12.王城と余談①
馬を引いて馬車の準備をしていると、門の向こう側から楽しそうな声が聞こえてきた。
「ということでいかがでしょう、アラリックお兄様」
「もちろん構わないが、お兄様というのはそろそろよしたらどうだ。来週には婚約発表を控えているというのに」
「そうでしたわ、ごめんなさい、アラリック殿下」
アラリック殿下と公爵令嬢ヴィオラ様のお出ましだ。待っていると、よく似たお顔のお二人が既に恋人のように寄り添っていらっしゃる。そして、ヴィオラ様は、その腕に大事そうに白いウサギを抱えていた。ウサギの耳には宝石付きの紫色のリボンがついていて、その価値はなんと俺の一年分の給金を優に上回る。なんたって神獣のウサギ様だ。
お二人が馬車に乗った後、鞭を打って出発する。今日はヴィオラ様が「外の景色をゆっくり見たい」とおっしゃったので、窓や天井を取り払ったタイプの馬車だ。お陰で、後ろからはお二人の声がよく聞こえてきた。
「ここ数日、晴れやかな日が続いておりますね」
「そうだな。それに気分もいい、厄介払いが済んだお陰だろう」
「長年ご苦労なさいましたものね、世間知らずの名ばかり伯爵令嬢と、おそろしいオオカミに……」
殿下を労わるように痛ましそうな声には「まったくだ」と呆れた声が答える。
「特に君に対しての態度は許しがたかった。あくまで私の従妹にすぎぬと、対外的な場での君を抑え込もうとしたことが何度あったか」
「大丈夫です殿下、私は気にしておりません。ロザリア様はご自身の立場が不安だったのでしょう」
「そうして君のような寛容さもなかったのだ、彼女には。ここ数年は特に嫉妬や不満ばかりを口にしていたし、私を労わった口上で媚を売ってきた頃とどちらがマシであったか……」
「ロザリア様は他人から愛されたことのないお方ですから……いかにすれば殿下の寵愛を受けられるか、そればかり考えてから回ってしまったのではないでしょうか」
「王家に召し上げられて勘違いしたな。愚かな娘だ」
口を挟むことはできないながら、そうだろうかと、つい首を捻ってしまう。殿下とヴィオラ様のご意見に、俺にはいささか疑問があった。
俺はコネで御者をしていて、そのコネを与えてくれた親友は法務卿補佐だったか内務卿補佐だったか、とにかくいい感じの役職に就いている。その親友によれば、殿下とロザリア様の不仲説は本当だが、ロザリア様ご自身が殿下に興味がないのだろうという。俺には難しいことはよく分からないが、親友によれば、ロザリア様は金と引き換えに王家へと召し上げられ、しかしろくに侍従もつけられずに王城の隅で暮らしていたらしい。親友は、そんなロザリア様と、たまに顔を合わせることがあったが、初めて会う連中は殿下の婚約者だとは思いもしないほどだったとか。
つまりロザリア様は、神獣を連れているという理由で無理矢理王城へ連れて来られた挙句、慎ましい生活を強いられつつ、婚約者の甘いはないまま酸いばかりだったということになる。そんな状況で王子を好きになる理由があるか? 王子は顔だけはいいから、それでもいいのかもしれんが、そうは見えなかったなと、口の悪い親友はそう話していた。
「そういえば、臣下の一部からは不満の声もあったようですね。なんでも、彼女が定めた王城の統制規則があまりに細かく、仕事がやりにくくなったとか……」
「そのとおりだ。しかもその注進をくれたのは誰だと思う、現軍務卿、君の兄君だ」
「まあ……」
「大方、君に自らの立場を奪われると危惧して君の兄君の権限を締めあげようとしたのだろう。しかもそれを、他の仕事に忙殺されている私の手元に紛れ込ませ、騙すように署名を得たのだ。小賢しいことだ、法務卿に以前の規則に直すよう命じておいた」
話を聞いてピンときた。思い出した、俺の親友は法務卿補佐のほうだ。そうだそうだ、確か、ロザリア様が王城統制規則を見直しましょうと言いにきたのだと話していたから、法務卿補佐のほうだ。
親友いわく、いまの法務卿はろくに仕事をしないので、その所管業務が滞りがちで、統制規則は化石状態だったそうだ。補佐に過ぎない俺の親友は関係上法務卿に口出しできず、当然ながらその規則に触れることもできずにいたそうで、見せられて初めてその形骸化っぷりを知ったそうだ。大急ぎでロザリア様とああでもないこうでもないと話し合って改定したらしい。
規則に古いとか新しいとかあるのか、そんなに変えなきゃいけないものなんてあるものなのか、と俺にはよく分からないままなんだが、お偉い親友が、あのままだとこの国はおしまいだったよ、と笑っていたので、まあそういうことなんだろう。法務卿は仕事をしていないので、いつもどおりお願いしますといえばスルッと承認は下りたのだとか。
「本当に、余計なことばかりしてくれたものだ。神獣と言って連れているオオカミも、大方生家の周辺にいた野良を育てしつけ、他のオオカミよりも賢いように装ったのだろう」
「恐ろしいオオカミでした。……殿下には申し上げられませんでしたが、実は私、ロザリア様のオオカミに襲われかけたことがございます」
「なんだと!? なぜそれを早く言わなかった!」
後ろで大声があがり、お二人がドタバタと騒ぎ始めたせいで、馬が少し驚いている。それを宥めながら、今度はロザリア様が連れていた立派なオオカミのことを思い出した。
ロザリア様は、よくあのオオカミを連れて散歩していた。確か「ヴァレン」と呼んでいたように思う。銀色の毛は月光、金色の目は陽光を放っているようで、なるほど確かに神の使いだと、初めて見たときは納得した。
しかも、誰も信じてくれないのだが、その「ヴァレン」というオオカミは喋るのだ。
ロザリア様が話しかけているのは知っていたが、最初は俺が馬に話しかけるようなものだろうとばかり思っていた。しかし、ある夜、知らない話し声がしたかと思うと、ロザリア様とその「ヴァレン」様が喋っていたのだ。
衝撃的過ぎて前後の話は覚えていないが、「南西の山が死にかけているそうだが、あのあたりは誰の領地だ?」「南西って言っても広いじゃないの、どこよ」「近くに大きな川がある領地だ」「絞りきれないわよ」と、まるで人同士のように喋っていたのだ。なるほど確かに神獣だ、人の言葉を理解し、喋ることができるのだ。親友にその話をしたが、馬の世話で疲れてるんだと笑われてしまったし、俺もその日以外に聞いたことはない。確かに疲れていたのかもと思いつつ、以来「ヴァレン」様を見かけたときはついつい挨拶をするようになってしまっていたのだが……。
そのロザリア様が婚約破棄され、ヴァレン様はいなくなってしまった。後ろから聞こえてくる声をよそに、はあ……、と溜息をついた。
ロザリア様はいつも明るいし、俺にも挨拶をしてくれるし、口の悪い親友が仲良しなくらいだからいい人なんだろうし、コネでロザリア様の馬の番になれたらいいなと思うくらいには、正直結構好きだった。そのロザリア様もヴァレン様も出て行ったと知ったときはショックだったし、なんだか日々に張り合いを感じなくなってしまった。
しかも、最近は少し馬の機嫌も悪いのだ。原因はエサの質が少し落ちたからで、冬がやってきて仕方のないものもあるのだが、例年そう機嫌が悪かっただろうかと首を傾げている。
なんだか妙な感じがするのだが、なにがおかしいのか、俺にはよく分からない。




