13.生き抜く力と親切な嫌がらせ
契約妃なのでお披露目は不要、というかそんなパーティーを開くだけ金の無駄、だから建前としては「非常に慎ましい性格なのですべて謹んで辞退した」ということで、私はひっそりとラウレンツ様の妃になった。さすがに皇帝陛下に謁見しないわけにはいかないのではという懸念はあったが、「傷心中だから誰にも会いたがらない」とラウレンツ様が一蹴した。
「まあ……そうですね、恋の病も立派な病ですし、ラウレンツ様が構わないのであれば病の人間にわざわざ押しかけることはないでしょう」
「陛下を捕まえて恋の病呼ばわりしたのはさすがに君が初めてだよ」
でも横暴を極めた皇妃のことを引き摺るなんて、そんな恋は病としか言いようがないので仕方がない。
「というわけで、早速仕事を始めてもらいたい。基本的に皇子妃の所管業務は王子妃だった頃と大差ないはずだけれど、官僚達との顔合わせはしなければならないから、それは随時紹介する」
「承知しました、けれど顔合わせというのはいささか手間ですね。私側が挨拶をして回るのは構いませんが、ラウレンツ様の業務時間を圧迫します」
本来的に皇子妃となれば大々的に発表され、皇子妃側は覚えていなくとも官僚側は皇子妃の顔を覚えているもの。そのイベントが省略されてしまうことには若干デメリットもある。
「ですから、官僚が一堂に会する場で私を妃として紹介することを提案します。ついでに、そこで正式に妃と任命してください。あとは顔と名前さえ覚えてもらえば目的は達するので、これなら2秒で顔合わせの手間を省けます」
「……君の提案は毎度のことながら突飛で、それでいて反対する理由がないね」
感心した口ぶりで、ラウレンツ様は手元の書類から顔を上げた。
「君がよければそれで構わないよ」
「ではそうしましょう。ちょうど来週に各務卿を集めた会議がありますから、その場でお願いします。私のほうで準備するものがあれば教えてください」
「君に準備してもらうことはないよ。私が紹介するから、適当によろしくと挨拶してくれればいい。王子妃だった君にはお安い御用と踏んでいるけど、大丈夫かな?」
「ええ。大体表に出る直前まで練習させられて本番だけ代役が立っていたので、本番は初めてですけどね」
どういう意味だ? そう言いたげにラウレンツ様が首を傾げたとき、扉のノック音が響いた。
「失礼します、ラウレンツ殿下。ただいまお時間よろしいですか?」
「5分なら構わないよ」
10分後にはネーベルハイン国の使者との会談が始まるせいだ。ラウレンツ様が時計を見れば、入ってきた事務官は少し困った顔をした。
「5分ですか……」
「なにか厄介事でも?」
「それが、『星の庭園』に貴族の方がいらっしゃっているのですが、どうやら異国の方のようで、何を話しているのか分からず困っているのです。今日は殿下がアンティーク・マーケットを開いていらっしゃるでしょう、その客人だとは思うのですが、殿下にご対応いただけたらと……」
アンティーク・マーケットというのは、広大な庭園を有効活用すべく、ラウレンツ様が定期的に開いている骨董品・古物売りのことだ。例の、ラウレンツ様自らが経営する商会がスポンサーとなっているもので、宮殿が発行した許可証さえあれば身分問わず商いができるらしい。
皇子が経営する商会が主催するとなれば、それだけでも客が集まるし、マーケットに来る人も、賑やかな場にくるとつい財布の紐も緩くなってしまうというもの。ゆえに出店の許可を求める者は後を絶たないのだとか。なお、もちろん例によって宮殿財政復興政策の一環なので、出店した者から売上の一部を上納させているそうだが、それでも十分儲かっていると大変評判のいい政策らしい。
で、そのアンティーク・マーケットの客として外国人が来ている、と。
「ネーベルハイン国の使者と一緒に来た客かもしれないな」
しまったな、とラウレンツ様は羽ペンを置いた。
「……なにか困ったことでも?」
「あそこはネベル語だけれど、喋れるヤツに心当たりがない。さすがに外務卿は喋れるが、これから私と共に会談に同席する……」
「……私が行きましょうか?」
「喋れるのか?」
弾けるように顔を向けられ「まあ……一応……」と頷く。ちなみに事務官は、誰だこいつはと言いたげな顔をしている。今日からメイドの恰好もしていないし、皇子と馴れ馴れしく話しているし、そのリアクションは理解できた。
「しかしエーデンタールは帝国語じゃないか」
「家庭教師がネーベルハイン国の方だったんで」
誰の指図かはさておき、王子妃教育を担当する家庭教師には、帝国語でなくネベル語で指導をされた。勉強しなければならないのに何を言われているのかが理解できない、そんな状況に置かれてしまい、勉強するための勉強を必死にする羽目になったのだ。
そのときの私は実に5歳、しかしどうもその家庭教師には嫌がらせの才能がなかったようで、私の拙いネベル語での質問や反論を「発音が違いますわ、『ネベル』ではなく『ネヴェイア』です」「そんなに私は・私が・私にと自己主張の激しい文章なんて教科書でも見ませんわ。口語では省略するのです」とご丁寧に指導してくれた。途中から嫌がらせなのか語学の勉強を兼ねているのか分からなくなった。
ともあれ、毎日毎日ネイティブの話し相手が5歳からついていて、しかも相手の言うことを理解しなければ折檻アリともなっていれば、言語なんてイヤでも身につく。
「ですからもしネーベルハイン国の方なら大丈夫だと思いますよ。あとフィンスター語はもちろん大丈夫ですし、ついでにデューア語もどうにかなります。デューア語は幼少の頃に話し相手が喋っていただけなので簡単なものしかできませんけどね。何を買いたくていくらでどうくらいなら――」
「代わりに行ってきてくれ。頼んだ」
私が返事をする前にラウレンツ様は次の書簡を手に取っていた。どうやら快諾してもらえると思っているようだが、ナメてもらっては困る。
「それって皇子妃の仕事ですか?」
「ん? いや、所管にはないな。あくまでマーケットは私個人が経営する商会が主催するものだしね」
「ということは今回限りの特別な仕事ということです?」
「通訳は好きではない?」
「いえ、私がいただいている対価はあくまで皇子妃の仕事に対するものですので、所管外なら対価は別途必要ではありませんかと、確認させていただきたかったのです」
なんらかの形で対価を、もしよろしければ現金を上乗せしてください。にこっと微笑みながら首を傾け、合わせた両手を斜めに添えておねだりのポーズをとってみせる。ラウレンツ様は、ポカンと間抜けに口を開いた。
「……こんなタイミングで交渉か」
「こんなタイミングだからです」
「……分かった、その代わりに今すぐ行ってくれ。相手はおそらくネーベルハイン国の貴族だが、あの国の上位貴族は桁違いの財産を蓄えているから――」
「たくさん売るチャンスと、そういうことですよね。もちろんですよ」
額を押さえるラウレンツ様に礼をして、事務官から件の客がいる場所を聞きだし、執務室を飛び出した。




