第36話 本来交わるはずのなかった時間
リミを起こす役目を担った達志は、彼女の部屋へ。この部屋へは、これまでに何度かお邪魔したが、女の子の部屋というのは、やはり緊張するものだ。
ノックをして、返事がないため恐る恐る扉を開き、部屋に足を踏み入れる。寝ている女の子の部屋に入る……なんとも犯罪的なにおいがする。
だが、セニリアから許可は貰っているのだ。問題ない。そう、問題はない。
ベッドの上では、案の定眠ったままのリミ。すぅ、と小さな寝息を立て、とても気持ちよさそうだ。
彼女を起こさなければならないことに、若干の罪悪感を抱いてしまいそうになる。
さて、彼女を起こすためには、近づかなければならないわけだが。
広い部屋だ、声をかけるにもまだ距離が遠い。
ゆっくりと足を進め、視界にはリミの、あどけない寝顔が入ってくる。
その、かわいいようなきれいなような、無垢な表情に、ついつい見惚れていると……
「あ……!?」
リミは手を伸ばし、近くにいた達志の腕を引き……その体を、抱きしめる。突然のことに、達志の頭はパニックだ。
胸元に押し付けられる柔らかい部分や、寝ているはずのリミからほのかに香るいいにおい。
ドキドキする。
「ぅ、お、り、リミ……?」
正直この時間を永遠に味わっていたいが……そうもいかない。
彼女の体を堪能したいという、煩悩まみれの理性を抑え込み、彼女を起こすために声をかける。
しかし、その程度で起きるはずもない。
どうしようと考えるが、ふと事態は動く。今の言葉が通じたのかどうか、それはわからないが……
「……きゅっ!?」
リミの柔らかな体……自分を優しく包み込む腕。その力が急に、強くなる。
要は……いきなり抱きしめられたかと思えば、ぎゅうと締め上げられた。ものすごい力で。
それだけならば、まだいい。問題は、その力だ。
この細腕の、どこからそんな力が出ているんだと、聞きたくなるほどに凄まじい力だ。
ボキバキ、と、背骨あたりから聞こえてはいけない音が聞こえている気がする。
身を捻り、もがき、ようやく抜け出したかと思えば……
今度は、腹に二発拳を打ちこまれる。
「かっ、はぁ……!」
このまま、眠っているリミにヤラれる……そんな思いが頭をよぎる。しかし、リミの動きはそれまでだった。
その後、なんとかリミを起こすことに成功する。
というか、勝手に起きた。
「うーん……あれぇ、タツシ様ぁ、おふぁよぅごじゃいまふ……
……た、タツシ様!? どど、どうして部屋に……って、お顔が真っ青ですよ!?」
リミの寝相の悪さに悪戦苦闘しつつ、とりあえず目的を果たすことはできた。
部屋に達志がいたことに顔を赤らめ、次に達志の様子を見て顔を青ざめさせている。
寝ている間の記憶は、当然のようにないらしい。
続いて母だが、どうやらすでに起きていたらしく、達志とセニリアの絡みが面白かったのでそのまま見ていたとのこと。リミを起こしに行ってほしかった。
なんにせお、こうして、リビングには四人が揃う。
「いっただっきまーす!」
食卓につき、景気のいい声が響き渡くと、目の前のカツ丼を食す。
朝からこんな重いもの、胃が受け付けないかと思ったが……そんなことはなかった。
むしろすいすい、口の中に入っていくのだ。
「うんめぇー!」
「それはよかったです」
ただ食べ切るだけでなくおかわりまでして、達志は食事を終える。
その間セニリアは、自分の作った料理を美味しそうに食べ切ってくれた達志に満足げに。リミは、豪快な食事を行う達志にうっとりと。みなえは、よく食べる息子に微笑ましげな表情を。
それぞれが笑顔を浮かべていた。
……食事を終え、あれだけの量にも関わらず腹八分目をキープ出来た達志は、休憩がてらテレビをつける。相変わらず馬鹿でかいテレビで、まるで映画を見ているようだ。
少しの間それを堪能し、時計を見る。いい頃合いの時間になっているのを、確認。
「そろそろ、かな」
「はい、タツシ様!」
登校するにはそろそろだろう。嬉しそうなリミは、達志と一緒に登校出来るというのを、今か今かと心待ちにしているようだ。耳が忙しなく動いている。
今気づいたが、同じ学校に同じ家から登校するのだから、達志とリミは一緒に登校することになる。
こんな美少女となど、少し気恥ずかしいものだ。
十年……達志にとって、事故の原因となった少女と。リミにとって、命を救ってくれた恩人と。
交わるはずのない時間が交錯し、二人は一緒に登校し、一緒の学校に通い、一緒の学年になる。本来ありえなかった時間が、今ここにあるのだ。
母とセニリアが、見送りのために玄関まで来てくれている。登校だけで大袈裟だな、と苦笑いしたくなる。
「気をつけてね。緊張しないようしっかりね。ハンカチ持った? ティッシュ持った? お弁当は?」
息子にとっては、数日ぶり。母にとっては、十年ぶりの登校。
こうして不安になるのも、仕方ないだろう。
「小学生か! ……だーいじょうぶだって。確かに不安がないわけじゃないけど……大半は今朝、気遣い上手のお世話焼きのおかげで解消出来たし。リミも一緒だからさ」
今朝の、さよなとの電話を思い出す。彼女のおかげで気が楽になったし、リミだっている。彼女がいるおかげで、本来感じるはずだった不安も、だいぶ軽くなった。
こくりとうなずいて……達志は、扉へ手をかける。
そして、ドアノブを回し……扉を開いて、外へと一歩踏み出す。
それと同時に……首だけで振り返って、母へと笑顔を浮かべる。
「いってきます!」
十年前、止まってしまった時間を……再び、歩み出すかのように。




