第86話 彼女の家庭事情
意図せずして、ルーアの家庭事情を聞くことになってしまった。しかし、ルーアは明るく振る舞っている。
ならばこちらも、気遣いを見せれば逆に失礼というものだろう。
達志が変に萎縮していないのを確認してから、ルーアは続ける。
「当時、私は風邪で寝込んでいたんです。ちょうどその頃、インフルエンザが流行ってて見事に貰っちゃいましてね。いやあ、辛いなんてもんじゃないですねあれ。
……で、一人両親の帰りを待っていたわけです」
インフルエンザなんて病気、元いた世界にはなかったもんなあ……と笑うルーアであったが、当時を思い出しているのか。
その表情はどこか、懐かしんでいるようにすら感じる。
「わざわざ仕事を休んで、私の体が良くなるように、たっくさんいろいろ買ってくると息巻いて出掛けた二人を、私は待ってたんです。
……でも、いつまで経っても、二人は帰ってきませんでした」
風邪で寝込み、出掛けた両親の帰りを待つ……それはどれほど心細かったであろうか。達志も風邪で寝込んだことくらいはある。
風邪になると人恋しくなってしまうものだし、その気持ちがわからないほどではない。
二年前と言えば、彼女は中学生……心細かっただろう。
「しばらくして、変な人から連絡があって、両親に不幸があったと……
いやはや、今思えばそんな詐欺の手口みたいなもの、風邪で弱ってたとはいえ早々に信じるなんて、迂闊にもほどがありますよ」
油断しました、と軽く微笑むルーアに、やはりかける言葉が見つからない。おそらく、当時は頭がごちゃごちゃになっていたに違いない。
平常時だって、両親に不幸があったと聞かされれば、どうなってしいまうかわからない。
そんな達志の様子を気にすることなく、さらにルーアは続ける。
「当時の私は、そりゃ信じられませんでしたよ。だっていきなり、あなたの両親は死にましたーって。けど、実際に両親の遺体を見て……驚きました。
人って、あんなに白くなるものなんですね。それから一日中……いや一週間は部屋にこもって泣いてました」
風邪に追い打ちをかけるように、両親の死を突き付けられ……当時の彼女は、どれほどのダメージを負ったのだろうか。
それからまだ、二年。たった二年だ。
傷が癒えているはずもないだろうに……達志に気を遣わせないためか、本人の強さゆえか、ルーアの口調は変わらない。
「もちろん、お医者さんに泣きすがりましたよ。でも……医術は、万能ではない。魔法が取り入れられていたとはいえ、絶対ではありません。
手をかざせばさあ元通り……とはいきません。……死んだ者は生き返らない。両親は、即死だったそうです」
いかに魔法が万能に見えていても、それは見えるだけだ。達志自身、魔法が使われているこの環境下で、十年間も眠っていたのだ。
便利にはなっただろうが、それでもまだまだ問題は山積みだろう。
それに、死者を生き返らせるなんて嘘みたいな話、この現実で実際にできるはずもない。
もしも、ルーアの両親が即死でなければ、あるいは……
そう考えると、事故に遭ったが即死ではなかった達志は、運が良かったのだ。
「もー参りましたよ。ただでさえ初インフルで大変だったのに……そこに顔面にパンチでも貰った気分でしたよ。苦しいの辛いのって。
その後は、あの家に暮らし続ける選択肢もあったんですが……あそこにいると、いろいろ思い出してしまいそうで。このアパートに、越してきたんです」
年端もいかない少女にとっては、重すぎる現実。それなのに……彼女は今ここにこうしていて、クラスではバカやったりして、ムードメーカー的な存在になっている。
中二病だのなんだの言ってきたが、もしかしたらすべては、寂しさを紛らわせるためのものかもしれない。
強いんだろうなと、思う。
「……って、相づちなりなんなりしてくださいよ。でないと私、一人で語り始めた痛い奴じゃないですか」
「え、あぁ……痛い奴とは思わないけど、なんて言ったらいいか」
どんな返し方をすればいいのかわからない達志だが、ルーアはいつも通りを求めている。そんな気がする。
いつも通りって、なんだっけ。そんなことを思いながらも、小さく深呼吸をする。
「なんて言うか……いきなりこんなヘビーな話がくるとは思ってなかったからさ」
「ははは、それもそうですね。私も、こんな話をするつもりではなかったのに。すみません」
まさか初めて家に来てからの初めての話題が、こんなに重たいものになるとは思っていなかった。
ルーアも、いきなりこんな話をしてしまったことに、
少し申し訳なさを感じているらしい。
「でも……」
「うん?」
「タツになら話してもいいような、そんな気がしたんですよね。あ、話しても、って別に隠してるわけじゃないんですけどね。ただ、自分から言うこともないので、知っている人は少ないですけど」
ルーアがなにを思ってこの話をしてくれたのか。最初に親の存在に触れたのは達志ではあるが、こんなに深いところまで話してくれたのは、単なる気まぐれというだけではないらしい。
……話してもいいような、か。
「あのさ、俺もいいかな」
「えぇ、どうぞ」
「話してくれたからお返しに……ってわけでもないんだけどさ」
今のルーアの話を他人事で聞けなかったのは、彼女がクラスメイトだからでも、仲のいい友達だからでもない。
それもあるだろうが、大元の部分で……達志にも、同じような体験があるからだ。
静寂の室内に、微かに息を呑む音が聞こえる。これはルーアのものか、それとも達志自身のものか……おそらく後者だろう。
そして……
「……俺さ、妹がいたんだ」
達志は、口を開いた。これから話そうとすることを考えるだけで、口の中が渇いてしまう。




