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 唇を合わせて、無我夢中になって魔力を流し入れ続ける。相手の体内の魔力の循環を感じつつ、過剰にならないぎりぎりの線を見極めて、しかし可能な限り急いで。

「へえええ? そうくるか?」

 楽しそうに、敵の魔術師がアーシャを嘲笑うのを意識の片隅で捉える。アーシャが少年を助けようとしていることは分かっているはずだが、止める様子はない。獲物が無駄な抵抗をするのを楽しんでいるような様子だが、好都合だ。

(この子だけでも、助けなければ……!)

 必死になって魔力を与え続けたおかげか、少年は徐々に力を取り戻してきたようだった。

「……っ、おい!」

 抵抗する力が出てきたらしく、少年が抗議の声を上げる。隙間なく合わされていた唇が離れ、アーシャの視線が少年の視線とかち合った。

「……大丈夫? ちょっと火魔力を入れすぎたかしら。顔が赤いけれど……」

 やりすぎて発熱したのだろうか。アーシャが案じて覗き込むと、少年の顔がますます赤くなった。

「……っ離れろよ!」

 じたばたと抵抗する元気が出てきたようで何よりだ。もう大丈夫そうだ。命の危機は脱しただろう。

 アーシャが少年を引き留めることなく腕の力を抜いたのを見て、少年が怪訝な顔をした。あっさり離されそうになるとは予想していなかった顔だ。

 ここで彼を離してしまえば落下してしまうだろうが、回復した彼なら滅茶苦茶になった床に落ちる前に焼き払うなどして何とでもしてしまえるだろう。そのくらい、彼の潜在能力は高い。まるで底なしかと思えるような魔力貯蔵器官に魔力を流し入れ続けたアーシャには分かる。

「そろそろ限界かな?」

 二人の様子を見守っていた魔術師が楽しそうに言い、視線をアーシャの曙色の髪に向けた。

 アーシャの髪の先から火花が散り、少しずつ燃えて黒くなっていく。

 髪の次はローブが熱を纏い、アーシャの額に冷や汗ではない汗が玉になって滲んだ。

「…………!」

 少年が驚愕の視線をアーシャに向けた。

 すべての力を少年の救命に注いだアーシャには、魔力結晶から得た魔力を適切に扱う余裕など全く残っていない。余剰の火の魔力がアーシャの体を焼こうとしている。

 それだけではなかった。これまで火の魔力結晶を使って紡いできた魔術を維持しきれなくなり、炎や熱が直接的に二人に迫ってくる。

(それでも……この子だけは、大丈夫なはず……)

 少年が力を取り戻せば、炎はおそらく彼を傷つけない。力のある火魔術師は炎を自在に操り、炎を味方につける。

 彼はもう大丈夫だ。安堵したアーシャの体から力が抜ける。

「だめだ、そんな! おい! しっかりしろ!」

 少年が叫ぶが、もう体が動かない。

 魔術師は表情を愉悦に歪めた。分かっているのだ。

 アーシャはもう脅威にならないと。命が消える寸前であると。

「…………!」

 少年が声にならない叫びを上げる。

 その時だった。

「無事か、シャロット!」

(デナスさん……?)

 大柄な壮年の男性が、落ちるように空から降ってくる。声でデナスだと悟り、安堵でアーシャの体からさらに力が抜けた。外で班の指揮をとっていたはずの彼だが、どんな判断があったのかアーシャを助けに来てくれたらしい。建物を派手にぶち壊しながらやってくるのが豪快な彼らしすぎる。

「……この、子、を……」

 デナスに向かって何とか言葉を絞り出したが、そこまでだった。

「……おい!」

 自分を案じる少年の声を聞きながら、アーシャは意識を手放した。


 アーシャが目覚めたのは、己が所属する支部の敷地内にある医療棟だった。窓から見える景色でそれと分かり、アーシャは安堵と諦観とを同時に覚えながら緩慢に身を起こした。

(こういうとき、実家の誰かが迎えに来て引き取ってくれる、なんて……期待なんかしないけれど……)

 強がってはみるものの、やはり一抹の寂しさは拭えない。アーシャと同じ年頃の学院生たちは、実家が遠いなどの理由で寮に入る者も少なくないものの、やはり親に庇護されながら学院に通う者の方が多いのだ。アーシャはすでに学院を卒業しているが、実家と疎遠なのはそれが理由ではない。

(いけない、体が弱っていると気持ちも落ち込んでしまう……)

 のろのろとした動作で窓の外を見る。無機質な印象の建物群はいかにも研究施設といった趣で、今のアーシャの目には素っ気なくよそよそしく映った。

 何気なく髪に手をやり、髪が少し短くなっていることに気付く。掬ってみると毛先が切り揃えられていた。

(そういえば私、燃えかけて……って、あの子は!? 爆発はどうなったの!?)

 ようやく頭がはっきりしてきて、と同時に重要なことを思い出して、アーシャははっとして立ち上がろうとした。

「……っ、痛……」

 急に動こうとしたせいか、いや、そもそも回復しきっていないせいだろう。体のあちこちが痛みを訴え、アーシャはベッドのマットレスに手をついたまま顔をしかめた。

「おい……いや、あの。大丈夫……です、か?」

 妙にたどたどしい言葉遣いで声を掛けられ、アーシャは驚いて声の方を見た。

 黒髪の少年が椅子から立ち上がり、所在なさげにこちらを見ている。幼いながら瑕疵なく整った容貌で、深い青の瞳が美しい。アーシャは少し固まったのち、おそるおそる確かめた。

「ええと、あなたは……館にいた子、よね?」

「は? じゃなくて……はい。そう、です」

 確証が持てなかったのは、手負いの獣のようでぼろぼろだった子供の様子と、身なりを整えた今の様子があまりに違っていたからだ。孤児どころか、貴族の子弟と言われても何の違和感もない。

 いや、そんなことはどうでもいいのだ。それよりも重要なのは、

「魔力欠乏は治った? どこか痛かったり、苦しかったり、おかしいところはない?」

 確かめようと立ち上がろうとしたアーシャを慌てて制して、少年は応えた。

「! ……大丈夫、です。それよりあんた……、いや、あなたは、大丈夫です、か?」

 問われて改めて自分の体を見下ろしてみるが、あちこちが痛いだけだ。深刻な後遺症はなさそうだし、ゆっくりとであれば体を動かすこともできそうに思える。

 試しに手を握ったり開いたり、腕をゆっくり伸ばしてみたり、寝具の中で足を曲げたりしてみる。少し痛む以上のことはなさそうだ。

 そもそもアーシャは火災よりも魔術の使い過ぎで体を痛めたのだということを思い出し、魔術を問題なく使えるかどうか確かめようと、癖で懐を探ろうとした。

 しかし服には懐がついておらず、もちろん結晶が手に触れることもない。

「何やってん……です、か?」

 少年が戸惑ったように聞く。

「魔術が使えるかどうか確かめたくて。知っての通り、私には魔力がないから結晶がないと魔術が使えないの。ポケットを探るのは癖で……」

 説明しながら考えをまとめる。

「病室に魔力結晶は置いていないだろうけど、研究員の身分を出せば医療用のものを少し貰えたりしないかしら。それは領分を超えてしまうからまずいか……」

 算段するアーシャをぽかんと見つめた後、少年は吹き出した。

「あんた、本当に魔術師なんだな。根っからの」

 嫌味も何もない少年の笑いにつられて、アーシャも思わず微笑んだ。

「そうよ。私は魔術師なの」

 何の含みも何の後ろめたさもなく、アーシャはそう言った。言えることを嬉しく思った。

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