3 ヒロインなのにスルーされます!
怪我が治って万全な状態になったメリナが次にイベントを起こそうとしたのは、騎士団長の子息であるグラットであった。
宰相子息であるシリウスや、魔法師団長子息であるアランを相手にイベントを起こすより簡単だったからだ。
本来は、王子であるレオンハートと仲良くなっていくことで他の攻略対象と知り合ってルートが開けていくのだが、レオンハートとのイベントは失敗ばかりで、そもそも好感度以前の問題になっている。
つまり、メリナには他の攻略者と出会う隙がない。
クールなシリウスや無邪気に見えて腹黒なアランでは、今は近づくことも難しいだろうと考えた。
「堅物って案外ちょろいのよね!」
グラットは騎士団に入ることを目指しているからか、真面目一辺倒。
王子と仲良くしていたヒロインが困っていた所を助けたことでルートが開けるのだが、突拍子もない事をするヒロインに振り回されながらもどんどん惹かれていく。
その性格故に選択肢も分かりやすく、一番攻略が楽だと言われているキャラでもある。
「でも王子とは知り合いといえる程の関係にもなってないしなぁ」
メリナはどうするべきかと頭をひねった。
グラットは真面目だから困っていれば助けてくれるかもしれない。でも、それだけじゃ印象は薄い気がする。
かといって最初の出会いを飛ばして好感度は上がるのだろうか?
メリナは考えた。そして、遂に閃いたのだった。
メリナが起こそうと考えたイベントは、木登りしているところを見られてしまうというものだった。
ゲーム内では、平民のためなかなかクラスに馴染めないメリナが、気の休まる場所を探して木登りをしていた。
それをグラットに見られ、普段の無邪気な様子とは違う姿に一気に好感度が上がっていくという大事なイベントであった。
現時点で知り合いですらないメリナが何故そのイベントを選んだかというと、単純に一番印象に残りやすいだろうと考えたからであった。
また、このイベントさえ成功すれば後の取っ掛かりができやすいと思っていた。あまりにも安易な考えであったが、ゲームのヒロインであるという無敵感は、メリナの判断力を完全に奪ってしまっていた。
「今日が決行日だわ……」
早朝に学園に来たメリナは、制服のスカートの下にしっかりと短いズボンをはいて訓練場近くにある木の前に立っていた。
この訓練場は騎士を目指す生徒に開放されており、誰でも使えるようになっている。グラットは王子の側近候補であり、なかなか訓練する時間を取れないため、早朝に訓練場に来ては剣を振っていた。
その通り道に生えている木に登ったメリナを偶然見つけることでイベントが始まる。
「木登りくらい余裕よね…よっと――あれ?」
木の瘤に手を掛けたメリナは、しっかりと瘤を握って体を持ち上げようとした。しかし、そう上手くいくものではなかった。
確かにメリナとして生きてきた記憶はあるが、今のベースになっているのは前世の記憶を持つメリナ。その時には木登りをした経験などなく、体の使い方を全然分かっていなかった。
知っているのと実際にやってみるのとでは全然違うことに、その時初めて気が付いた。
「えーー!?ど、どうしよう!こんなの想定外よ!」
出鼻を挫かれたメリナは焦っていた。早くしないとグラットが来てしまう。
「ヒロインはすいすい上ってたのに~…こうなったら他の木に…」
訓練場の通り道で一番目に入る木に登ることを諦めて他の登りやすそうな木を探すメリナ。
しかし、どの木も高すぎたり、低くても手を掛ける所が無かったりで丁度良い木はなかった。
結局、最初の木を必死に上るしか手はなかった。
「早くしないとグラットが来ちゃう……!」
メリナは半べそをかきながら、何とか記憶を探って登り方のコツを思い出そうとする。手足に力を入れて必死に引っ掛かりを探し、体を持ち上げていく。
木を掴んでいる手はボロボロで膝は擦り切れて、その上制服も汚れてしまっているが、時間も迫っていたためメリナに構っている暇はなかった。
登ろうとしているとヒロインの記憶と体の記憶が合致してきたのか、何とか低い枝に登りきることができた。
「登れた……」
登り切った事で体力の限界が来たメリナは、枝に体を預けて脱力する。
枝といっても太く安定感があるため、グラットが来るまでしばしの休憩を取ろうとしていたメリナだったが、その思惑は直ぐに崩れることとなった。
「君はそんな所で何をしているのだろうか……」
休憩をしていたところに唐突に掛けられた声にメリナはハッとして木の下を見た。
そこには呆然とした表情のグラットがメリナを見上げ、立ち尽くしていた。それを見てメリナはがばっと身を起こす。
「えっと……これは…!」
突然の事に、メリナは完全に混乱してしまっていた。用意していた台詞は頭から消えてしまい、あのとかそのを繰り返すしかない。
さらにここで注目すべきはメリナの格好である。必死で木を登ったために制服は汚れ、髪はボサボサ。
その状態でまともな言葉を発しないのだから、グラットから見たら完全にヤバい奴にしか見えていないだろう。
「その、クラスに馴染めないので…ここでちょっと心を癒しているというか何というか……」
何とか言葉を絞り出したメリナに対して「それはそうだろうな」と頷くグラット。
(え?どういう事?)
意味が分からないのはメリナだけ。
無敵感があるメリナには、そもそもクラスで浮いていることすらも「ゲームだから」と変換されてしまっていた。ゲームでも最初はそうだったから、しばらくしたら皆にも認められるはずだと、そう思い込んでいた。
しかし実際にはそうではなく、平民であることと自分から人に関わっていくことがないから余計に浮いていた。
そして、グラットは木に登ったメリナを見て、余計に馴染めていないのだと容易に察することができた。
「降りるときに怪我をしないように。では自分はこれで」
「え、嘘!」
関わり合いになりたくなかったのか、グラットはそのままメリナには見向きもせずに訓練場へ行ってしまった。
「嘘でしょ……?」
あまりにもあっさりと去っていったグラットを見て、メリナは呆然と呟く。そこでふと気付いてしまった。
「どうやって降りたらいいの!?」
登ったのはいいものの、降り方を考えていなかったことに気付いてしまったメリナは慌てるが後の祭り。低い枝とはいえ、それなりの高さがあり、飛び降りるのは不可能だ。
またもや自業自得なメリナなのであった。
結局、何とか降りようしている内に、登った時と同じようにヒロインの記憶と体のおかげで
降りることができたのだった。
「いったーい……」
自分の体を見れば、擦り切れてボロボロの手のひらと膝、そして汚れた制服で、とてもではないがそのまま授業を受けられそうにはなかった。
もしそのまま受けていたら、あることないこと噂されてしまっていたことだろう。
まだグラットが訓練を始めるくらいの早い時間だったため、メリナは医務室で手当てを受け、身なりを整える時間があった。
手は如何にも怪我をしているようなガーゼが貼ってあったが、膝はスカートで隠れる。髪も整えて木の皮の破片を取り除けば、ただこけてしまっただけの様に見えるだろう。
何とか体面を保つことが出来てホッとしたメリナであった。
しかし、医務室から出てくるメリナを見ていた人物には気付くことはなかった。