after story ふれやふれ あめにあられは 口開けて 母を呼ぶこゑ 甘くつつみて
気を失い、女神の膝の上に横たわる少年エイダム。
甘い新雪のふわりと乗った髪を優しくかき分け、それでも女神は彼の背負った非業な運命を憂いていた。
少年エイダムが握る魔剣プログラムはやがて辺りに光粒子を弾き飛ばし、辺りをどこかの部屋にプログラムしていく。
そこは魔王城の一室にある大きな書斎、『魔王コウテイ』はそこにいることがほとんどだった。
大型の転移魔法陣や、大量の魔物を召喚する召喚魔法陣は作るだけでも相当な労力を要する。
ひとまず作ってみました、けど不備があって失敗しましたでは許されない代物だった。人手も、いや魔手も労力も、生贄も無駄にはできない。
なにせ歴代最強と謳われる勇者一行が自分達の計画を阻止しようと企んでいるらしいからだ。
『魔王コウテイ』にとっては自分達を連ねる【『カミノウエ』】の思惑など知ったことではなかったが、まるで子供の遊びに付き合うかのような彼らの計画と思想に自分も協力することにしたのである。
そしてその為には勇者一行を迎え撃ち、確実に仕留めなくてはならない。
だから彼は今日も書斎にこもりっきりであれこれと魔法陣の設計書をチェックしたり、書き直したり。
その合間にコーヒーを沸かすのは彼の唯一の安らぎの時間でもあった。
『魔王コウテイ』は丁度コーヒーを淹れ終え、部屋に戻ってくる。
扉/キイッガチャ。
「おっと、すまない…、来てるとは知らなかった…。ようやく寝ついたところか?」
書斎の窓際に置かれた腰掛け椅子に女神に抱きかかえられ眠る少年エイダムを見つめる『魔王コウテイ』
「相変わらず紙束に埋もれて不健康そうな面ね。」
「抱っこ変わろうか?」という魔王コウテイ、だが女神はまだエイダムを明け渡す気はなさそうだ。
魔王コウテイは少し苦笑して、二人を見つめながら、それで窓の方を少し向いてすっかり堕ちた日を隠す異世界を眺め下ろす。
女神は少年エイダムの髪をまたかきわけながら悄然としない想いを持て余していた。
世界の業をあなたは一人で背負ってしまいました。
けれど私は自分の原罪が赦されるよりもあなたに幸せになってほしかった。
貴方を抱きとめたのは、進み続ける光明の中…
【どこにでもいるクリスマス前の子煩悩な父】
今年で40過ぎになる桐下家鈴は市内の国立病院の一室にいた。
体に色んなチューブを差し込まれた彼の息子はなんだか嬉しそうに目を瞑っている。
ピッ、ピッ、ピッ、、、、、
心電図を示すモニターからは規則的な音が流れている。
その音はもう二年もそうしたままだった。
彼は手提げ袋からいくつかの本を取り出して息子が横たわるベッドの脇に置く。
花瓶の水を取り替え、道すがらの花屋で買った春らしいグレープヒヤシンスを二輪挿す。
そして先程置いた本とは別にノートをカバンから取り出し広げた。
中には彼が書いたオリジナルの話が書かれていた。
息子は本が好きだった。
よく自分の書斎に自分が仕事でいない合間に忍び込んでは色々な本を引っ張ってはあっちこっちに広げていた。
俺は本以外にも小物集めが趣味で、俺が仕事から返ってくると息子はそれらを棚から手にとって遊んでいた事もあった。
俺はやれやれと思いながらいつもそれを片付けて息子を部屋の外に出す。
好奇心旺盛なのは悪いことではないと思っている。
しかしある日息子は彫刻の入ったデザインナイフで自分のおでこを傷つけてしまったようだった。
きっと棚から取る時に誤って傷つけたのだろう。
家政婦を叱りつけたあと、はたと思い至った。
自分の書斎にある本もアンティークの小物もきっと息子にはつまらなかったに違いない。だから色んなものをひっくり返すように手当たり次第手にとって、しまいには棚から落ちてきたナイフで傷をつけてしまったのだと。
ちょっとした傷ですんだから良かったものの何かあってからでは遅い。
あいつが遊べる何かを買ってやらないとな。
妻は息子を産んですぐに亡くなり、俺は育児のイの字も知らぬまま全て家政婦に任せきりで今まできている。思えば絵本をまだ息子が小さい頃数冊買ってあげたきりでおもちゃなりなんなりを買い与えたことはまだ無かったはずだ。
仕事帰りにデパートに出向くとさっそく店に並んでいる変身ベルトやらなんやらとそれから一応本屋にも立ち寄って小中学生向けのシリーズ物の冒険小説なんかもいくつか買って息子に渡した。
息子は変身ベルトを最初の方こそ喜んで、それこそご飯を食べるときにもそれを身に着けていたが結局は他に買ってきた本の方に夢中になっていた。
しまいには俺が書斎で仕事の何かをしている時に部屋に来て「おとうさん、この前買ってくれた小説の続きを今度買ってもらえませんか?」とおねだりしてきたのだ。
息子がそんなふうに何かをねだるのはそれが初めてだった。
きっと俺の本好きが遺伝したのだろう。
テストでいい点が取れたらな、とそうでなくても別に買い与えるつもりでいたがそういった。
息子は大きな声で頑張ります!といって笑顔で部屋を出ていった。
息子が不慮の事故にあったのは俺が息子がねだっていた小説の続編を買って帰った日だった。
息子が病室のベッドの上で目を瞑り続けたまま、それでも心臓だけは動いているような状態になってからしばらくして息子の部屋を整理していると、机の上に縦に並べられたいくつものノートが目に入った。
中には彼が自分で書いた冒険のお話。
異世界に迷い込んだ魔法使いの仲間と一緒に魔王を倒しに行くというものだった。
読みながら息子はきっとこの魔法使いと旅をしている勇者のつもりなんだろうなと微笑ましくなってしまった。
それでも読んでいるうちにノートのページは何度もよれた。
6冊あったノートはその日のうちに読み切ってしまった。
隣にはまだ七冊のノートが空白で並んでいた。
翌日読み終わったノートを病室に持っていき色々感想を言って息子を褒めた。
息子がもし聞いていたら恥ずかしがるかもしれないと思ったが実際よくかけていたのだ。
俺ならこの時こうするな、ああするななど色々自分のアイデアも言った。
それからまた数日して今度は別の冒険ものの小説を持ってくとは別に俺が自分で物語を書いたノートも持っていって読んで聞かせた。
息子に退屈だとも思われたくなかったので物語の内容は息子が書いた物語に出てくる魔王の話。
大きな病院の個室の中には物語を息子に読みきかせる男の声と電子音だけが響いていた。
【羊使いの勇者 エイダム】
額にある大きな縦に伸びる一筋の傷はある時自分でつけた。
色んなアンティークの小物収集が趣味のお父さんがどこからか集めてきたそれらの小物を大事そうに並べている棚はお父さんの書斎にあった。
ある日お父さんが仕事で出かけたのを見計らってその書斎にこっそり忍び込み、棚に並べられていた大層な彫刻の施された短剣を引き抜き額を縦に斬ったのだ。
血がどくどくと流れて、それはとても痛かったけれど、僕はそれがさらにパカッと開いて大きな目が覗かせるのをいまかいまかと待ちわびていた。
帰ってきたお父さんは大慌てで僕のその様子を見ると応急処置をして、なんだか失望したような目で僕を見ながらもうこういう事はしてはいけないよと言った。
僕はお父さんが買ってくれた絵本の中に出てくるピンチになると額の目を開いて敵をやっつけるとても格好いい竜の戦士ではなかったらしい。
それでも僕は諦めない。
お父さんがどういう風の吹き回しか新しく買ってくれた字が沢山の本の中に今度は戦士とはもう一人別にかっこよく敵と戦う魔法使いというのがいたのだ!
その本にはまだ難しくて読めない単語も沢山あったけど、僕はこれだ!と思った。
お父さんは僕が書斎に入るといつも少し不機嫌そうにするけれど、それでもボクが次学校のテストでいい点を取れたらその小説の続きを買ってくれると約束してくれた。
背伸びをしてもまだ届かない書斎の本棚の一番上
お父さんが隠した秘密を暴くんだ
「木」の柱に付けた背の高さの「横一文字の傷」が段々上に登るにつれて
その魔法の「本」はきっと姿を現す
僕はそう信じていた。
胸の前で両手を合掌させ、身体中を奇妙にくねらせるエイダムは大きく息を吸い込み詠唱を始める。未だ幼さの残るその目は閉じられ、代わりに額についた傷が開きそこから猫のような鋭い線が真ん中に入った禍々しい眼がじっと覗いている。
魔闘気、死の円舞
覚悟!!!!!!!!!!!
一閃、右腕で魔剣を振り下ろす
一閃、左手に持ち替え振り上げる、右手の魔氷弾
一閃、両手で大袈裟、魔剣には先の右手の魔力が伝い氷属性付与がされる
一閃、一閃、一閃、一閃、一閃、一閃―
どの一撃も魔王コウテイに掠ることも、ましてダメージを与えることもなかった。
それでも攻撃の手を休めることはできない。
エイダムの雄猛な声が に響き渡る。
「はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
「うぉおおぉぉぉぉおおぉぉぉぉぉ!!!!!」
同じ様に落ち着いた低い魔王コウテイの声もまた。
ミリ単位の計算。
敵の剣の軌道を正確に読み、最も無駄ない動きでその真隣すれすれに身を置いてそれを躱す。
常にカウンターの挙動を見せ相手の警戒を緩めさせず、精神的に追い詰める。
カウンターを意識して攻撃に百は触れない、防御と8:2位に調整するだろう。
魔王コウテイの読みはしかしハズレていた。
エイダムは全身全霊の一撃を繰り出し続けている。
そのさまはまさに攻撃は最大の防御といわんばかりの狂奔とした勢いで、しかしそれ故に魔王コウテイでさえ満足にカウンターを放てるほどの余裕は持てなかった。
魔王コウテイは自身に光の防御魔法をかけた!
魔王コウテイは手加減しない様子だ!
眼の前にいるエイダムがこの世で一番強い氷雪系最強の魔法使いだと知っているからだ。
何重にも重ねられた分厚い光の紙束のようなその防御魔法が放つ光熱、生半可な魔法では近づいただけで塵になるだろう。
コウテイがその手にした杖を振ると同時に、宇宙が星の地表まで降りてくる。
完全絶対零度、分子のほんの僅かでさえも揺らぎを赦さず、故にエイダムの魔剣ナノグラムの一振りも時間を越えることはできない。
「氷雪魔法、時間魔法、自分だけが扱えるものと思っていたか?」
どちらからともなく動き始めた。
エイダムはテンポよく剣を振るう。
アイスブレット!
魔氷弾!
アイスバーグキャノン!
魔氷塊!!
アイシクルランス!
魔氷柱!
光熱線網!
ホーリーシールド!
聖氷解!
ホーリーベイポライゼイション!
射光防弾壁!
ホーリーフリーズプルーフ!
だからこそエイダムは自身の魔力をすべて練り上げこの一撃にかける。
魔王コウテイを初めて目の前にして、すでに自分との圧倒的な力の差を感じていたエイダムであったが、自分が引けば仲間を見殺しにすることになる。
「差し違えてでも。」そんな言葉が彼の脳裏をよぎった。
相対する魔王コウテイは余裕の笑みを浮かべている。
〚薄氷を〛
凍てつくエイダムの心情ままに辺り一面の気温がぐっと下がり、彼の立っている湖畔の水が静かに白く凍っていく。
魔王コウテイの反重力に押しつぶされ、彼の足元の周りは所々青く光っているようにも見える。
〚踏めばかぐわし〛
突風とともに雹が舞い始め、それに煽られた湖畔の周りの針葉樹の枝がパキンっパキンっと折れた。
〚ムスカリの〛
いくつもの魔力のこもった氷のつららが放たれる。そのつららは魔王コウテイの防御魔法を貫き彼に幾ばくかのダメージを与える。
しかし魔王コウテイは怯まない。
〚とくらむうちに〛
エイダムは両手を何かを持ち上げるように上に上げる。
魔王コウテイの足元に亀裂が入り半径数十メートル、高さ100メートルほどの氷柱が彼を左右から押しつぶしながら天高く伸びる。
〚みずの掬びし〛
夜の帳が辺り一面を覆うようにして下りている。
暗い夜の中せっかく顔を覗かせている星の光はしかし、吹雪にこの星の大地を照らすまでの道を阻まれていた。
エイダムはすべての魔力を使い切りその場に肩膝をついた。
やがて氷の柱はバラバラと音を立てて崩れ、吹雪はやみ、もう粉雪がはらはらと舞うだけになっていた。
魔王コウテイは立っていた。
左の肩から先を凍傷で失い、片足を氷漬けにされてもなお、それでも一歩ずつこちらに近寄ってくる。
足取りはおぼつかなく、魔力も殆ど残っていないがそれでもとどめを刺しに。
エイダムにはそれを防ぐすべもまして反撃する力も残っていなかった。
気力で剣に掴まり満身創痍で辛うじて立ち上がりコウテイを睨みつける。
魔王コウテイはエイダムの眼の前で立ち止まった。
「知らない間に、知らないところで大きくなったんだな。お前を心から誇らしく思うよ。」
そう言って魔王コウテイはエイダムの頭をぽんっと撫でて彼の隣に天を仰ぐように倒れた。
エイダムには何がなんだか訳がわからなかったが、それでもその手のひらの感触が頭の上にずっと残っていた。
二人の顔の上にわずかばかり乗っかる粉雪はやがて春を告げる温かな日差しによって涙のように流れた。