷きながら、ラウレンツ様はペンを置いた。最近は仕事に余裕もできたらしく、喋りながら仕事をすることは少なくなっている。
「お祝いに来てくださるとのことだ。今日の午後に来ることになっているから、悪いんだけど顔を見せてくれないかな」
「構いませんけれど、ずいぶん急ですね」
エーデンタール国側の辺境伯なので、もちろんもともと名前を知っている方だ。なんなら、エーデンタール国側はナハト辺境伯を口説こうと、あれやこれや下手に出ていたことまであるのだ。
そちら側にいた私が、今度は帝国の皇子妃として祝いの言葉をもらうというのは――しかも手紙には心温まる祝言が連なっているし――なんだか妙な気分だ。しかも手紙とそう間隔を空けずに本人がやってくるということは、かなり気合を入れて馬を飛ばしてくるということである。その強い忠誠心がうかがえるというもの、なんだか妙な気分通り越して居たたまれなくなってきた。契約妃でごめんなさい。
「ナハト辺境伯とラウレンツ様は長いお付き合いなんですか?」
「ああ、陛下と同年代の方でね、俺が幼い頃から世話になっているよ。それこそ皇子妃候補だけでも決めろと耳にたこができるほど聞かされてきたし、ナハト辺境伯にご令嬢がいらっしゃったら問答無用で婚約させられていたかもしれないね……」
「それは残念ですね……辺境伯令嬢であれば家格に何の問題もありませんし、先代からの忠臣となれば皇家にとっても悪くないお相手だったはずです。もちろん血族関係の広げ方として難のある側面もありますが……」
私としては真面目に考えたつもりだったのだが、なぜかラウレンツ様の表情が固まった。足元のヴァレンもフンフンと鼻を鳴らしてなにか合図をくれている。
……そうか、皇帝陛下の時代からお世話になっている辺境伯の令嬢を勝手に想定し政略結婚を考えるなんて、まるで忠臣を利用するかのようで失礼だ。自分の発言の迂闊さにそこで気が付いた。
「失礼しました。いえもちろん他意はなかったのですが、ラウレンツ様の忠臣が政治の道具のように聞こえて不愉快でしたよね。ごめんなさい」
「あー……いや、そういうことでは、なく……」
珍しく言い淀んでいる。ヴァレンもなにか分かっているはずだけれど、一体なにか。
ヴァレンを見下ろすと、我が物顔でラウレンツ様の机をぐるりと回り、私の視界から消えた。ややあって、机についているラウレンツ様が「痛っ」と顔を歪めたので、足に爪でも立てたのだろう。たまに聞いても「あの惚けた皇子」としか言わないくせに、私の知らないところで随分仲良くやっているらしい。
「あー……コホン、いや、君の言うことはもっともだ、が。君は俺の妃ということになっているので、くれぐれも俺の妃候補としての適任者が誰かなんて話はしないように」
「あ、そうですね。政変の片棒を担いでいると思われては息の根を止められてしまうかもしれません」
でも私も、さすがに辺境伯の前ではこのお喋りな口を少しは閉じるつもりだ。ラウレンツ様は知らないかもしれないが、私にだって余所行きの顔はある。おどけて口を手で覆ってみせたが、ラウレンツ様は難しい顔をしたままだった。
そんなナハト辺境伯の訪問前、ラウレンツ様の指示で、私は皇子妃に相応しい身支度をさせられることになった。無論、手伝ってくれるのは今まで一緒に働いていたメイドの方々なので、古参のティナさんが「本当に驚きましたよねえ、あのときは」と今日もぼやいた。ちなみにティナさんは殿下の乳母でもあったらしい。
「新入りのメイドだと思って、あれこれ訳知り顔で仕事を教えていたのに、まさかラウレンツ殿下の婚約者で、皇子妃になる前に宮殿の様子を知るためにお忍びでメイドのふりをしていただなんて」
「ティナさんったら、もう何度目ですか、そのお話」
「でも殿下も人が悪いですよねえ、ご自身の妃になる方だなんてことはおくびにも出さないで、新しく入るからよくしてやってくれなんて一言だけ。皇子妃になる方だと知っていたら、燭台を美しく磨く秘伝の技なんて偉そうに説明しなかったわ」
「皇子妃殿下がいつ燭台を磨くのよ」
私は髪を引っ張られ服を剥がれとされている中、ケタケタと明るい笑い声が広がる。ラウレンツ様が人を見る目があることが分かる会話だ。
「でも私、ロザリア様が実は皇子妃になる方だったって聞いて、ピンときたというか、かなり色々繋がったのよねえ。だってロザリア様の恰好、あまりにもわざとらしいくらいの古着だったでしょ? あれって私達を試してたんじゃないかしらって」
「確かに、ロザリア様の気品を見抜けるかと考えていらっしゃったのね。ラウレンツ殿下ったら、人当たりが良すぎて何を考えていらっしゃるか分からないものねえ……あ、でも私は見抜いていたわ、ロザリア様って所作がきれいだし、先日ネーベルハイン国の方がいらした際にさらっとネベル語を話していらっしゃったでしょう? だから語学も堪能なんだなって」
「いまさら言ったって後付けよお」
そう、すべては後付けで、私は契約妃に過ぎない。あまりの居たたまれなさに相槌の打ち方も分からずにいると「あ、ロザリア様、失礼しますねー」とティナさんが顔の白粉を拭い始めた。ちょうどいいので化粧を理由に黙ることにしよう。
「殿下のご指示で私達で適当に見繕いましたけれど、日頃お使いの白粉のほうがいいですか?」
「あ、そうですね。私の場合はヴァレンが舐めてしまうので、舐めても大丈夫なこの白粉を――」
「すまないロザリア、ナハト辺境伯から早馬だ」
そのとき、かなり不躾に扉が開いた。ティナさん達メイドが「殿下!」と叱りつけるほどに。
「ロザリア様はお色直し中ですよ! いくら殿下とはいえ勝手に入られては困ります!」
「あー……すまない、ナハト辺境伯から帝都に入ったとの早馬があったから、通ったついでに知らせようと思ったんだが……」
「あ、ラウレンツ様、私は構いませんので。お知らせいただいてありがとうございます」
言伝を頼む相手を探すより、通りがかりに自分で声をかけるほうが早くていい、ラウレンツ様の考えそうなことだ。幸いにもドレスは着替え終えた後だし、化粧はすっかりさっぱり落としてしまったが、ラウレンツ様のことだから化粧を落とした女性の顔を見て「はしたない」とは言わないだろう。
が、振り向いた先のラウレンツ様は書類片手に、扉を開いたまま固まっていた。口なんて間抜けにぽかんと丸く開いている。
「……ロザリアか?」
「え? ああ、ごめんなさい、化粧を落とすと分かりませんよね」
「ですから殿下、今すぐ扉をお閉めになってください。化粧を落とした顔を見ていいのは――……殿下は見ていいのかしら?」
「……いいんじゃないかしら?」
「少なくとも私は構わないです」
夫なんだから見て当然かも、いやでも皇子妃なんだから話は違うかも、そんな当惑が頭上で飛び交う中、ラウレンツ様の咳払いが響いた。
「……ティナ」
「なんでございましょう、殿下」
「今すぐロザリアの悪趣味な化粧をやめさせろ」
なんと、はしたないよりも数段失礼なことを言われてしまった。




