お蔵入り小話「世界の破滅と小さな灯火」
大きくておっかない生き物を大きくて広い愛で受け止める小さな生き物の話が好き。
幾千年の時を経て、それは長い眠りから目を覚ました。
地中深く埋められた己の身体を地上へ出すため、全神経に力を流し、行き渡らせる。
────ドゴォッ!
いくつもの地層を破壊して、ようやく地表へと姿を現す。
雨が降っていた。とても弱々しい雨だった。
鬱陶しげに雨粒を払い除けていれば、何やら視線を感じる。
「グルルルル……」
獣のように唸り声を立ててそちらを見遣る。
気配からして、彼がこの世で最も忌み嫌う種族だと気が付いていた。
「────────」
しかしその存在を視界に入れた瞬間、息が止まった。
小さな、小さな灯火。吹けば簡単に消える、ちっぽけな生命。
ついさっきまで抱いていた嫌悪感はさっぱり無くなり、代わりに湧いてでたのは庇護欲である。
────守らねば。
掻き立てられる衝動に任せて、彼は小さな灯火へと駆け寄り、その手を伸ばしたのだった。
□ □ □
少女は腹を空かせていた。
食い扶持に困った親に捨てられ、あてもなく彷徨い続け、気が付けば邪神が封じられているという森に行き着いた。
空に瞬く星が綺麗だと思った。
(早く楽になりたいな)
痛いほどの飢餓感から、開放されたい。
少女は何日もの間、遺跡の天井穴から空を眺めて最後のときを待った。
やがて小雨が降ってきて、少女の身体は徐々に濡れて冷えていく。
ああ、寒い。まともに動かない身体を震わせて、少女は遺跡の床の上で丸くなる。生物としての本能が、まだ生きたいと駄々を捏ねている。
(はやく、しにたいなぁ)
小雨に紛れて涙が滲んで流れていった、その時だった。
────ドゴォッ!
大地が大きく揺れた。
下から何かがやって来る。
(なんだろう)
もうまともに動かない頭をもたげて、大地を裂いて現れたそれへと目を向ける。
(わぁ……)
ほう、と感嘆の息を吐く。
黒く艶のある硬そうな肌だ。あれだけ頑丈ならば、きっと長生きできるのだろう。
どうしてか、少女は嬉しくなった。
(お腹すいてないかな。わたしのこと、食べてくれないかな)
もしかしたら、あの黒くて大きい生き物が邪神様なのかもしれない。
お腹が空くのは、辛いことだ。もし彼が食べたいと言うのなら、喜んでこの身を与えよう。
(ああ、でも)
痩せっぽちな自分の身体を思い出して悲しくなる。
(わたしだと、美味しくないかもしれない)
忘れかけていた涙がまた、滲んできた。
「────何故、泣いている?」
大きな影が少女を覆う。
雨が遮られて、代わりに2つの赤い目が見下ろしてきた。
「答えよ。何故、泣いている」
高圧的な口調とは裏腹に、赤い目は困惑気味に揺れている。
「我が恐ろしいか。しかしお前の目には怯えが見えぬ」
慎重に指先を伸ばし、少女の身体を抱き上げる。
「邪神を前にして、恐怖以外で泣く理由とは何だ」
気が付けば、少女はすっかり抱き込まれていた。
不思議な温かさに包まれて、思わずその身体に擦り寄った。
(やっぱり邪神様なんだ)
悲しくて嬉しくて。よく分からないまま、またひとしずくの涙を落としてしまう。
「答えよと言っているのに……」
困りきった顔をして、邪神は悪態をつく。
「吹けば消える灯火よ。お前の名は何と言うのだ」
「な、まえ?」
少女は首を傾げて邪神を見上げる。
「よんで、くれるの……? わたしの、なまえ……」
「ああ、だから答えよ」
邪神のその言葉を聞いて、少女の中の「嬉しい」という感情が確かなものとなる。
「リュミ。わたしのなまえは、リュミだよ」
「リュミ……」
邪神が自分の名を口にする。
リュミは殊更嬉しくなって、笑みをこぼす。
「あなたのおなまえは?」
「我か? 我はソルという」
「ソル……カッコいいおなまえだね」
ソルの、リュミを抱く手が僅かに震えた。
「……もう一度聞く。何故、泣いていた」
「かなしかったの」
「悲しい? 何がお前を悲しませたのだ」
「……わらわない?」
「笑うものか。邪神とて、情けはある」
「ふふ……やさしいんだね、ソルは」
力なく笑い、リュミは目の前に迫るソルの顔に手を伸ばした。
「あなたがおなかをすかせていたら、わたしをあげようとおもったの。でも、こんなからだじゃ、おいしくないかもしれない。だから、かなしかった」
「……腹は空いていない。それに、我は人間を喰わぬ」
差し出された小さな指先に頬を寄せる。
長い間雨に晒されたリュミの身体はひどく冷たい。早く温めてやらねばと、ソルは自身の熱を分け与える。
「リュミ、小さな灯火よ。我と契りを交わすといい」
「ちぎり……?」
「我が眷属となり、我が力を受け入れよ。さすれば、飢えも寒さも無くなる」
リュミにとって難しい言葉ばかりだ。それでも、彼女はそれを邪神が望んでいるのだと察した。
「ちぎりをしたら、ソルはうれしい?」
「ああ、お前が我と共にあることは嬉しく思う」
「そっか……じゃあ、する」
自分の意志よりも、ソルが喜んでくれるならとリュミは頷いた。
小雨が降り注ぐ邪神の神殿。
朗々と述べられる契りの祝詞。
破滅の化身は守護を誓い、小さな灯火は寄り添うことを誓った。
それはまるで、一対の番が愛を誓い合う儀式のようだった。
【オマケ】※いきなり始まっていきなり終わる
◇ ◇ ◇
邪神が復活したのだという。
古来からの伝承に基づき、勇者として選抜されたひとりの異世界人が旅に出た。
勇者は道中、騎士や魔術師、神官や巫女を仲間にして、邪神の棲う神殿へと辿り着いた。
「ごめんくださーい」
勇者はコンコンと、神殿の入口をノックした。とても軽いノリで。
「はーい、どちら様ですか?」
やがて扉が開かれ、間から女性がひょっこり顔を出した。
「朝早くにすみません。わたくし、勇者という者です」
「あっ、あの勇者様ですね? お噂はかねがねお聞きしております〜。すみません、うちのひとまだ寝てて……今起こしてきますね」
「いえいえお構いなく〜。こちらこそいきなり来て申し訳ないです。外で適当に待ってますので、ゆっくり準備されてください」
「お気遣いありがとうございます〜! なるべく早く終わらせるので、少々お待ちくださいませ〜」
申し訳なさそうにペコペコと頭を下げて女性は中へ戻っていった。
それを見届けた後、勇者はくるりと振り返って仲間に言う。
「邪神の奥さん超可愛い!」
「まず言うことがそれか〜い!」
騎士がすかさずツッコミを入れる。
「いやだってホントめちゃくちゃ可愛かったんだもん! ダメだよあんな幸せそうな奥さんの旦那さん殺すなんて! この世界の神話頭おかしい! 全国の邪神夫婦推しの過激派に市中引き回しの上打首獄門に処されちゃうよ!」
「さすが勇者。神話にまで文句を言うとは度胸がある」
「まあぶっちゃけ〜、神話がどこまでホントかマジで不明だし〜、神様も内心『何それ知らん……怖……』とか思っちゃってるかもだし〜?」
「神官のアンタがそれ言うと笑えないですね」
「私たち、根も葉もない神話派ではなく根も葉もある神託派に属しておりますので。神様が直に違うというのであれば神話なんてクソ喰らえでございますよ」
「あれ、もしかして巫女ちゃん邪神夫婦推しの過激派?」
「秘密にございます」
のんびりと賑やかに会話をする勇者一行。
そんな彼らを、入口の隙間から覗き込む4つの赤い目があった。
邪神夫婦である。
「リュミ、なんだ彼奴らは」
「お客様だよ、ソル」
「勇者と聞いたが」
「うん、勇者様御一行だよ」
「……我を倒しに来たのではないか?」
「違うと思うよ?」
「何故そう言いきれる」
「女の勘!」
「ぐう」
自信満々に胸を張る愛妻に、うっかり愛おしさが溢れ出る。
「……まあいい、お前がそこまで言うのなら会ってやろう」
「ありがとうソル! 喧嘩はダメだからね?」
「分かっておる」
入口の扉を開け放ち、夫婦揃って外に出る。
「お待たせしましたー!」
元気よくリュミが声を上げ、ソルと手を繋いで勇者一行の前へと現れる。
「我が名はソル。邪神としてこの地に奉じられた神のひと柱である」
「私はその妻リュミ。どうぞよろしくお願いします」
「おお……おおおお!!!!」
夫婦の口上を聞き、その場に泣き崩れた者がいた。
巫女である。
「これぞ至福の瞬間……! 誰か、わたしを今すぐ殺してください! この幸せの中で死に絶えたい!」
「いや、アンタ神の祝福受けてるから死なないじゃん」
「くそぅ、我が身が憎いィィ……!」
「分かる、分かるよ巫女ちゃん……幸せな推しの姿を直視したらそうなるわ……墓に篭もりたくなるわ……」
「勇者ちゃんの世界では墓に篭もりたくなる習性あんの?」
◇ ◇ ◇
お付き合いいただきありがとうございました。