16.文化の違いと予想外
財政に苦しむあまり打ち出した政策・アンティーク・マーケットで立ち往生している外国人がいるので、ちょっと通訳に行ってくれと軽い気持ちで私を遣わせたら、会談にやってきていたネーベルハイン国の外務卿補佐でした。
そんな珍事を突然理解したら、ラウレンツ様とはいえ軽くパニックになってしまうに違いない。それを防ぐべく、ラピダリーに仕事を依頼する前にヴァレンを探し、ラウレンツ様に持って行ってくれとメモを渡し、ラピダリーと話をつけてから宮殿まで戻り――……ちょうどラウレンツ様と件の外務卿補佐が連れ立って出てきたところに出くわした。ラウレンツ様の隣にはヴァレンがいて、まるでラウレンツ様の神獣である。
そのヴァレンが軽い足取りで私のほうへ歩き出し、ラウレンツ様達の顔もこちらに向く。ラウレンツ様が先に私に気付いてなにか言いたげな顔をしたけれど、それより先に「ああ、さきほどの」と外務卿補佐が帝国語で口にした。ちなみに、彼はシュトルム侯爵令息のトビアスと名乗った。
「ありがとうございました。ペンダントはできそうですかね?」
「……ええ」
自称弱小国の侯爵令息でありながら、帝国皇子の政策を通じて国を値踏みしてくるような相手、そう考えると返事ひとつするにも頭をフル回転させる羽目になった。足元にはヴァレンがやってきて、ドレスに顔をこすりつけて「言われたとおりやってやったぞ」とアピールしてくるけれど、ごめん頭を撫でてあげるのはまたあとで。
「さきほどはお買い上げいただきありがとうございました。ただ、やはり時間は必要なので、明日のお渡しになるということです。本日は帝都にご宿泊で、以後もご予定に変更はございませんよね?」
「ええ。明日はマーケットはしていないのですよね、であれば――」
「ご宿泊先に届けるように手配しておりますので、ご予定のとおり明日朝9時まで宿泊先でお待ちいただければと」
トビアス様がマーケットを離れる前に、宿泊先を離れる時間まで確認済みだ。申し向けた内容に対し、トビアス様は満足そうに髭のない顎を撫でる。
「……トビアス殿」
その口がもう一度開かれる前に、コホン、とラウレンツ様が咳払いをした。
「……どうやら、私より先に私の妃と話をしていたようで、手違いがあって失礼しました」
「手違いだなんてとんでもありません。器量がよく機転もいい、非常に魅力的な細君だ」
後半はネベル語だった。わざとには違いないが、ラウレンツ様はネベル語が分からないんだったろうか、だとして聞かれて困ることを口にしたわけでもないのに、はてと首を傾げた。
ラウレンツ様は少々複雑な顔をしたまま、帝国語で「そう言っていただけるぶんには、こちらは構わないのですが」とやはり少々濁した返事をした。
トビアス様は上機嫌で、少し背筋を伸ばして「しかし、帝国も随分様変わりしましたね」とまた帝国語に戻して続ける。
「4、5年前だったでしょうか、帝国を訪れたことがあるのですが、その際は当時の皇妃断罪により国全体が暗く沈んでいるように見えました。しかし、今こうして来てみると、あのときは黎明を迎えるのを待っていたのだと、そう思えますね」
アンティーク・マーケットに来てラウレンツ様と喋っているだけだというのに、ずいぶん褒めてくれるものだ。ただ、ラウレンツ様も(相変わらず口の端に複雑な感情を滲ませてはいるが)「そう言っていただけて光栄です」と朗らかに頷くので、会談の場で相応の情報交換ができたのだろう。
「皇妃の断罪というのは帝国民にとってショッキングな事件でしたから、皇族に対する信頼が失墜したことは否めない点がありました。時間はかかりましたが、再び皇家に忠誠を誓ってくれた臣下も多い。必要なことは成したと自負していますよ」
「それを聞くとこちらも安心しますよ。なにせ我が国の存続は帝国にかかっていますから」
「当面の心配は無用でしょうと言いたいところですが、まさしくそれが我が帝国にかかっていますね。それより、我が妃を通じて求めた鉱石とは?」
よほど珍しいものだったんでしょうかね、そう促され、トビアス様は「ああ、そうだ」と少し眉にしわを寄せた。
「確か、老人はルキエール石だと話していましたが、知らない名でした。帝国でもあまり採れなかったとうかがいましたが、有名ですか?」
「有名もなにも、帝国の元伝統工芸品御用達の鉱石でしたよ」
私も知らない鉱石名だったけれど、「元」ということはそういうことなのだろう。ラウレンツ様も「ずいぶん前に採掘し尽くしたので、いまは歴史で学ぶくらいですかね」なんて驚いている。
「今回買い占めたのがそれだと? ロザリア、その鉱石を掘ってきたという商人――」
「お名前はおうかがいしてますから、どこで採掘されたかはすぐに調べることができると思います。が……売ってしまっては、具合が悪かったでしょうか……?」
希少なものを、そうとは分かっていなさそうな老人の言い値でポンと外国へ売ってしまったか? 思いがけない話の進み方に、だらだらと背筋を冷や汗が流れるのを感じた。
「いや、それは構わないんだ。ただ、ルキエール石を採掘し尽くしたというのはさきほど話したとおりだから、新しい鉱山を見つけたのであればこちらも把握しておきたいだけだよ」
「それならいいのですが……」
これはただの建前だな……。きっと、外国の侯爵令息の前だから言えないだけで、本音としては良くも悪くも異変を意味することに注意を払っておきたいということに違いない。なにせ、今まで採れなかった鉱石が再び採れるようになったということは、その鉱山近くで小さな落盤などが起きて採掘できる範囲に変化が生じただとか、自然災害の前触れが起きた可能性も十分考えられるのだ。
でも、自然災害の前触れなら動物のほうがよく知ってるだろうし、それならヴァレンの耳に入ってきそうなものだし……。ちらとヴァレンを見下ろすと、意味深な視線と目が合った。
「……?」
「ではラウレンツ殿下、今日はお時間を頂戴し、ありがとうございました。ネーデルハイン国へ足を運んだ際は再びお目通りが叶うことを祈っております」
「こちらこそ、トビアス殿。今日はお会いできてよかった」
「それから、ロザリア妃殿下」
トビアス様は、ラウレンツ様と握手をかわした後に私にも手を差し出した。慌ててヴァレンから視線を戻し、私も手を差し出す。
「帝国の妃殿下がネベル語を喋ってくださり、とても嬉しかった。生意気な真似をして失礼しましたが、今後もご支援は約束させていただきますよ」
「ご丁寧に、ありがとうございます。帰り道は気を付けてね」
「ああ、もちろん」
外交のためにネベル語で付け加えると、トビアス様もネベル語で返してくれて、人生なんでも役に立つものだと一人悦に浸ろうとしたとき――そのまま力強く抱き寄せられた。
「また会おう、ロザリア殿」
ポカン、と私が状況を把握できずにいるうちに、トビアス様は他の臣下に見送られ、去って行った。
まだマーケットからの賑やかな声が聞こえる中、置き去りにされた私達には沈黙が落ちていた。さきほどのハグは何だったのか。
「……そういえば」
はたと気付き、私が先に口を開く。
「ネーベルハイン国は言語体系のとおり非常にフランクな国柄で、同時に情熱的でもあるので、親愛の情をハグで示すのが一般的だそうですね。もともと王族相手にさえフランクに喋る国ですから、侯爵令息にとっては他国の皇族にハグをすることは今後の友好関係を約束するようなもの……今回の会談は大成功と、そういうことですね!」
記憶がある限り生まれて初めて抱きしめられたのが外交関係によるものでした、なんて字面は我ながらなかなか切ないものがあるが、今回の通訳業務はもともと追加のお給金を約束されていたこと。そう考えれば、これはかなり強い交渉材料になる!
そう拳を握りしめた私とは裏腹に、ラウレンツ様はかなり微妙な顔をしていた。私に払うボーナスのせいで苦虫をかみつぶしているのかと思ったが、そうではない。まるで珍獣を見たようなというか、たとえるなら突然寝室をヴァレンに占領されて「ここは俺の寝室だが……」と注意したいけどできずに困っている、そんな顔だった。
「……どうかしました?」
「……いや。……いや、そうだね、文化の違いはあるからね……」
「……もしかしてなにか別の意図があるのでしょうか? ネーデルハイン国の資料さえもらえれば調べておきますよ!」
「いや気にしないでいい。……ただの文化だから。うん、そうだね」
その顔は妙に難しいものに変わり、なんならその手が力強く私の肩を掴んだ。私も眉を八の字にして困惑を見せたけれど、ラウレンツ様はまるで言い聞かせるように何度も首を縦に振るだけだ。
「文化だと考えてくれれば、それで大丈夫だよ。いいね?」
「……はあ。そうですか……」
探ってはいけないことか……。いや確かに、契約妃である以上、宮殿を出ていくときに備えて首を突っ込んではいけないことも多いのかもしれない。私は物分かりのいい働き手、そう自分に言い聞かせ、深々と頷いた。
ブックマーク・評価等ありがとうございます。ストックがなくなってしまったので自転車操業ですが、これからも毎日更新がんばっていきたいです。
 




