第十二話 「反吐が出る。」
【平和の伝道師 綛谷蓮大】
その日俺はキャラメル街の旅籠屋に泊まっていた。とある連中に呼び出されていた為だ。
鞄を下ろし、白のロングコートをハンガーに掛け、白のジャケットを椅子の背もたれに掛け、広縁、窓際の沈み心地の良い椅子にそのまま背を預け、煙草に火を付ける。やけに月が高い。灰が半分程落ちた所で、隣の団体用の部屋に泊まっている部下が扉をノックした。
「入れ」
「失礼します。若頭、客が到着したそうです。」
「そうか、すぐ行く。待たせておけ。」
「はっ!」
ついて早々、旅疲れもある。出来ればもう一本吸いたかったが、余り待たせておけ嫌な印象を与えるのも後々面倒だ。
「それでは失礼します。」
「おい、粗相はするなよ。取り巻きの貴族はまだしも、ヤクソンはあの天子爵だ。何かあればお前の一族路頭に迷うと思え。」
部下を呼び止め念を押す。ジャケットを羽織り直し、タバコの火を揉み消す。
「…、わかりましたッ!」
部屋を眺めて、特に何があるわけでもないが辺りを確認しておく。
「ったく、わかってんだろうなアイツ…」
最近入ったその男は時々連絡ミスをしたり、抜けた所がある奴だった。
「酷いなぁ…、僕そんなに恐ろしくないよ?」
「!?ヤクソンさん!!」
三階建ての泊まっていた部屋の横幅一杯に取りつけられた窓が知らぬ間に開け放たれ、その窓のフレームにもたれかかる怪しげな男。
シルクハットに黒のパンツから伸びる白い靴下が高そうな革靴にまた隠れる。キザにステッキを構え、ジャケットにあしらわれた細やかなスパンコールが月の光と銀に弾けている。
「久しぶりだね、蓮大君。いや、今は【マート組】の若頭なんだっけ?パクリカの隣で怯えたようにしてた頃から随分見違えたじゃないか!」
「ご無沙汰です。あの、さっきのはあくまで部下に失礼がないよう念を…」
「皆まで言わなくてもわかってるよ、それより皆お腹減ってるらしくて、ご飯まだなら下で一緒にどうだい?」
今回の話は確か人に知られちゃ不味いんじゃ…、まぁいいか。断るわけにもいかない。
「勿論、ご一緒させていただきます。」
そうして旅籠屋の食堂まで彼の隣を歩く。
食堂は趣味の悪いババアが監修したような、白地のレースとピンクのバラが部屋一面を覆い尽くしていた。
天井の安っぽいガラスのシャンデリアがなんとも気色悪い。
「おやおや、御二人がご到着なさいましたぞ」
「あら、相変わらず素敵な御召物ですのね、ヤクソン天子爵。」
レクソンは飄々と褒め言葉をまるで母親のシルクのハンカチーフを子供が振り回して風を切って遊ぶように受け流しては、
彼らの自尊心を吹き飛ばしてしまわない様に褒め返す。
口々に俺の隣に立つ男を褒めそやすこの下卑た貴族連中を見て、完全に食欲は失せた。
「さぁさ、若頭殿もお座りなされ。ヤクソン天子爵はこちらへどうぞ。」
「ううん、僕はここにするよ。ありがとう。」
周りの出世ゲームの親決めを辞退し、隣に座る天子爵ヤクソンはなんだか気味が悪い。
「ここのシェフは何でもワイラトルで修行なさったそうで―」
「あのスカイミシュランで二つ星の評価を受けた事もあるらしいですぞ―」
「あら、それは楽しみですわね。ワタクシも以前夫とワイラトルに出かけた時には向こうのオカルト級ワインを頂いたのですが―」
反吐が出る。
「ヤクソン天子爵様、ようこそお越しくださいました。他の皆様もご用意が整ったようですので、本日のワイン『』を開けさせていただきます。」
シェフ自らしゃしゃり出てくると、右手を高く上げ、人差し指を立てる。
魔素がそこからチラチラとふり、高そうなワインの封を切り、留め金をスピンさせ外し、それからナプキンがテーブルからふわふわと覆いかぶさって音もなく栓が抜ける。
仰々しいし、わざとらしい。「「「おぉー」」」と手を叩く貴族連中もまた。
テイスティングはヤクソン。大きなワイングラスの中、液体は静かに纏まって飛沫を閉じ込めたまま廻る。
グラスの中に広がる香りを鼻に近づけ楽しむと、ヤクソンは「いいね。」と一言だけ言った。
感想のゲロを期待していたであろう貴族連中は少し面食らったように僅かの間固まって、それからすぐに互いの顔を見合わせ、嬉しそうにはしゃぎだす。まるでヤクソンのその一言の意味をようやく理解しましたとでも言わんばかりに。反吐が出る。
「お待たせ致しました。本日は新鮮な白オークトリュフをふんだんにあしらった…」
しばらくして料理が運ばれだす。前菜、副菜、主菜、ちまちまちまちま小出しにしやがって、フレンチやイタリアンの満漢全席があるのなら俺はそのほうが断然いいと思う。
「それで万事は予定通り進んで居るんだろうねクチャクチャ?」
「クチャもちろんですわ、セルジオのスケジュールも確認して…クチャクチャクチャ」
「クチャクチャ俺の部下が今監視に回っている。自警団の長にも話は通してある。クチャクチャ」
「それにしても柔らかいお肉クチャクチャ、流石はスカイミシュランのシェフクチャクチャですわね…」
貴族には食べてる最中に黙る習慣はない。その汚らしささえ、奴等の見下す俺達には有難がるべきものだと言わんばかり。
酒池肉林、傲慢吝嗇に自分達の時間だけは贅をこらさなければ気がすまない。その為にいかなる犠牲が払われていようと。反吐が出る。
俺はこんな奴等と一緒に飯なんか食えるかと、丁重に料理を断った。後で自室に運ばせよう。
ワインだけを片手に時間を潰す。
「おや、ヤクソン天子爵、お召し上がりになられないのですか?このキャビアのビシソワーズは絶品ですぞ?」
「うん、夜の食事を少し控えてるんだ。」
「そうですか、それは勿体ない…」
「レクソン様はあなたと違ってお肌や健康を第一に考えらしているのですわよ、私にはわかります!そうですよねレクソン様?」
「うん、まぁそんなところかな?」
「成る程、いやはやこれは痛いところを突かれました…、私なんぞもう腹が出て来て…」
「私も見習わなければなりませんのに…。ここのご飯ったらヘルシーと謳う割には脂が濃すぎて…オホホホ」
「全くだ!クチャクチャ、今巷ではヴィーガンが流行ってると聞くがな、だがあれはあれでクチャクチャ味付けのトンチキぶりが問題だ…」
「クチャクチャそれでもこうも脂っこいのよりはマシでしょう?ガハハハ俺はこの前ミルクキャラメル通りにある…クチャクチャ」
ヤクソンが食べないと見るや否や今度は手のひら返し自分達の食べてる飯を酷評しだし、あまつさえここぞとばかりに嫌いな野菜なんかを弾き飛ばし床に落としだす。コイツラが自分達の讒言の言霊に呪われて早死にすることを祈ろう。
ヤクソンは辟易した俺を見ながらワイングラスを掲げウインクをしてみせる。何のつもりだ?
「あの、それで今回俺はなんで呼ばれたんでしょうか?」
耐え難い貴族共の食事が一段落した所で俺は切り出した。
「うむ、まぁ、そう急ぐな。全く最近の若いものは物事を味わうという事を知らん、俺たちが若い頃は…」
クソ面倒くさい話が始まる。ワインを手酌で注ぎながら男は葉巻に火を付けダラダラと時間を浪費させていく。
ヤクソンは飄々とシェフにデザートのアイスチーズケーキを注文しているところだった。
「…それで我々は、まぁこの先祖代々続く土地を我々自身で守り、統治していくことを決めたわけだが…、そうなるとだな空伯爵という頭の硬い目の上のたんこぶが少し邪魔でな…」
「少し言い過ぎでは?あれでも第三天位、滅多な事は言えませんわよ。」
「ふん!知った事か、お前だって腹の底では疎ましく思って居るだろうが!
それにどのみちあいつには死んでもらうつもりだ。死人に口なし、恐れることは無い。」
成る程、それで俺等を使おうって話か。まぁ、金払いさえ良けりゃ大抵の事はウチはやる。
それに貴族とのコネはあの方もこの先の未来で使えると仰っていた。
「だが、ここからが大事だ。」
貴族たちは一斉に暗くなったテラス席とを仕切るガラス戸の夜の闇を背負い、口元の歪んだ笑みを湛えた。
「空伯爵セルジオ家が持つキャラメル街とモモノタレ区の間の土地の利権書と、区画整理の際に天議会に提出された魔法案合意書を持ってこい。」
声を潜め、ニヤリと貴族共は笑う。ニヤつく。目障りな人間の失脚か楽しみで待ち切れないように、自分達の地位と名誉が包装されて目の前にあるのを今か今かと開ける気分で、子供のままの手に負えない大人が笑う。
「そしてこの事を知るものは一人もこの世に居なくなる…、意味は分かるな?」
こいつらも殺してしまおうか。
やがて「それでは失礼します。」と恭しくヤクソンに頭を下げ貴族共はその闇の中へ帰っていった。
俺はようやく解放された気持ちでシェフに軽い夜食を注文し、同時に自分も同じデザートを頼むか悩んで、バニラアイスクリームを頼んだ。
「お疲れ様。」
「いえ、仕事ですから。」
ヤクソンはアイスチーズケーキを食べ終え、小気味よく純銀の小さなデザートフォークがボウルの中にカランとなる。
満足気にテーブルから顔を話、背もたれに胃を広げるように体を伸ばし、天を仰ぐ。
それはまるで何かの舞台の一幕で、先のカトラリーの立てた音はその芝居が始まる合図のように周りの注意を惹く。
ちらほらといた客が一斉に席を立つ。
受付も、少し後ろにいた家族らしき客も、厨房の音も、店内にかかっていたBGMもピタリとやんで、静寂が訪れる。
「袞竜の袖に隠れるという言葉があるらしけれど、今回は日本のヤクザの竜の彫物に隠れるって所かな?
まぁ、あの貴族連中の事はそれとして、実は僕からも君にお願いがあってね…」
「…、なんでしょうか?」
嫌な緊張感が脇の冷や汗になって横脇を通っていく…
「そんなに強張らなくてもいいんだよ。単に君とは静かにお話がしたかっただけだから。食事中にマナーもないうるさいのがあんまり好きじゃなくてね。それで、お願いというのなんだけれど、さっきでた空伯爵セルジオ家が所有しているとされる一枚の紙切れも探し出して手に入れてきてほしいんだ。」
「一枚の紙切れ?」
「そう。『ヨワネノ不協和音書』と呼ばれる魔導書の一ページだよ。聞いたことあるかな?」
記憶を辿る。確かにあの方もその名前を口にしていたような。
「とにかく、よろしく頼むよ。さて、僕もそろそろ荷支度するかな」
「ここには長居されないんですか?」
「素敵な街だけどね、さすがに一緒に焼け死ぬのはごめんかな!」
「…!?(焼け死ぬ?)」
「あれ?ダミーに聞いてないかい?このキャラメル街のある丘一帯は全て焼き払うんだよ。」
「それは…、この街には一応一万人規模で住民が、それにさっきの貴族たちだって…」
「shhhhhh..., I know.., that genocide of the flame even hurts my heart too. but ...they won't give up their little sanctuary unless...
(しーっ…、わかるよ、僕も皆殺しには反対したんだけど、ほら彼等この街の自衛権を諦める気はないし…)」
冷や汗が流れる。これまでもあの方の暴虐非道は何度も目にしてきたが、まさか街ごと焼き払うなんて…
「なんでですか?」
その答えが如何なるものであろうとも、焼き滅ぼすといえばあの方は焼き滅ぼすだろう。無辜の何も知らない人々から乳飲み子に至るまで。
「特に理由は無いそうだよ?」
…。イカれてやがる…。
「まぁ、一応この街の先にある〘死の峡谷〙までインフラ整備のつもりではあるんだけど、凱旋パーティーくらいにしか思ってないんじゃないかなー…、彼。まぁ、他にも今回の件で―」
その後にヤクソン天子爵が何か色々言っていたような気もするが、耳に入ってこなかった。