第二十五話 【水鏡持ちの魔術師 ミオナ・サラ・オジマン】
どうして私がこんな目に合わなきゃいけなかったの…
色んな嫌なことがあって、その人生から怖くて怖くて、出してはいけない勇気を出してようやく逃げて迷い込んだ先は異世界。
束の間の夢のような時間。
ラノベの異世界モノまんまの魔法が息する空気の中に漂うそんな世界。
最初の訓練期間と呼ばれた半年間は本当に夢でしかなかった。
初めて出会った同期の彼らは皆優しくて、
ただただバカなやつもいたけど、
凄く陽気で、自分にも分け隔てなく接してくれて、
自分は根が暗いからそういう雰囲気を知らない間に引け目に感じたこともあったけれど、
それでも皆受け入れてくれて。
何回か魔物と対峙したときも初めは確かに怖かったけど、何回か演習を重ねるうちに自分でも
あ、この調子でやれるなら行けるかなって
そう思ってた。
けれど、さっき王立病院のベッドの上で、顔中を包帯で巻かれて目覚めた時に、気を失う前の記憶が蘇ってきて、顔の痛みでその顔を覆うことも、泣くこともできない今、私はこの世界でやっていける自信なんかはとうに無くしていて、どうにかしてこの【召喚勇者一行】という役から逃れたい一心でいた。
あの赤いピエロに襲われ、顔面を何度も蹴飛ばされて、一番成績の優秀だった泰晴やウーメルも手も足も出なかったときのことが今でも脳裏にこびりついて、現実から逃れたいと目をつむるたびに瞼の裏に浮かぶ。
あの笑み、笑い声、自分達の命を翫べる程の魔力…。
体が強張って、
心臓が握りつぶされて吐き気が出て、
最終的には顔に走る痛みも構わず何度も吐いては看護婦の人に包帯を変えてもらった。
申し訳ない気持ちと、
どうしようもない私をどうにかして救ってほしいという気持ち、
でもどうせどうにもできないという諦めの気持ちがぐるぐるぐるぐる回って、
自己嫌悪に逃れているときが一番気分がマシにさえ思えてきてしまう。
体に打たれた点滴の針が細すぎて、手首の動脈とか人体構造に対してなんの知識もない私じゃ|カッターナイフみたいにはな《﹅》んの使い道も見つけられないことだけは冷静な頭でわかった。
私が目を覚ましたのはあの出来事から2日後、ガネリオさんとジェシーちゃんは同じくらいに集中治療室から天王山を無事越えたものの今も意識を取り戻さず面会も謝絶となっている。
隣のベッドで両足を心臓部より高く上げて寝ている泰晴君の寝息だけが唯一私の心の不安を少し和らげてくれていた。
ウーメル君とカナちゃんはどちらも比較的軽症で済んだのでコンドーで自宅治療を受けているらしい。
それらの状況を詳しい事情を聞きに来た【KUPDOG】の人達に聞いた。
それから他にもワッキー、ケントが来たけれど、皆正直なんて言って良いのか分かんない様子で気不味そうにしていた。
由貴ちゃんの行方は未だに分からないままらしい…
せっかくお見舞いに来てくれたのにやはり申し訳無く思って、
なんとか明るく振る舞おうとするけれど、
すんでのところで言葉が詰まって、
勝手に皆がりんごを切ったりしてくれてるのをボーっと眺めてるのが一番楽だった。
今はただ脳のスイッチを切らしてほしい。正直な所そう思った。
私の脳が動くと脳裏にこびりついて離れない何かが再生する。
それが余りにも怖くて怖くて、まるで一本道を後ろから車に追いかけられながら走り続けてるみたいで、「停まればまた轢かれる」という一度轢かれた痛みと恐怖のトラウマが私を廃人のように脳の働かない何かに変えてしまった。
彼らがお見舞いに着た後に、泰晴君が目を覚まして、それから最初に私の方を見て「ごめん。」となによりも最初に謝ってくれた時になぜだか私はまた泣いていた。
彼は何も悪くない。
彼はその後すぐにまた眠ってしまった。
盗み聞いた医者の話では肋骨が何本も折れて、内臓が破れていたらしい。
それでも彼は(多分気を利かして)一週間してからお見舞いに来てくれた人達にあれこれ指示を出してあの赤ピエロの情報を集めようとしていた。
彼がその話の最中パクリカという名前を出すたび、フラッシュバックする記憶に急き立てられて「やめて、もうあの事の話をしないで!!!!!」と叫びだしたくなる気持ちを一生懸命に抑えた。
彼だって私以上にあいつに痛めつけられて、それでもなお皆の分も復讐を遂げようとしてくれているのが伝わったから。
名前を聞くたびに身体中震えるのがわかった。
数日立って、彼は誰かがお見舞いに人が来るとメモを渡すようになった。
恐らく私がトラウマになっているのに気付いたんだ。
話に耳を塞ぎたくて、けれど塞げないのを気付いたんだ。
お見舞いに来てくれた人達とは明るい話しかしなくなった。
どこのパン屋が美味しかったとか、それをお見舞いに持って来いよ気が利かねぇなとか、ちょっと漫談みたくしてるフシもある。
私は何も言ってないのに。話を聞かせないように使っているメモのことだって私が盗み見てなければバレなかっただろうに。
ある夜、悪夢で飛び起きて訳のわからない叫びを冷や汗と共に辺りに投げつけていた私にナースコールを押して、看護師が来るまで何も言わず泰晴君は優しく手を握ってくれていた。
彼は翌日両手足の包帯を取り替えていた、2日おきの包帯は私が夜うなされて喚いた他の日の朝にも取り替えていた。
一週間が経って、二週間が経って今度は王国の人達が現れた。
より詳しい話を聴きたいとのことだったが、私は話せるものは全部話してしまっていたし、何よりもう何も思い出したくもなかった。
私の代わりに泰晴君があの日のことを細かく何度も説明し直していた。
王国の人は不満げな表情のまま、また来ると言って帰っていった。
王国の人達が次に姿を見せた時には彼らはこんな事を言った。
その顔ぶれは以前来た人達とは全く違う人達だった。
「君はこの共和王国に召喚されたのだから、国王の為にその忠義を尽くしてもらわねば困る。治療保険だって馬鹿にならないんだから。」
「それにこれは君のためでもあるんだよ、君を襲った奴を倒せば莫大な懸賞金が手に入る。保険だけでは賄えきれない治療費を返すにはうってつけじゃないか?」
「大丈夫、腕利きの冒険者パーティに入れてもらえないか私が口を利いておいてやる。知り合いがいてね―」
私はまたあのフィールドに帰ってモンスターと戦えるのだろうか?
全治半年、それでも目立った外傷が残るかどうかはまだわかりかねると沈鬱な表情をしながら医者には説明された。
二週間経った頃からは心理カウンセラーの人が二人連れでやってきて、私のベッドの隣に丸椅子をおいて色々と話をした。一人はクリップボードに私との会話を書き込んでいる。
「まずはこんな事になってしまって本当にごめんなさい。貴方の心の傷はとても深くて、きっと今は無理に話せなくても、心の中に溜まってるもの、私達に話したいことがあったら何でも言ってちょうだいね?」
「はい…。」
「それで、いくつか貴方に質問したい事があるのだけれど話せそうかしら?」
「…大丈夫です。」
「もし話すのが途中で嫌になったり、辛くなったりしたら無理に話さなくてもいいからね?
じゃあまずは―」
そう言って私は、
花は好きか、
お風呂は好きか、
休日リラックスしようと思った時に一番何をすることが多いか、
あの事件のことを思い出したり、夢に見ることはあるか。
今死にたいほど辛いと思ったりしていないか。
前の世界に今会いたいと思う人はいるか、
いるならその人との関係はどんなものか。
今後冒険者に復帰するつもりはあるか…、等いくつかの質問を受けてそれに答える。
ベッドの転落防止用の柵がまるで白の鉄格子のように見えた。
向こう側とこちら側でなんだか全然生きている世界が違う、そんな風に思えてならなかった。
別にこの二人のカウンセラーの人が悪い訳じゃない。
けれど、そこにいれたらどれだけ安心して今日眠れるのだろうと考えると心はモヤモヤしたままだ。
きっともしこんな状況じゃなかったら、獣人族と妖精族のスーツにメガネを着こなしたカウンセラーには心を踊らせていたはずなのに。
彼らは二週間後にまた来ると言って帰っていった。
なぜだか疲れて、四十五度にしたベッドにどっと背中を持たれかけさせる。
淡々とうんとかはいとかで答えてあっという間だった私のカウンセリングよりも翌日の泰晴君のカウンセリング時間は短かった。




