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 敵の魔術師の周りを、大きな音を立てて火花が散った。

「おやおや?」

 大きいのは音だけだ。己の身を害するにはあまりに頼りなく弱い火花を、魔術師は面白そうに笑って眺めた。その火花はローブを燃やすことも綱を燃やすこともなく、そのまま立ち消えた。

 火花は自分の手元の方から走ったように見えて、アーシャは慌てて少年を見下ろした。風魔術を使っているため彼の重さを感じないが、体が熱いのは伝わってくる。

 少年は荒い息を吐いて魔術師を睨みつけ、震える腕を上げて再び火を放とうとした。

「駄目! いま無理に魔力を使おうとしたら危ない!」

 アーシャは慌てて止めた。しかしその分、注意が疎かになり、伸びてきた綱が足に巻き付こうとするのを寸でのところで躱した。

「っ……!」

 体勢が崩れ、綱がさらに勢いを増して二人を絡め取ろうと伸びてくる。アーシャは強引に火魔術でそれらを焼き払った。

 少年が無理をしなくても大丈夫だというところを見せたくてかえってアーシャが無理をしてしまい、火結晶が一つ、手のひらの中でみるみる小さくなって溶け消えた。

(……! 使い方が雑になってしまった!)

 アーシャの手の中で起こっていることは見えていないだろうが、窮地に陥っていることはお見通しなのだろう。ローブの魔術師は嬲るように二人を追い詰めながら、挑発的な言葉を放った。

「さあ、お荷物を抱えてどこまでやれるかなあ? 己の身さえ危ういぞ?」

 アーシャに対する挑発というよりも、これは少年に対する侮辱だ。敏感に反応した少年が瞳を怒りで燃やした。

「……っ! 俺は荷物なんかじゃ……っ!」

 少年が炎を放とうとするが、苦しそうに呻いて痙攣した。

「駄目! 危ないからやめて! あなたの身が危険なの!」

 アーシャは必死になって止めた。

 少年の冷たかった手足は火傷しそうなほどに熱くなり、体内に流れる魔力が暴走していることがはっきりと分かる。この状態で魔術を行使しては彼の体が壊れかねないし、暴発の危険も大きい。

 そして、現象を見ても、魔術を使う様子から見ても、この子の魔力は明らかに火属性だ。

 アーシャの脳裏を、ちらりと火花のような考えがかすめる。

(もしかして、この爆発……この子が関係している……?)

 いま引き起こされている爆発はもしかして、魔術によって故意に起こされたものではなくて、単純な魔力の暴発がきっかけになって起こったものかもしれない。

 直接的な根拠のない考えではあるが、魔術師としてのアーシャの勘が訴えている。

 よからぬ輩に目を付けられて攫われ、貴族の邸宅で寝食を与えられたほどに、この少年は魔力を持っているのだろう。

 その少年がここまで魔力を枯渇させているのだ。彼の属性が火であることも、アーシャの推測を裏付ける。

(人として、魔術師として……この子は絶対に、守らなければ)

 それほどの魔力を持つ子供なら、いくらでも使い道はあるだろう。少年のためにも社会のためにも絶対に渡してはならない。アーシャは腕に力を込めた。

 しかし、アーシャの決意を嘲笑うかのように綱は数を増し、火の粉を振りまきながら高温の凶器となって二人に迫ってくる。館の燃焼がいよいよこの広い空間をも包囲しようとしている。

 攻撃を弾き、防ぎ、うねる炎や煙からも少年や自分を守り、空気を確保する。そのすべてを宙に浮かびながら行わなければならない。同時並行で複雑な魔術を紡ぎ続けるアーシャには、とても反撃をするどころではない。自分たちの身を守ることすら覚束ない。

 しかし守らなければならない存在がいる以上、弱音を吐くわけにはいかなかった。手持ちの魔力結晶の残りを冷徹に計算しつつ魔術を紡ぎ続けるが、不意に目の前が暗くなった。

(駄目……! ここで気を失ったら、誰がこの子を守るの……!)

 結晶よりも先に自分の方に限界が近いが、絶対に負けを認めるわけにはいかない。

(せめてこの子だけでも……でも、どうやったら逃がせる……?)

 少年はもう限界が近い。火魔術を使うどころか、意識を保つことすら厳しいだろう。

 そして、それはアーシャも同じことだった。

 普段であれば、自分以外の者を風魔術で運ぶことくらい造作もない。しかし余力がなく、魔力決勝も枯渇しかけて状況も厳しさを増す中、少年だけを逃がすことは現実的ではなかった。敵はそんなことを許しはしないだろう。

(この子に利用価値を見出しているのなら、命までは奪わないはずだけど……)

 ローブの魔術師が標的にしているのはアーシャだ。

 少年を助け出そうとしているから。この状況について魔術協会に詳細に報告されたら困るから。

 だからアーシャを見逃す選択肢は無い。だが、少年については違う。

 彼は生かされたまま、その魔力を利用されるだろう。

 それは彼のためにも社会のためにも避けたいと思っているが、彼の命と引き換えにすることではない。

 そして、彼の命だけであれば、とっくに保証されている。――自由と引き換えに。

(だけど……命だけ助かればいい? そんなこと、認められるはずがないでしょう!)

 アーシャは挑むようにローブの魔術師を見据えた。魔術師は面白がるように顎を上げ、アーシャを見返した。

 少年を救い出したい。逃がしたい。しかしそれは己の力で叶いそうにない。

 それならせめて、彼自身に魔力を譲渡しよう。少しでも抗える可能性を残すために。

 アーシャはローブの内ふところ、火結晶を入れてある場所に右手を差し入れた。

 手に触れたところから、火結晶が溶け消えていく。アーシャの体内を火の魔力が巡る。普段は術の行使のために使うそれを、アーシャはそのままの形で体の中を通らせた。

 宙に浮いたまま少年を左腕で抱える格好になっていたアーシャは、右てで彼の顔を捉え、強引に、口づけた。

「…………!? ……――――!」

 朦朧としていた少年が、はっと我に返ったように何かを言い立てようとする。だが弱り切った体に力は入らず、アーシャを押しのけることなどとてもできない。なすがままにされるだけだ。

 少年がろくに抵抗できないのをいいことに、アーシャはそのまま――彼の体へ、火属性の魔力を流し入れた。唇を介して。

 キス、要するに粘膜接触だ。魔力の受け渡しをするのに効率がよく、負担も少ない。この方法はわりと知られており、不足する魔力を渡したり、過剰な魔力を受け取ったりする医療行為として行われることもある。息を吹き込むのに要領が少し似ている。単に手などを触れ合わせるよりもずっと強力な方法だ。

 小さい子供を手籠めにするような罪悪感がないとは言えないが、今はそんなことを気にしていられる状況ではない。彼にも割り切ってもらうしかない。

「――――!? ――――!」

 自分の体に魔力が入ってきていることに、少年が何やら喚こうとしている。だが、まだ力が入らない子供の抵抗くらい何とでも封じられる。アーシャは彼にいっそう深く口づけ、火魔力を渡し続けた。

 ――アーシャにとって初めてのキスだが、そんなことを考えてはいけない。余計な思考は邪魔だ。キスが初めてということは、この方法で魔力を渡すのが初めてということなのだから。言ってしまえばぶっつけ本番だ。

 だが幸いなことに、アーシャは手の平を合わせるなどして他人の魔力を感じ取り、操作を助けることには慣れていた。その経験も少しは役に立つ。

 腕の中で少年が驚いて混乱しているのを感じつつ、アーシャは彼に魔力を流し入れ続けた。

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